ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

もうすぐ出発

今日は夢中になってシンガポール・マレーシア訪問の準備をしました。これが、私にとっての「矢内原効果」です。この度の本読み作業のおかげで、私なりの指針が定まりました。無知は不安と混乱を招きますから、やはり遠回りのようでも、一つ一つ読みこなさなければ....。
もちろん、大学図書館国立図書館へも出かけていきますが、私のリサーチの特徴は、両国の聖書協会と神学校の図書室へ行くことと教会巡りです。両聖書協会へは以前から何度か訪問していますし、神学校も、いずれも、もちろんこれが初めてではありません。ニューズレターを送ってくださる方もあります。なじみのためか、早速、次々とメールの返答が届き、やっと具体的な行動日程が調整できました。あまり早いと、向こうも予定が未定なので、挨拶程度の連絡で終わってしまい、二度手間でかえって無駄なのです。
聖書協会の総主事や翻訳コンサルタントは、皆とてもお忙しく、返事が早い上に、私の質問に応じる担当者へのアレンジも早く、非常に助かります。ただ一つ残念なのは、東京の聖書フォーラムでお目にかかったお二人とも、ベトナムでの会議やトルコ旅行やインドでの会合で、「多分会えないだろう」とのこと。驚いたのは、そのようなスケジュールの中で、「そして自分の結婚式の準備もある」と添えられていたことです。そういうご事情だったとは、これまで想像だにしておりませんでした!

「東南アジアの人々は、よろずゆったりのんびりしている」と、1990年代の帰国直後は、私まで馬鹿にされ、低く見られて憤慨していました。そういう発言は恐らく、現地に一定期間住んだこともなく、現地の指導者層と付き合っていない証拠です。首都圏は誰でも忙しく動き回るのは当たり前で、例えば聖書関係でも、ポジションが上がるほど世界中を飛び回っていらっしゃいますから。
神学校の方は、シンガポールもマレーシアも、期せずして創立記念のお祝いと重なったので、資料読みの時間は限られてしまうものの、おかげさまで記念冊子が楽しみです。
当然のことながら、資料複写や購入する本は、シンガポールからとマレーシアから箱詰めして郵送することになります。紛失の心配は、まずないでしょう。この安心感があるかないかは、リサーチの心理と結果に影響してくると思います。だから、難しい地域ほど、その辺りの配慮が必要かと思われます。

閲覧したい資料リストは、かなり前から作ってありました。いつの間にか相当たまっています。時間の制約が一番の問題で、本当は1ヶ月ぐらい滞在したいところですが、難病患者持ちの主婦の悲しさ、そこは独身者や専任研究者とは違うのです。その代わり、全額自腹を切っていますから、いつでも真剣そのもの、必死です。遊んでいる暇はありません。
2002年のフィールド・ノートを読み直しました。教会関係者とのさまざまな会話、初めての時には新鮮だったけれど、今ではすっかりおなじみです。いろいろな人達に助けられて、一歩一歩ここまで進んできました。最初は、いい加減で変なことを言う人がいたり、現地で資料そのものが貧弱だったり、情報があちらこちらに拡散していたり、誰に尋ねたら本当のことを教えていただけるのかもわからず、話は単純なのに混沌としていて非常に遠回りをしました。やっと求める一次資料を見つけて、現地では「やったぁ」と思えても、日本に持ち帰ると、全然たいしたことのないような内容で、愕然とする思いを何度もしました。精神衛生上、誠によろしくありません。
ただ、矢内原先生も、「南洋諸島」の現地調査をされていた頃、精力的に見て回り、こまごまとノートに書き連ねていましたが、帰国後、論文にまとめた時には、「たいした内容でもないのに、これほど時間がかかるとは。やっている意味があるのかどうかわからなくなる」という意味のことを書き残されています。それよりは、シンガポールもマレーシアも遙かに発展しているわけですから、勇気づけられました。
今なら、インターネットで予め把握できますが、かえって、その場限りで稀薄になったようにも思います。「またね」ではなく「これが最後の渡航」という意気込みでいかなければ、それこそ矢内原先生の土曜学校講義のような迫力は出てきません。

民博図書室でのマイクロフィルム読み取り作業でさえ、何度も通い詰めて、目がチカチカして大変なのに、今回、果たしてどうなることやら...。
道中読む本も決めました。カフカの『変身』(以前、ラジオのドイツ語講座で読んだものを日本語で)、岡倉覚三の『茶の本』(日本文化を忘れないように)、今読みかけのショウペンハウエル読書について』(皮肉が効いていておもしろいから)です。岩波文庫は、場所を取らず、助かります。
では、この辺で「ユーリの部屋」は来月中旬までお休みとさせていただきます。