ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

帰国しました!

9月30日から10月13日まで正味二週間に及ぶシンガポール・マレーシアでのリサーチ旅行から、無事帰って参りました。
今回は、3年ぶりの現地訪問です。予定がぎっしりと詰まった強行スケジュールでしたが、かれこれ19年間に及ぶマレーシアとの接触の中で、こんなに楽しく充実した滞在はなかったと言えるものでした。思いがけない出会いや収穫がたくさんありました。
当初は、何事も自分一人でする心づもりでいたものの、ありがたいことに、知り合って20年になるシンガポール人の友人Dに始まり、Dに終わった旅となりました。つまり、Dの自発的な申し出により、家族と共にチャンギ空港までワゴン車で迎えに来て、荷物をホテルまで運んでくれ、初の現地での夕食を共にしてくれたのです。そして、彼女の要請で、マレーシアへ向かう直前に一度電話を入れ、「シンガポールとマレーシアは治安が違うのだから、気をつけてね」と何度も念を押された上、帰国の途につく直前に再びチャンギ空港から電話を入れるよう申し渡されるほど、心配され守られた旅でもありました。彼女なりに私のリサーチの重要性を認めてくれ、かつては一つの国だった両国の相違点が気になるようで、私の安全確認のみならず、経験談と観察結果を知りたかった模様です。
反日教育を公私共に受けたはずの中国系シンガポール人の彼女および彼女の家族と親戚一同から、ちょうど月餅のお祭り日に重なったこともあり、とても温かく寛大に家族同様にお宅に招いていただき、しみじみ平和の大切さおよび人間関係の貴重さを感じました。詳細はまた、おいおいこのブログで書かせていただきます。Dとは、昨年夏に美術教育学会で大阪に来たシンガポール代表団の中心人物です(参照:2008年8月4日ー8月7日・8月9日・8月11日付「ユーリの部屋」)。
昨朝、関空に到着して見慣れた風景に触れた途端、緊張がほどけて一気に疲れが襲ってきました。帰りのバスでは早朝ということもあってか私一人の乗客で、まるでタクシー気分。(こんな調子では、神戸空港伊丹空港との客争いもむべなるかな。でも経済不況の昨今、そんな足の引っ張り合いをしている場合じゃないのに。少なくともシンガポールとマレーシアは、外見だけは活況があって元気でしたよ)と内心つぶやきながらも、うとうととしてしまいました。
自宅に辿り着くと、きんもくせいの香りがまだ残っていて驚きました。ドアを開けると普段は気づかない畳のにおいがして、(やっぱり私は日本人!)と思いました。その後、冬布団に潜り込んで、一寝入りしていたら、予想以上に早く、マレーシアから送った本の包み箱が一つ届きました。昔は、箱が乱雑に開けられてほとんど中身が見えかかっているような状態で届いたのに、マレーシアも確実に向上したものです。ほっとした途端にまた眠りに落ち、次に空腹で目覚めたところ(機内食は朝の三時というとんでもない時間でした)、タイミング良く空港から送ったスーツケースと鞄が届きました。便利になったものです。
こんな便利さと引き替えに、環境問題も悪化しているんだろうか、などと考えながら、(しかし今回はお金がかかったなあ)と振り返りつつ、また夜までぐっすり寝てしまいました。
昨日は、たまったメール(なぜか二千五百通以上も届いていました!)のチェックをし、12月の研究発表がどうやら採用されたらしいことを知りました。主人が気をきかせて、夕食を買って帰ると電話で申し出てくれたため、ありがたく甘えることにしました。まったく、二週間も家を空けられる主婦とは、なんと幸せなことでしょうか。でも、お土産話は積もるほどあり、主人としても今回の旅を喜んでくれました。「ほら、僕の言った通りだろう?まんざら、東南アジアに行ったことのない僕でも、見当違いではなかったってことだよ」。
今日は、たまった洗濯と家中の掃除と荷物の片付けを半分ぐらいしました。今晩の食事は、久しぶりに私の手作りです。では、この辺で....