ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自分にとっての研究テーマ

4月に入ってから、昨年10月にシンガポールとマレーシアの神学校で、自ら複写したり依頼複写を送付していただいたり、購入したりした本や論文を集中的に読んでいます。時々、その膨大な情報量と内容の重たさに疲れて、ややうんざりもしましたが、少し気分転換をしてみると、やはりこれこそ、私に与えられたテーマだという意欲が搔き立てられてきました。
日本では、神学校よりも大学の方に、書籍や研究文献があると考える研究者がいるかもしれません。断るまでもなく、シンガポール大学図書館やシンガポール国立図書館マラヤ大学図書館やマレーシア国立図書館にも、私は十数年前から繰り返し通っています。
しかし、私のテーマに限れば、もちろん重複もありますが、神学校の図書室にこそ、知りたい内容の文献がごっそりと存在します。もっとも、それは当然のことであって、世俗的研究機関ないしはイスラーム化政策の進むマレーシアの公的機関よりは、神学校こそにキリスト教関連の文献が集中しているのは、まがう方なきニーズがあるからです。
ありがたいことに、アカデミック・スタッフや事務関係スタッフとの個人的な友情も芽生え、いろいろと親切にしていただいています。やはり目的は、地元の対象である人々のためになることを、自分なりに仕上げて送り届けることなのだろうと思います。その目的がぶれると、妙な方向にずれこむことにもなります。大学間競争や科研費獲得というステータスは、確かに一種の活性化にもつながりますが、短期決戦で「結果を出せ」という乱暴なことにもなりかねませんし、現場の文脈や必要性から外れて、内向きの勝手な解釈にもつながる恐れがでてきます。
その意味で、最近つくづく感じるのは、やはり自分は自分であり、初心に立ち戻って、できる限り丁寧に作業を進めていきたいということです。
マレーシアのキリスト教に関しても、二次文献のような資料は、ある程度あります。ただ、それを引用するだけでは、社会現象としての観察的見解かレポート程度にしかなりません。特に、日本国内での聖書翻訳史や教会史などの研究分野、キリシタン研究の細かさと広がりなどを学部時代から眺めてきた者にとっては、マレーシアがいくらイスラームを連邦宗教とする国で、キリスト教がマイノリティとはいえ、資料上、そんなはずがないだろう、という見通しだけはつけていました。それを追っかけて、ここまで来たというのが私の歩みです。当初は教会内の言語問題に絞るつもりでいましたが、それではあまりにも分散的で意味がないことがすぐにわかり、やや軌道修正(といっても、本来の関心事はここにあった)した次第です。
一つ思うのは、どの国であっても、聖書翻訳史、聖書釈義史、教会史などを続けている研究者は、長い目で見て、コツコツとした緻密な文献作業をしているということです。だから、多くの人が引用したり、後々まで残る作品を作り上げているのです。これは、マレーシアも例外ではありません。
最近、シンガポールでもマレーシアでも、欧米の視点ではなく、地元の教会員としての視点でキリスト教史が書かれつつあります。これも私がずっと待っていたことで、20年前には、いくら探してもインド系のキリスト教に関するマラヤ大学提出論文が少しあった程度で、本格的なものは、なかなかありませんでした。宣教師達による一次資料のアーカイブ化も神学校で順次整えられつつあり、助かります。以前も書いたように、これを最初から見ていたら順調に進んだかといえば、そうとも限りません。かえって、人名やその位置づけや相互の関係性がわからず、戸惑っていたことと思います。
ともかく、マレーシアのカトリック教会、アングリカン教会、メソディスト教会、長老派教会、ルーテル教会、そしてボルネオ福音教会(SIB)に関しては、かなり細かな記述を含む資料がたまり、三つの部屋に分散して、それぞれに積み上げてあります。あとは、どこで発表するか、です。
専門外のコメントは、的確であればもちろん有益で歓迎しますが、そもそも分野も視点も全く違うのに、ただマレーシアというだけで、激励よりは落胆させるような発言を、平気で人前でする人もいますので、要注意です。何事も、その方面を本当に勉強しているかどうかで、判断されるべきことだと思います。畑違いで具体的事情がわからないならば、むしろ黙っているのが礼節ではないでしょうか。
少なくとも、私の学部時代の指導教授や、ご年配の名誉教授などは、「それは私の専門ではありませんので、よくわかりませんが...」という前置きをしてからのコメントでありました。何でも口を開けばいいという兆候は、一体いつから出てきたのでしょうか。