ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

うれしい贈り物と美術館の話 

私にはどうも悪い悲観癖があり、少しでもお返事が来なかったり遅れたりすると、自分に非があるのでは、何か失礼なことをしたのではないか、とグルグル考えて収拾がつかなくなることがあります。多くの場合、それは杞憂に過ぎないことが後で判明し、無駄な時間を使ったことを再度悔やむ次第です。

今朝も、メールを開くと、マレーシアで牧会をされている日本人の方からご丁寧なお便りが届いていました。拙稿の掲載された冊子を、わざわざ電話で予約注文して、渋滞する時間帯を避けて買いに行ってくださったとのことです。日系書店が移転したことを、それまで私は知りませんでした。
実は、前号は郵送したのですが、今回は、約束したりお世話になった先生方にお送りしたところ、部数が不足してしまいました。送れば受け取っていただけるものの、実際には、ご興味に合うかどうかもわからないので、「もし本屋さんに立ち寄られることがあれば、どうぞご覧ください」程度にご連絡だけ入れておきました。意外に割高なので買っていただくのも、と恐縮したからでもあります。ただ、誰かが偶然見つけられた場合に、黙っていて水くさいと思われるのも失礼かなあ、と思う反面、手前勝手な事情なので、反応がなくても仕方がないなあと思っていたところでした。
結果的に、お金を出して入手していただき、うれしかったです。自分ではぐったりした作業ですが、手を抜かずに一生懸命書いてよかったな、やはり、どこで誰が見ているかわからないから、どんな仕事でもきちんとやらなければ、と初心に返った思いです。マレーシアに長期滞在されている方で、自分では何ら問題なく平和共存しているように思っていても、外国人として住んでいるだけではわからないこともあるでしょう。地元の人達が、実際にどのような問題を抱えているかを明らかにする作業は、リサーチャーの仕事。それこそ、19年も勉強を続けた蓄積を出していかなければ、貢献になりません。
特に興味を持って読んでくださったのは、ムスリムの棄教問題の項目だそうです。ここが一番神経を使った箇所だったので、報われたような思いでした。

もう一つのうれしかった出来事は、あしながおじさまからの新約聖書。故前田護郎先生の訳された版に修正を加えつつ、現代に再度蘇らせたものです。古い版も図書館で借りて読んでみたことがありますが、直接、謦咳に触れられたお弟子筋の先生方が手直しをされて復刻版を出版されると、また得難い味わいを覚えます。とにかく、読みやすい。そして、文体が雅びで温かいのです。

新約聖書 前田護郎選集 別巻教文館2009年7月25日
発行が当初の予定から遅れたそうですが、私としても、あしながおじさまからプレゼントされっ放しでは申し訳ないし、という気持ちでおりました。ところが...
届いたのです!先程、日本郵便で。
やはり、無教会に連なる方々は、義理堅く約束を誠実にお守りになられますね。この世知辛い世の中で、本当に、ともしびのようにほっこりとした安心感を教えられたような思いです。少しでも見習って、かくあらねば...。

実は昨日、あしながおじさまから大量に譲られた蔵書の一冊である『矢内原忠雄全集 第十六巻』を読んでいました(参照:2008年12月24日付「ユーリの部屋」)。内容は、マルクス主義キリスト教が中心となっています。今読むと、案外に次々とページが進むもので我ながら驚きました。残念ながら、日本のキリスト教普及については、現在、実現を見ていないように思われますが、それは、矢内原氏の予測が外れたというより、利得問題や派閥闘争や牧師訓練の問題などにも原因が求められるでしょう。また、今、さまざまな理由で聖書を読む層は、少なくとも一定数は確保されているのではないかとも考えています。

おとといの26日には、ルーヴル美術館の展示を見に、大阪の中之島にある国立国際美術館へ行きました。1時間ほど見て回りましたが、「子ども」がテーマだったとは知らなかったことと、展示物が今ひとつ焦点を絞り切れていないような印象を持ちました。前21世紀や前16世紀などの、古代エジプトやイランのスーサから発掘されたという小像やおもちゃなどはおもしろく思いましたが、そこからいきなり17世紀のヨーロッパ美術に飛ぶので、(あれ?)といった感じ。京都と大阪に分かれての展示なので、京都に行けばまた違った感想を持つのかもしれませんが。夏休みということもあってか、大勢の人で賑わっていたことは確かです。ただ、今ひとつなんですね。
プラド美術館ボストン美術館などは、どう急いだとしても、丸一日はたっぷりかかるほど広大なものでしたし、今でも目にしたものが思い浮かぶほど、強いインパクトがあります。日本ならば、バルラハ展(参照:2007年10月9日付「ユーリの部屋」)やムンク展(参照:2008年3月31日付「ユーリの部屋」)がよかったです。このように、場所によっては、後々まで印象を残す質の高い展示があるのですが、どうも国立国際美術館の場合は、スタッフの問題なのか、相性のせいなのか、どこか物足りません(参照:2008年2月2日付「ユーリの部屋」)。

美術館は、「あそこに行けばあの作品に出会える!」というような安心感と期待感、そして、いつでも戻って行って、感動を新たに重ねていけるような空間が確保されていることが、私なりの水準です。

仕方なく、せっかくここまで来たのだから、とお向かいの科学館へ入りました。湯川秀樹氏の直筆手紙や論文が却下されて不服だったらしいこと、独創性とは何かについての論考、ガリレオ・ガリレイ天文書の公開が楽しかったです。プラネタリウムにも行きたかったのですが、すべて満席で残念でした。科学館では、ほとんど子どもになった気分で楽しく遊びました。