今日は、ちょうど一週間前に京大でお目にかかったフランスの女性研究者と司会をされた先生の本を借りることができました(参照:2009年7月18日付「ユーリの部屋」)。
『叢書・ウニゲルシタス 883 ユダヤ女 ハンナ・アーレント 経験・政治・歴史』マルティーヌ・レイボヴィッチ(著)・合田正人(訳)法政大学出版局(2008年)
確か、会合でも合田先生が「これから有名になるかもしれないから、話をよく聞いておくように」という意味のことをおっしゃっていたかと思います。アーレントが今人気上昇中なのは、全体主義的傾向や「わかりやすさ」なるものへの異議申し立て、という現代思潮に対する哲学的基盤を与えるからのようなのですが、この本を借りてみて、先週出かけて行ってよかったなあ、やはり私にはこういう方面の読書も必要なのではないか、とT先生のご慧眼に感謝した次第です。
マルティーヌ先生が博士論文を提出されたのは、1996年4月5日のこと。1948年生まれとありますから、40代半ばでの執筆ということになります。それ相応の深みと洞察を含んだ重い内容で、ちょうど時期的に私が知りたいと思っていたことも書かれていて、うれしい出会いです。具体的には、反ユダヤ主義、シオニズム、アイヒマンなどが考察対象となっています。当日のご講演は、あくまでアーレント思想への導入ないしは著者とのご対面という位置づけであって、読書への誘いの意味が大きかったと思います。
もう一冊、借りたのが、別の角度から次の本です。
『なぜアーレントが重要なのか』E・ヤング=ブルーエル(著)矢野久美子(訳)みすず書房(2008年)
ふと思い当たったのが、みすず書房から定期的に送られてくる新聞にいつか掲載されていたのではなかったか、ということです。記憶が曖昧で、もしかしたら間違いかもしれませんが、確か、見たことがあるような...。
こういう本も積極的に読み、もっと複雑で濃厚な議論に慣れていかなければ、私にとっては先が見えているでしょう。
それから、新たに予約を入れたのは、次の2冊です。
・池内恵『中東危機の震源を読む』新潮社(2009年)
・ブルース・ローレンス/池内恵(訳)『コーラン』ポプラ社(2008年)
もちろん、コーランは日本語訳(井筒訳)と英語訳(イスラミック・センター・ジャパンで紹介された版)を所有し、以前、3回ぐらい繰り返して読みました。結構、忍耐力を試される経験で、正直なところ、鬱屈するような思いでした。新たに、どのように訳出されたかちょっと見てみたいと思って、予約した次第です。