ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

すこやかに順調に伸びて

庄司紗矢香さんのことは、何度もこのブログで取り上げていますが、どうもインタビューから察するところ、女性が創造的な仕事に関わる家系のようです。
だから、小柄で一見ハンディがあるように見えても、実にのびのびとした楽しそうな演奏、しかも正統的解釈と正確な技術とに裏付けられた自由な歌心が表現できるのでしょうか。あれはだめ、これもだめ、などと、規格化されたような抑圧的な環境に育った私にとっては、実にうらやましい限りです。知的な面プラスかわいらしい笑顔も魅力なのでしょうが、時代の巡り合わせや運のよさもさることながら、ひたむきな努力もあずかって、国内外で人気抜群ですね。今後がますます楽しみです。そして、演奏会に行く度に、いろいろと励まされ、元気づけられる私自身も、幸せだと思います。
「親は普通の勉強もしてほしい」し「成功するとは限らない」から「一番にならなければ、きっぱりやめなさい」などと反対されていたとおっしゃっている割には、子どもの頃から有名な音楽家と一緒の写真があるなど、そもそも格が違うという感じがします。やる以上は、いい先生についてきちんとやりなさい、という教育熱心さもあるのでしょうか。
先週末には、NHK-FMラジオで3時間たっぷりの、事実上、庄司紗矢香さん特集とでも呼べそうな演奏会の生中継と画展に関するCD付説明がありました。プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番で、先日のリゲティよりは、既に手の内に入った感のある演奏。以前、テレビでもユーリ・テミルカーノフ指揮との共演で、放映もされていた曲です。録音を3回ぐらい繰り返して聴きました。
音楽評論家の片桐卓也氏と司会の山田美也子氏との会話もおもしろかったです。何年か前の、アラン・ギルバート指揮でブラームスのヴァイオリン協奏曲の共演の時も、そして、ノリントン指揮でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の時も、山田氏がラジオで生中継をされていたのをよく覚えていますが、常に、女性の観察らしく、髪型やドレスを逐一報告されていました。本当は、それ以上に、演奏そのものを語ってほしいところなのですが。片桐氏は、音楽雑誌やCDの解説などで名前を拝見していましたが、最近の「音楽評論家」は、昔よく見かけたようなクラシック万歳陶酔派、あるいはその逆に、斜に構えた一癖あるようなコメントではなく、鑑賞者と共に演奏を楽しむと同時に、その一歩先を導きつつ、新しい情報も加えていくというような解説でした。庄司さんとは、もう10年来のお付き合いになるそうですが、「あまり近過ぎて」「変わっていない」とのこと。目利きの特権でもありますね。
そして、共演が決まると、その指揮者の演奏会をわざわざ見に行くという努力も欠かさない珍しいソリストだと披露されていました。確かに、世界で生き残るソリストになるには、単に技術や解釈の研鑽のみならず、人とは違う能力や個性を発揮しなければならないので、その点の陰なる努力も見習いたいところです。それにしても、そのような姿勢を築くきっかけというのは、自発的なものなのか、それとも誰かにヒントを得てなのか...。
音大を出て演奏活動を始めてみると、クラシック界の閉鎖的なことに気づいた点、若いながらも庄司紗矢香さんの偉さだと思います。だからこそ、自分の表現する画展と音楽のコラボレーションで、少しでも多くの人にきっかけをつかんでもらいたい、と試みた度胸と思い切りの良さも素晴らしいと思います。

十代後半は演奏会も目白押しで、要請されるままに、あちらこちらへ出かけて行かれたらしいですが、最近は、公式スケジュールによれば、もう少しゆとりのある演奏活動みたいです。その代わり、「勉強している時が一番幸せ」というぐらい、多くの本を読み、美術館へ行き、原譜を研究し、夜中には絵を描きつつ、とにかく練習練習、の日々のようです。単独でもこのような努力が続けられるところが才能なのでしょう。考えてみれば、舞台に出ているのは、リサイタルでもアンコール付きで2時間弱(休憩20分)、協奏曲ならせいぜい長くて45分程度といった短い時間。それも、どんなに大きなホールで満席であっても最大3000人程度に向けて、一瞬で判断されてしまうような緊張度の高い演奏を何度も繰り返すのですから、これは並大抵のことではありません。
最近では、You Tubeで、簡単に故人も含めた世界一流の演奏家の映像が見比べられてしまうので、演奏だけで暮らして行こうとすれば、本当に大変なことです。
今一番の花盛りなのか、それともまだ序走に過ぎないのか。大切に見守られつつ、順調に健やかに伸びていってほしいと思います。