ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

伏見のキリシタン史跡めぐり (3)

さて、京都といえば、食べ物では豆腐料理と京野菜の浅漬けが有名でしょうか。浅漬けはともかく、お豆腐の方は機会がなくて、なかなか料亭まで行けないのが残念ですが。ちなみに、三俣先生から「左京が中心になって発展した京都」というお話が出て、「右京がさびれたのは、水がよくないせいか?」とおっしゃっていました。お豆腐だって、いい水がなければ、おいしくできないでしょうね。
では、先生のお話や史跡見学から印象に残ったポイントを箇条書きにして、列挙いたします。

「都の橋」と宣教師資料に書いてある場所を特定するのに、苦労されたという。これは京橋を指す。
1615年・16年度イエズス会年報資料にある「貧者」とは被差別部落の人々を指す。三つの共同体(キリシタン部落・被差別部落・潜伏していた司祭)の共生が存在していたのに、河原に住んでいた被差別部落の人を使ってキリシタンを処刑させたので、両者が対立するようになった。また、ハンセン氏病の人々も、河原に住んでいた。
雲仙では、突き落されたキリシタンは一秒二秒の間にどう祈ったか。カトリックでは射祷がある。
晒し場の立札があった辻所には、現在、店が建っている。
宇治川は流れが速く、切り刻んだ死体を流すのに適切。流れた血を洗うのにも適当。そして、死体に火をつけて放り込み、流した。被差別部落の人は、刀を持たないために首を切れないことが多く、代わりに侍がストンと落とした。
代々続いている有名な魚の料亭前で鳥羽伏見の戦いの跡を見ていたところ、8代目だという店主氏が出て来られて、解説を始めた。「このグループは何という団体ですか」との問いに、すかさず三俣先生が「歴史研究会です」と澄まして答えられたのには、さすがは年季が入っていてあっぱれという感じ。いつの間にか我々は、ツアー参加者ではなく、研究会仲間になっていた。
文化5年の伏見図にあった「セイバイ場」が、最後に訪れた処刑場所。近くの橋を私鉄が通る。三俣先生は、「一キリスト教徒として、私はここを電車で通る度に、殉教者に取次ぎを祈ります」とおっしゃった。やっぱりカトリック。さすがはカトリック
迫害と殉教の実態をレジュメ資料から抜書きすると…
「丸二日間棄てて置かれた」「そのまま六日間晒された」「胴体を五分ぎりに切り刻み、その一部を川に投げ入れた」
それを受けて立つキリシタンの様子は…
「心を天に馳せて祈りつつ殉教の杖を待った」「二人の信者がいたが、遺骸を手に入れて喜んで帰る」「遺骸を引き上げ、パウロという貧者の家に運んだ。顔があまりに美しいので飽かずこれを眺めた」「イグナチオは神に祈り、傍らで騒ぎ立てる役人には、『静かにされたい、私の祈りの邪魔にならぬように』と頼んだ。」「彼は主祷文を唱え始めたが、途中までくると、煙にむせんで声が出せなくなった。しかし、彼は再び勇気を奮い起こして祈りを続け、最後の『アーメン』を唱えてから息を引き取った。」

←(ユーリ)処刑法は残酷だが、殉教するキリシタン自身も世話をするキリシタン達も、「喜んで」おり、「美しい」遺骸の顔に見とれ、「勇気を奮い」主の祈りを続けたという姿が描かれている。この対照性こそが、キリスト教の強さであり、恐れられ弾圧された理由でもあろう。
・三俣先生のレジュメの結び「伏見の地は、発展の時代、迫害殉教の時代という日本共通のキリシタン史を、凝縮ないしは先取りする形で経験してきた。それにもかかわらず、政府のお膝元という立地条件から、キリスト教の痕跡は徹底して抹消された。

京町通りを歩いていた時、エルサレムヴィア・ドロローサを歩いた時のことを思い出し、犯罪人扱いされて十字架を背負ったイエスと、京町通りをさらしものにされて刑死の道を歩いたキリシタン達とは、ちょうど並行関係にあることを再発見したように感じました。もちろん、三俣先生がおっしゃったように「キリストのために命を捨てた」のがキリシタンなのですが。
また、今回、足跡を辿らせていただいた殉教キリシタン達の霊を偲び、私なりの方法として、帰宅してから、フォーレのレクイエムとメシアンのオルガン曲集に耳を傾けました(参照:2009年2月9日付「ユーリの部屋」)。
そして、出身地名古屋のキリシタンをインターネットで調べてみると、「千本松原」と「栄国寺」がゆかりの深い地だということがわかりました。驚いたことに、実家のある町内の某場所が、処刑場だったことも判明しました。一度も行ったことがない方面だったので、またもやいろいろと考えさせられました。
今回の学びを機に、早速、杉野榮京のキリシタン史跡を巡る三学出版2007年5月)を予約しました。現在住んでいる我が町のキリシタンについても文献が出ていますが、貸出不可とのことで、またの機会を待つことになりそうです。

蛇足ながら、このところ借りて読んでいるのが、先頃亡くなった加藤周一氏の『日本文学史序説(下)平凡社1980年)と、ミラン・クンデラ(著)千野栄一(訳)『存在の耐えられない軽さ集英社1993年)です。いずれも、全く別の角度からキリスト教や教会の問題に触れている箇所があり、これも考えさせられます。