ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

少子化と教会の人口減少

「ある関西のキリスト者のブログ」から、以下に部分抜粋を。

http://voiceofwind.jugem.jp/?cid=16


キリスト教会では、どうすればクリスチャンになれるか、ということは教えてくれるが、通常そのやめ方まで教えてくれない
・問題は、この付帯契約事項の部分ではないか、と思うのである。キリストは好きだけれども、キリストは個人の神の不在の問題を対応してくださる方としてともに生きたいと思うけれども、信仰生活を送るのが、いまいる教会だけと限られるのかに関しては、信仰を持つ際の合意事項に含まれるかどうか問題というのはあるのではないか、と思うのである。
・教会側の暗黙知というのか、一種の明文化されてない知的データベースとそこから派生する教会特有、教派特有の信者としてこういうような行動が望ましいとされているかもしれない行動規範や行動スタイルを尊重することはあっても、それを順守・墨守することまで、キリストとともに生きるということの付帯契約事項に含まれるかどうか、ということ(付帯契約事項まで含めて)まで納得して信徒になっているかどうか、ということは、案外明らかではないのではないか。
・日本ではキリスト教のやめ方とか、キリスト教界をやめるやめ方とか、キリスト教界のやめ方は含まれていないことが多いように思う

http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=645


・やめたければ、やめて、無教会という一人教会を実施することもできる。
・個人的には、よほど聖書を読み込んでいない限り、おひとり様無教会は、お勧めはしない。なぜかというと信仰は共同体性の中ではぐくまれるからだ
・教会に行けば、こころを休ませるはず、と思ってたら、豈図らんや、かえって心が休まらず、「何だこれは」「これはいったい何!?」になった経験をした人は少なくないのではないだろうか。それで、「教会に行きたくない」になったり、「教会 やめたい」という検索語につながるのであろう。

http://voiceofwind.jugem.jp/?cid=16


・ある教会内でその特定の教会の(明文化されてないことが多い)規則に従順なクリスチャンから、その特定の教会の(暗黙の)規則に従順でないと判定されたクリスチャンへの(一種の)迫害というか、威圧圧力が発生していて、「まるで難民のように教会から陸続と脱出中という状況」なのではないか、と思われなくもない。
・教会が内部論理の完結、内部の同質性の重視という性格をもった場合、幅ひろい他者を受け入れ、幅ひろい他者とその考え方を内包するのではなく、ある考えに従っていくようにかなり高圧的に仕向けていく、あるいは、違う考えを持つものを排除していくという特性を持ちかねない。この結果、ある考えを堅持したい信徒がある考えを尊重しないという理由で別の信徒を迫害することになりかねない。
・「福音派」とラベルを張ったり、「リベラル」とラベルを張ったりすることはないだろうか。実際にそういう言動を取ったりすることで、ある信徒群が他の信徒群を迫害していくことになりかねない。ラベルを張ってしまえば、自分と無関係にできてしまうのだ。そして、放浪者、難民の様にキリスト教界を漂う人々もいなくはないだろう。
・教会員が減ることは結構深刻な影響を個別教会、個別教派に与えるので、実はかなり深刻な影響を持つのだが、現下の日本では、この状況に直面している教会が地方部、都市近郊部で続出しているような気がしなくもない。
アリスター・E・マクグラス先生は、もともとマルクス主義者、唯物主義の分子生物学を学ばれ、大学期にキリスト教の伝統を知らずに過ごすのはまずいかな、相手のことも批判する以上はよく知っておくべきだ、ということからキリスト教の歴史をおっかけ始め、結果的に信仰を持ち、神学者になってしまったというミイラ取りがミイラになっちゃったような経緯をお持ちの方であったと記憶する。
・牧師先生方や神学者の方々には、もう少し他派の方々の動きや、聖書理解にも目配りいただいて、君には、こっちの方が合うかもね、みたいな他の教会を推薦するような、教会運営があってもいいかなぁ、と思いますし、そういうところをお願いしたいところです。自分のところだけで考えないで。
・躾と称する信徒が新入会員に対する嫁イビリまがいの対応や、旧大日本帝国陸軍も真っ青のいじめに近い初年兵ならぬ初年信徒教育(さすがにビンタはないと思うが、カルト化した教会では罵声を浴びせる、くらいはあるかもしれない)をしてみたり、ヒソヒソ話で他人を変えてみたり、説教で変えようとしてみたり、というのは、一種の教会内霊的バイオレンス(ICSV:In-Church Spiritual Violence )ではないかなぁ、と思うのです。

アリスター・E・マクグラス先生」については、過去ブログに言及がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170411)。

http://voiceofwind.jugem.jp/?cid=14


・おちいさい皆さんが教会学校にいなくなったのは、牧師の責任か、教会学校の教師の責任か、という面白い問題提起をしておられた
・日曜学校に子供が減った理由は、まず、子供の絶対数が少ないというのはあるだろう。
・現実を知らず「祈ればなんとか」ってのもどうかとは思うけど。現実を見据えた上で、祈りをもって進むことが大事ではないか、と。
小学校に行くと空き教室がガラガラ、デイケアセンターになったり生涯学習センターなぞに施設転用されたり、地域の集会所に転用されたり、団地付近の小学校だと、割と活躍期間が短いまま(たとえば、10年未満)、閉校の憂き目にあった小学校も多い。
・日曜学校の時間帯、子供はテレビにとられ、塾にとられているのだ。
・日曜学校は、定かではないが、炭鉱労働者でもあった子供たちの唯一休養日の日曜日に、読み書きを聖書を通じて教えるという教会の一種の貧困者への対策も一部にあったかのように記憶している。
・この35年余りの間に、中学生の多忙化(学校(クラブを含む)なのか塾なのかはよくわからないが、急速に中学生が日曜日の午前中に拘束されている中学生の比率が高いことがわかる。
・日曜日は聖なる日であって、学校行事を入れるべきでないというのは、原理原則を考えれば、キリスト者としてそうは思うが、学校の方や塾の方では、それを恐らくは理解したり、対応してくれないだろう。社会の多数派はそうは思っておられないからである。それを変えてくれ、といったところでも、無視されるだけであろう
・当初、このような社会的に影響力の強くない、社会的弱者、病者、孤児を中心に奉仕することで伝道していたものの、その悪影響として、これらの信仰は弱者の信仰であるから、何らかの対応を取らねばならぬ、ということで、大名クラスへの伝道へと方針転換したことを大河ドラマキリスト教監修(竜馬伝と官兵衛は直接講義中「監修した」との言及があった)を多数しておられる上智大学の川村先生は、最近の公開講座でご指摘であった。
・殿がキリシタンになられるのであれば、我等も、とその配下の家臣団が入信し、そして、家臣団以外の地域住民も、ワシらの殿さまがキリシタンなら…と陸続と入信した模様である。だからこそ、その影響が大きくなり、自分自身の国家建設、豊臣家による統治の障害となりかねないため、秀吉君は伴天連追放令をだしたのだろう。
ニュータウンでは、それら宗教関連施設がないことの方が普通であり、新興住宅地では、宗教空間から空間的にも切り離されている。これで無縁社会とならないほうが不思議
・習いごとといえば、ピアノ、習字、そろばんが主力であったが、1970年代以降において、小中学生においては、いわゆる受験志向型、(学校の授業内容のキャッチアップを目指す)補習修型の両方を含め学習塾のプレゼンスが高まっていく。そして、そこでの週1回から2回程度の塾施設での学習のために集合することで、また、塾などが提供する夏期学習機会などの機会を通して、一つの学校内に留まらない、やや広域の人々との交流が生まれ、『ソーシャル・キャピタル』が構成されていくことになる。
・この手のものに批判的な目を向けるキリスト者の両親のもとで育つと、これらのものに触ることが大きく制限されることとなり、そのため、これらのものへのアクセスを制限された子供は、その『ソーシャル・キャピタル』というか、ソーシャル・ネットワーク』は制限されたものになるのではないだろうか。その意味で、その子供たちは、子供たち社会の中でのリンク数はおのずと小さなものとなり、影響力の小さな個人(ノード)となっていると思われる。
・その時代を自分が過ごしたから、といって、その時代の生き方を現在の小中学生における理想とすることや、その姿で生きることを現代に生きる子供たちに強要することにはかなり無理があるのではないか
・明治初年頃の第2次キリスト教ブーム(第1次キリスト教ブームのキリシタン時代もそういう側面はあるが)においては、江戸末期から明治維新ごろにかけて、社会制度の激変の中でその存在理由を問われた下級武士、ある程度の実力者でありながら、社会から冷遇されたインテリのソーシャル・ネットワークの中で広がっていったという側面があるため、その中でのソーシャル・キャピタルを提供した、ということは言えるかもしれない。
・信徒訓練の場、信仰を以て間もない方のOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)的な伝道体験の場として日曜学校が用いられているのも確か。
・子供との広い意味での緩やかな連携やつながりや信頼関係を構成するものを、信仰者としての大人がもちえていないのにもかかわらず、教会の信徒さんや牧師さんのお家のお小さい方々のみに、教会のことをあまりご存知ないお小さい方々との緩やかな連携をもつことを期待するのは、いかがかと思うのですが。
・本来、多様性を持つ人々が公共空間であるべきはずの教会を単一的な社会となる一種の社会クラブのような存在にしてしまいかねない危険性を持つのだ。
・宣教地として、人を獲得する、人をとりあえず集めるという思考法から脱出し、人と出会い、神と人ともに生きるという思考法に移行するキリスト者キリスト教界に移行して行ってくれたらなぁ、と素朴に思う。

恐らくは、「人を獲得する、人をとりあえず集めるという思考法」が日本で好まれなかったのだろう。

http://voiceofwind.jugem.jp/?cid=40


・実は人口がめちゃくちゃ減っているということなんだと思う。これでは教会の維持が精一杯ではないか、と思う。人口減少の中での教会参加人数の地方部での拡大というのは、もともと地方部での人口がこれだけ減るのだから、教会人口も減るざるを得ないだろう。
・一部で日本の教会をコンビニ数並みにという暴論もあるやに聴くが、コンビニすら、もはや、このあたりの地域では激減するのではないだろうか。
・今、町村部の書店数はどんどん激減しており、地方部での書店は絶滅危惧ビジネスの一つであり地方部の町村部で書店飲みの営業で存続している書店はかなり少ないのではないだろうか。
キリスト教に関しても、有名講師の講演会があり、一般に公開されているとは言うものの、それに参加するためには、大抵の信徒にとっての業務日の月曜日(牧師の休業日なので、この曜日がイベント開催日として、選ばれることが多い)が多いし、更に東京でのみ開催されることが多いので、交通費はかかるは、下手をすれば、1泊になるわ、地方在住者にとっては、参加がためらわれる感じのことが多い
・距離は人の間に格差を生み出し、近い人は、影響を受けやすいし、遠くの場合、影響を受けにくくなるのであり、空間は差別を生み出したり、差別を強化するためにも用いられたりする。
・以前は、あるイベントをやらなくても、退屈しきっていた地域に定住している人は何事か面白そうなことがあると思えば教会に集まっただろうし、イベントをやれば、教会が人であふれた(たとえ、その中で、その後も継続的に教会に訪れる人はほとんどいなかったとしても、一応、福音を伝えた、宣教ができたという自己満足はできたのではないだろうか)のに、今では、その教会の存続している市域や周辺の領域の人口構造がそもそも変化しているので、地方部で、何かイベントを打ったところで人は集まらない。
・1分間に3人も生まれる社会で、テレビも各家庭にない状態であれば、そのような状態の昭和30年代中期には、日曜日の朝の日曜学校はほっておいても満員になったであろう。
・「ツイッターで反応があるのは極端なことを言ったときだけ、それもその反応は、地元から帰ってくるのではなく、東京や大都市のツィッターをしている人から帰ってくるだけで、ツイッターのその方の発言を見て教会に来ることはなかったなぁ」と印象深そうにおっしゃっておられた。ところが、東京でツイッターとかで写真をあげたり、Facebookでメッセージの要約をブログとしてあげたり、説教の録音をあげたりすると、かなりの反応があるとおっしゃっておられた。
ツィッターで拡散されても、地方部ではそれが大きな運動につながらない、というところはあるんじゃないかなぁ
・首都圏、関東圏では、SEALDsの動きが起きたとしても、東京での盛りあがりはかなり盛りあがりがあっても、関西では、それに連動した動きはちらちらと見られたものの、安保闘争の時のような大騒動や大衆運動とまでにはならなかった。
・学生や世間の側の関心が、昔は反対運動にしても単純であり、明確な路線対立があったこと、もう二度と戦争は嫌だというそれぞれの個人の戦争での悲惨な個人的経験が社会全体に広く存在していたことなどがあり、その観点から、安保反対で、一本化できていて、学生運動や労働運動など社会のさまざまな運動体が反戦争、反安全保障条約を目指して運動が一体化しやすい状況があったようにおもう
・現代では、理解関係が本来の複雑さを持ったものとしてみられ、社会の各層の関心事が多元化していて、妥当すべき対象がうっすらと焦点がぼけてしまっている
・明治期以来、日本では、外国人宣教師により、日本での拠点型での宣教活動が行われてきた。そして、その後日本人宣教師が、そのパターンを踏襲しながら、外国人宣教師たちと強調する形で、地方での拠点型形成型宣教が行われてきた。
・日本のキリスト教会にしても、外国や都会からの宣教師という来て帰る人達による運動と運営であって、それらの人が現地化のしないところにメリットがあったし、来る人は定住しないことが合理的であった。
・信徒が定住する社会での存在を大事にしたキリスト教でないと、面的な広がりを確保できないのではないか
・地元に戻ってくる、ないし地元から元々出ていかない若者は、基本体育会系、運動部系の人々が多く、文化部系のオサレさんたちは、都会に行ったまま、基本返ってこない
・高校生や中学生のころに分化部系の人々に熱心に伝道した結果、それらの人々が大学や就職で大都市に張り付き、東京などの首都圏や大都市圏では、やたらと教会ができ、キリスト教人口が集中し、地方での教会の礼拝出席人数が一けたになるという構造はある面、当たり前の様な気がする。
・平成の町村合併で、基礎体力の弱い弱小の自治体へは合併特例交付金や特別債権の発行ということで、町村合併が進められ、もともと3200ほどあった市町村がいまでは、1700ちょっこし程度にまで減っている。
・教会合併でも同じ教会でも、教会ごとに形成されてきた文化があり、その文化が違うと、摩擦が起きることはあるだろう。その辺の摩擦は不可避でもあるので、教会合同をあえて選ばず、教会閉鎖のようなかたちでの推移はありえるだろう。
・閉鎖や解散など、なくなった教会の信徒のその後の追跡調査(これは結構厳しいことに関する調査であるが)とかは、今後の教会の閉鎖とか廃止を考えた時に、今余裕があるうちにやっておいたほうが良い調査かもしれない。
・どうも北海道地区は、江戸幕府蝦夷地開発を始める前には、そもそももとからそこに住んでいる人びとがアイヌと呼ばれた北海道原住民の皆さんのみで、大半の皆さんは明治以降に北海道に流れ込んで来た住民が大半であることからか、寒冷地であるため、協調できずに孤立したら、下手すると死を覚悟しないといけないためなのからかは知らないが、割りとこのような文化的な違いがあっても、対等に付き合える文化があると聞いたことがある。
・本州になると、自治体の合併でもそうだが、あそこはもともと城下町だから、あそこはもともと農村だから、一体いつ頃の話か、と思われるような江戸期以前に遡る因縁話が続々と出てきて、まとまる話がまとまらないなんてことは結構ある
・地方部は厳しくて、都会の教会に信者さんを送り込み続け、そして、自分たちは、高齢化が進み、教会の建物とかの維持も困難になっているし、牧師は、2教会、3教会、4教会掛け持ちしている人は少なくなくて、その中で、どのように教会活動を維持していくのか、地域自体の高齢化と人口減少があるし、その中でのサバイバルってのはけっこう大変になるんじゃないか
・東京では、多様な教会があり、様々なタイプの人々に適応する教会があり、割と年齢段階やその人の聖書理解に合うような教会が見つけやすいかもしれないけれども、地方に行くと絶望的だし、教会と呼ばれるものがあるだけマシの地域もあったりするんですよねぇ
・教会籍を移さず、客員のまま過ごす信徒さんも信仰生活のあり方としては、少なくないかもしれませんねぇ
・都会に出てくると、地方には、教会の選択肢が殆どないとは言わないまでも、行く候補になる教会が限られる状況に比し、交通費をそんなに掛けなくても、様々な教会に出没できるし、キリスト教書にしても、出版されたその日に手に入るし、キリスト教書店の在庫にしたって、バラエティが非常に豊かであるし、都市部のキリスト教書店は、めちゃくちゃおしゃれとまでは言わないけれども、書店の雰囲気もかなり明るい。

(部分抜粋引用終)
仏教や神道はどうなのであろうか。考察テーマが幾つか含まれているブログだと思った。