「メムリ」(http://memri.jp)
Special Dispatch Series No 2663 Dec/3/2009(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP266309)
「私は青年時代、死を愛することを教えられた」
リベラルなインターネット・マガジンAafaq(www.aafagmagazine.com )のシニア・レポーターで改革派ライターのマンスール・ハッジ(Mansour Al-Hadj)は同マガジンに記事を掲載。その中で、サウジアラビアで青年期に受けたイスラム教育は、死の文化と殉教の栄光を強調したと述べた。また、スーダンでの学生時代に受けたイスラム主義政治宣伝の内容も同一のメッセージだった、と述べた。
以下は彼の記事の抜粋である(www.aafagmagazine.com)。
「サウジアラビアで育った際、私は生命を愛することを学ばず・・・学んだのはアッラーの殉教者としての死を愛することだった」
「インドネシアの首都ジャカルタで2つのホテルが自爆テロの攻撃を受けた後、友人が私に言った。『世の中は間違っていると思う。生命を愛することが人間の自然の本能なのに、人はなぜ自爆するのか』。私はこう答えた。『生命を愛することは自然の本能だが、アッラーのための死を愛することは(イスラムの)信条であり、信徒はそれによって生命の創造者に近づくことができる』と。
「私はサウジアラビアで育ったが、生命を愛することは学ばなかった。学んだのは逆に、アッラーの殉教者としての死を愛することだった。生命を愛することは偽善者(つまり、不実なムスリム)の特徴のひとつであり、生命を切実に守ろうとする者たちは、コーランが述べているように、異端者であると教えられた。ジハードに参加しない者、あるいはジハードの心構えのない者は、ハディースが述べているように、偽善者だと学んだ。
「私はこう学んだ。もしも、この世が蚊の羽ほどの価値があるとアッラーが思ったなら、ハディースが述べているように、アッラーは異端者に対し、この世の水をひとなめすることすら許さなかったろう。私は、こう教えられた。(いつの日か)存在をやめるこの世は、信徒にとって、そこから逃げようと望む牢獄だが、異端者にとっては天国であり、彼らはこの世にある全てのものを享受しようと望む、と。
「私は、アッラーが殉教者に与える高い位階についても学んだ。(その位階は極めて高いため)彼の身体は(死後)洗浄されない。殉教者に対し(一般の死者のために行う)祈りの言葉は語られない。なぜなら。洗浄は死体を清めるためだが、戦闘における殉教者の死はそれ自体が清めの行為であり(洗浄は不要)だからだ。
「(サウジアラビアの)ファトワ委員会(Fatwa Committee)と最高司法評議会(Supreme Judiciary Council)のメンバー、サレハ・ビン・ファウザン・ファウザン師(Sheikh Saleh bin Fawzan Al-Fawzan)は、こう述べた。『アッラーの言葉を高めるために異端者との戦いで死亡するシャヒード(殉教者)(の遺体)を洗ってはいけない。また、殺害された時に着ていた衣服以外の屍衣で包んではならない。なぜなら、殉教者を覆う血は殉教の徴であり、その身体に残さねばならず、洗浄して取り除いてはならない。救済の日に殉教者が立ち上がるとき、(その身体から)滴り落ちる血は麝香の香りを放つ。この血はアッラーに対する服従の結果であり、(殉教者の身体の上に)留まらねばならない。なぜなら、それはアッラーの仁慈(の徴)だからだ。(同一の理由で)殉教者に対して(普通の死者のための)祈りを語ってはならない。なぜなら、アッラーは彼に殉教という名誉を与えたからであり、これは(直ちに)彼を高みに置く。なぜなら、アッラーはこう述べているからだ。殉教者は(死んではおらず)『生きていて、彼らの主から食物を与えられている(コーラン第3章169節)』、と」
「(サウジアラビアで)われわれはまた、殉教者には6つの特権があると教えられた。(第一に)まさに最初の打撃から、彼は罪を許され、自分の場所を天国に見ることができる。(第二に)彼は墓場の苦しみを容赦される。(第三に)(審判の日の)大きな恐れを容赦される。(第四に)栄誉の冠が彼の頭に置かれる。この冠の宝石の一つ一つが、全世界以上の値を持っている。(第五に)天国の処女(Virgins of Paradise)のうち72人を妻とする。(第六に)彼の親族70人のためにとりなし(彼らが死後、天国で彼と一緒になることを確実にすることができる)。
「私は若かった時、同世代の者たちと同様イスラムの賛歌を聴いた。なぜなら、世俗的な歌謡を聴くことは学校とコーラン学校で禁じられており、これら歌謡を聴き、悔悟しない者たちはアッラーによって罰せられ、(熱く溶けた)鉛を耳に注ぎ込まれる。この(脅しには)付随する(あらゆる種類の別な)物語があり、説教師と聖職者がそれらを語った。
「(例えば)脅しに付随する話には、異常な速度で車を運転しながら(ラジオで)世俗的な歌謡に耳を傾ける若い男の話があった。(車が事故で)横転し、この若い男が死に瀕した時、救急医療士が(やってきて)シャハーダ(信仰告白)を述べるよう促した。しかし、若い男はシャハーダを述べず、(それまで聴いていた)歌謡の台詞を語った。これこそ、音楽を愛する罪のために(蒙る)不運な最後の証明だと教えられた。われわれが学んだ賛歌は、殉教者を賞賛し、ムスリムの母親に、息子の死を歓迎するよう促した
「イスラムの賛歌の内容のほとんどは、アッラーのためのジハード、世界中のムスリムの苦しみ、アッラーが殉教者に与える高位などだった。戦闘的な、熱狂に満ちた賛歌であり、若者たちの感情と熱情を掻き立てるものだった。また、イスラムを守り、その旗を掲げるために、ジハードの部隊参加の願望を呼び起こすものだった・・・(一部の賛歌は)母親たちに宛てたものだった。子供たちの死を受け入れ、息子の死をアッラーのための殉教者として誇るよう促した。
「これら賛歌のひとつのテキストがここにある。『おー、殉教者の母よ、泣くな、悔やむな。今日、あなたの息子は、期待された勝利の世代に(加わった)。皆に言え、私の息子は主のために生命を擲った、と。私の息子は誇りを持つ男であり、彼にとって死は生命である。幸運なのは、香りを体の回りに放つ花婿を受け取る天国の花嫁である。おー、殉教者の母よ、われわれはあなたを再び微笑ませよう。母よ、泣いてはいけない。私はイスラムの、身代金が支払われた人質であり、今日、信仰が私を召したのだ。(ジハードの)回避は禁止されている。あなたは私に天国の庭園について尋ねることができる。だが、現世は価値のない塵埃である。おー、殉教者の母よ、われわれはあなたを再び微笑ませよう。われわれは、アッラーとの、決して屈辱を受け入れないという取り決めに縛られている。われわれは真理の軍隊としてやってきた。われわれはイスラムの地を守っている。アッラーがわれわれを守っており、われわれは専制者を恐れない。おー、殉教者の母よ、われわれはあなたを再び微笑ませよう。
「私は生命を憎みながら成長した。私はアッラーに近づいたと感じ、アッラーへの愛が増せば増すほど、私は生命を憎み、(罪人を)嫌悪した。これら罪人は、不服従の行為でアッラー及び預言者と戦う者たちであり、正しいやり方━当然スンニー派の方法(と信じられる)やり方━でアッラーを崇拝しない者たちである。
「私はこう教えられた。アッラーのためにスーフィー(イスラム神秘主義者)を憎まねばならない、と。なぜなら、スーフィーは『禁じられているビドア(新奇)』に従う人々だからだ。私はシーア派信条も(また)腐敗していると教えられた。なぜなら、彼らは(4番目のカリフ)イマーム、アリー・イブン・アブーターリビ(Imam Ali Ibn Abu Talib)に過度な崇敬を示し、預言者の教友たちの悪口を言うからだ。
「異端者と非ムスリムを憎むことについて(私はこう言われた)。これは信仰にとって原理的なものである。なぜなら、ひとりのムスリムの心の中で、アッラーに対する愛とアッラーの敵に対する愛は共存できないからだ、と」
「(私の)コーラン学校の図書館の小冊子のほとんどは・・・ジハード戦士と、彼らが行った奇跡に関するものだった」
「(青年時代の)私は、ジハード戦士の2つのグループにあこがれた。(アフガニスタンで)ロシア人と戦ったアラブ人とアフガン人戦士、それにスーダン人の戦士だった。(後者は)スーダンで彼らの兄弟たち(同胞ムスリムの意)と戦っていた。しかし、彼らはそれをジハードと呼び、戦死者を『殉教者』と呼んだ。私は他の全てのサウジアラビア人と同様、アフガニスタンのジハード戦士の勇気と、彼らが行った奇跡に関する物語を読んだ。その内容は、彼らの傍らで天使たちがどのように戦ったか、また(彼らが殺害された時)彼らの遺体が腐敗せず、麝香の香りを放っていたか、というものだった。
「サウジ当局はこれらジハード戦士を助け、(サウジのイスラム法学者は)彼らを支持するファトワを(発出した)。これらの物語はわれわれに大きな感銘を与えた。(私の)コーラン学校の図書館の小冊子の内容はジハード、ジハード戦士、彼らが行った奇跡だった。私の記憶だと、導師がモスクの礼拝の終わりに、アフガニスタンのジハード戦士支援を(礼拝出席者に)呼び掛けるのが常だった」
私がスーダンで学生生活を送っていた時、われわれは皆、ジハード戦士の生活とその美徳に関するスーダンの連続テレビ番組を見た
「1998年末、私はスーダンで大学生活を始めた。(その際)私は、毎金曜日の晩に放映された(スーダンの)ドキュメンタリー『犠牲の戦場』に強い感銘を受けた。この番組を、世界の様々な地域からアラビア語とイスラムを学ぶためにやってきた学生たちは全て、熱心に見続けた。この番組では、戦闘前、戦闘の間、戦闘後のジハード戦士の(日常)生活を見せた。(この番組ではまた)ジハード戦士の指揮官たちの熱狂的な演説や戦士たちが朗誦する賛歌や詩も(放映された)。
「私は(この番組で戦死者、つまり)戦死した血気盛りの青春の男たちの生活を描いた場面を覚えている。これら殉教者の美徳、その言葉、その行為を描くナレーターの声をはっきりと覚えている。また、自分が(これら戦死者の)身代わりになりたいと本当に思ったことも(覚えている)。学生たちに大きな感銘を与えたこの番組は、毎週末に提供される“一服の”ジハード宣伝だった。2005年以降、この番組がどうなり、また、この番組の監督がどうなったか、私は知らない。この年、スーダンのイスラム主義者が、『アッラーの敵』と呼んできた者たちと和平協定に調印し、これら『アッラーの敵』はスーダン政府のパートナーとなっている。
「スーダンのイスラム政権はかつて戦争で死んだ殉教者のために『結婚式』を催した。このセレモニーで、殉教者と天国の花嫁との結婚が祝われた。これらの行事には、政府の代表も出席し、殉教者の家族にお金を与えた。この結婚式の最も重要な部分は、高位の役人の演説と、お悔やみにやってきた人々を煽る賛歌の歌唱だった。
「このスーダンのジハード主義宣伝の犠牲となって、同国の最善の若者たちが死亡した。スーダンのイスラム主義者は宗教を悪用して、アッラーのための死を切望する若者たちを徴兵した。(スーダンの)若者たちは競って『戦車キラー』の名前で知られるジハード部隊に参加し、殉教を求め、敵戦車破壊のための自爆を準備した。スーダンの政治家はこれら戦士を誇りとし、『敵は戦車を持っているが、われわれは戦車キラーを持っている』と語った」
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Special Dispatch Series No 2671 Dec/3/2009(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP267109)
「ムスリムが道徳的に優っているという考えは根拠がない」
サウジアラビアのリベラル、ムハンマド・ジャミル・クトビ(Muhammad Jamil Kutbi)は最近クウェート日刊紙シヤーサの記事で、アラブとムスリムが、自らを西側より道徳的に優っていると見なすのは正当ではないと書いた。彼はこう主張する、イスラムは平等、正義、慈善などの価値を掲げるが、これらの価値を実行する点で、西側こそムスリム世界に優っている、と。
以下は、この記事の抜粋である(シヤーサ紙(クウェート)2009年10月24日)。
「われわれが、西側の人々を・・・嘘つき、捏造者、犯罪者と非難するのは間違いだ」
「・・・われわれアラブ人とムスリムは、ユダヤ人とキリスト教徒がアッラーを認めない、あるいは恐れない、またアッラーの前で恥じない人々だと見なす。われわれはまた西側人、キリスト教徒、ユダヤ人が嘘つき、捏造者、犯罪者、高利貸しだと非難するが、それは間違いだ。
「われわれがまともに現実を見、(世界の)現状を注視するならば、また、ありのままの事実を検討し、われわれの住むムスリムとアラブの現実を━誇張、(空虚な)声明、欠点、弱点、諸問題を含めて━検討するならば、見出すのは、われわれはムスリムと呼ばれているものの、イスラムの特性、価値、諸原則を正しくは具体化していないことだ・・・
「われわれは、西側の人々が愛するのはお金とモノだけであり、われわれムスリムが彼らより優れ、禁欲を重んじ、敬虔で、慈悲深いと主張する。その一例としてわれわれが挙げるのは、預言者の教友のひとりアブドッラフマーン・ビン・アウフ(’Abd Al-Rahman bin ‘Awf)だ。彼は大金持ちだったことで知られるが、富の半分をアッラーのためのジハードの大義に寄進した。彼のこの模範行為にわれわれは大きな誇りを抱く。
「しかし、今日、世界で最も裕福で、最も有力なコンピューター会社のオーナーであるビル・ゲイツ(Bill Gates)という西側人がいる。彼は富の全てを放棄し、自分のために残したのは30億ドルだけだった。(その他は)貧しい、困窮者たちと、社会団体に寄付した。現在アラブとムスリム世界には、ビル・ゲイツのように世界の億万長者番付に載る数百人の金持ちがいる。しかし、彼らがゲイツのような人道行為を行っているという話は聞いたことがない。こうした人道的、イスラム的、文明行為を行っている金持ちのムスリムは、いったいどこにいるのか。
「アラブは、西側の人々が現世(の快楽)を愛し、権力を追求していると非難する、しかし、それは真実ではない。権力を愛し、それを聖別するのはアラブである。世襲支配の考えを発明したのはわれわれである。(この考えを)創めたのは、ウマイヤ朝の初代カリフ、ムアーウィヤ・イブン・アビー・スフヤーン(Mu’awiyah Ibn Abi Sufyan)だった。このアラブの(権力を求める)貪欲さは強烈で(イスラム世界)内部の抗争、戦争、書問題の原因である。
「ちなみに、(1945年)英国の人々は、彼らの有名な指導者(ウィンストン・チャーチルWinston Churchil)が、第二次大戦で首相を務め、(その戦争で)彼らに勝利をもたらしたにもかかわらず、(首相に再選)しなかった」
アラブとムスリムは自らの司法制度が世界で最も純粋、高貴、最善の制度と見なしている━しかし(実際は)政権とその仲間たちに支配された、欺瞞といんちき以外の何物でもない
「われわれアラブは(自分たちが)ごまかさない、嘘をつかない、だまさない民族だと主張する。しかし、自分たちが模倣のモデルと言うアラブの指導部は(確かに)うそをつき、人をだましている。(エジプトの故)ガマール・アブドッナーシル(Gamal Abdel Nasser)大統領は、選挙の捏造という考えを発明した最初のアラブの指導者だった。彼は自らの得票率を99.9パーセントとした・・・
「アラブとムスリムは自らの司法制度が世界で最も純粋、高貴、最善な制度と見なしている。しかし、実際は、まさにその逆だ。(われわれの制度は)政権とその仲間たちに支配された、欺瞞といんちき以外の何者でもない。
「優っているのは、西側の司法制度である。パリの裁判所は(最近)フランスの大統領(ニコラスNicolas)サルコジ(Sarkozy)の訴えを拒絶した。(サルコジは)大統領としての権威と力にもかかわらず、自分に有利な、自分の意志に沿った判決を出させることができなかった。
「預言者ムハンマドはこう言った。『アッラーにかけて言う。もし(私の娘)ファーティマ・ビント・ムハンマド(Fatima bint Muhammad)が盗みを働いたなら、その手を切断するだろう』。これはイスラムに沿った、正当かつ平等な社会の性質であり、これらは、ムスリムの支配の価値と原則である」
ユダヤ人は・・・公正と平等を実施する点で、われわれアラブとムスリムに優っている
「しかし、ムスリムの共同体は支配者と被支配者間の公正と平等という(イスラムの)価値と原則を実行していない。(今日のムスリム世界においては)支配者が、自分の好きなことを、自分の好きなように、自分の好きな時に行っている。
「他方(この点で)ユダヤ人はわれわれアラブとムスリムより優っている。イスラエルの(前)首相エフード・オルマート(Ehud Olmert)は収賄と職務濫用の容疑で起訴され、裁判に掛けられ、彼の党から、また首相のポストから辞任を強いられた。政治スキャンダルが氏のキャリアーに終止符を打った。これこそ公正と平等の例である」
「われわれはアイデンティティーや将来を持たない、また本質、力、意見、道徳、価値、原則などを持たない民族である」
「もし、われわれアラブ、ムスリム諸国で、指導者が裁判に掛けられたとして、何が起きるだろうか。それを考え、答えを見つけても、あまり怒ってはならない。最終的にたどり着く結論は、われわれがアイデンティティーや将来を持たない、また本質、力、意見、道徳、価値、原則などを持たない民族ということだ・・・」
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(引用終)