ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

二十年  さまざまな感慨

日経ネット』(http://www.nikkei.co.jp


社説2 「象徴天皇」を形にした20年(11/11)

 天皇陛下が即位から20年を迎え、あす、政府、民間主催でそれぞれの記念式典が開かれる。

 平成の時代の流れと重ね合わせれば、「つねに国民とともにあり、国と国民のためにつくす」という新しい天皇像が定着しつつあることに誰もが気づくだろう。天皇陛下と、陛下を支えた皇后陛下の歩みを振り返ると、一貫した姿勢に強い意志を見る思いがする。
 天皇陛下は今の憲法の下で即位した初の天皇だ。憲法第1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する国民の総意に基づく」と定めている。しかし「象徴天皇とは何か」に用意された答えはない。
 天皇陛下はことし4月、「象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っている」と述べられている。
 この言葉に天皇陛下の20年が凝縮している。
 平成は「内平(たいら)かに外成る」「地平かに天成る」という中国古典の文言から、内外、天地が平和であれとの思いを込めてつけられた元号だ。しかし、この20年が平らかだったとは、とても言えない。
 バブルの絶頂と崩壊、その後の「失われた10年」があった。雲仙普賢岳噴火、阪神大震災などの災害もあった。鳩山由紀夫首相は平成で15人めの首相だ。政治が不安定だった証しである。少子高齢化は進み、昨年はリーマン・ショックが襲った。
 こうした中、「国民が何を期待しているか」を思い続ける天皇陛下の姿勢にはブレがなかった。被災地や福祉施設でひざをついて人々に声をかけられることに、いま違和感を持つ人はほとんどないだろう。しかし、天皇がひざをつく姿など想像できない時代があったのである。
 戦没者の慰霊を通じ平和への思いを示すことや即位後32カ国に上る外国訪問なども含め、陛下は積極的な行動によって象徴天皇像を作りあげてこられた。その像は国民の期待に合致していると言っていいだろう。
 しかし、そのため公務の負担が重くなりすぎたのは否めない。陛下は来月23日に76歳になる。即位20年を負担軽減のきっかけにしてほしい。

海外に出ると、天皇・皇后両陛下のご誠実で率直なあり方が実感できるという得難い経験をしました。皇后さまから、思いがけず、直接お言葉もかけていただきました。1991年10月2日、マラヤ大学でのことです。この時のテレビ放映を、弟が黙ってビデオに撮ってくれました。また、この時のことは、朝日新聞朝刊『』にも掲載していただきました(2006年6月22日)。
というわけで、今日は2時から3時20分まで、NHKテレビで祝賀記念式典を見ていました。ペシャワール会中村哲医師が各界代表9人の1人に選ばれていた点、一つのご見識に触れた思いがしました。また、樫本大進小山実稚恵さんや堤剛氏によるシューベルトピアノ三重奏曲もすばらしかったです。唯一残念だったのは、変なところで拍手がわいてしまったことです。
マレーシアでは、日本軍占領を経験しているにもかかわらず、現在の天皇制については、概ね日本人の大半の気持ちを尊重してくれる人々が多く、きちんと区別して見られているんだなあと、ありがたく思いました。雅子妃のことも、「ハーバードを出ていてブレインがあるから、皇室では大変だろう」と同情までされました。一方で、「日本人クリスチャンは天皇制に反対している人達で、被差別部落の出身者は皆クリスチャンなんだろう?」と、わざわざ私に聞いてきたキリスト教の指導者もいました。それに対しては、やんわりと「皇族やその親戚の中には、ミッションスクールなどを通してキリスト教の影響を受けた方々もいらっしゃるし、お世話する人々にも、カトリック聖公会や無教会などのクリスチャンが少なからず含まれていましたよ。こういう話は、時々、一般向けの本や月刊誌などに掲載されるので、いわば公然の秘密です。知っていても、あえて我々は言わないのです」と反論しておきましたが、困ったものです。
というわけで、今日は生協で買い物のついでに、『文藝春秋』12月号を買ってしまいました。たまには読んでおかないと、世論に疎くなって、上記のマレーシア代表者のように偏った見解を持ってしまいそうですから。