ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

平穏な日々を求めて

というわけで、おとといと昨日は大変でした。
こういう時には、たっぷり栄養とゆっくり休養をと思い、私も一緒にのんびりさせてもらいました。昨日は勤務先に近い病院へ二人で行き、しばらくはそこに通うことに。救急センターもその病院も、ドクターがやわらかい関西弁で、敏捷かつ大らかに対応してくださり、こちらの緊張もほっとほぐれました。いいお医者さん達でした。こういうところで、腕が試されるのですね。そして、若い看護師さん達の笑顔や丁寧な言葉かけも、本当に助かりました。
と、思っていたのですが、夜になって突然寒がり、化膿でもしたのではないか、と冷や冷やもの。なんとか朝を迎え、今日からやっぱり仕事に行くというので(このご時世ですし)、いざとなったらその病院にお任せしようと、見送りだけして、私も通常に戻ることにしました。心配していても、仕方ないですからね。一応、平日なので、バスに乗り込めば、倒れたとしても、何とか見ていてくれる人もいるだろう、と信頼して...。
念入りに掃除したつもりでも、まだ血の跡が道のあちらこちらに残っていて、痛々しかったです。雨で流れるのを待つしかありません。
掃除をしていた時、妙なことを思い出しました。しばらく前まで、町内の特別老人養護施設へ、月一回、シーツ交換のボランティアに行っていました。若い人や私と同世代の人ではなく、大抵は、定年退職したおじさまおばさま達とご一緒でした。阪大名誉教授も参加されていました。私も、いずれは自分もお世話になるかもしれないからと思って、一生懸命、シーツの折り方などを覚えようとしていました。その時です。ふと横に近づいてきた牧師(私より数歳年上)が、小声で、「いいことしてると思ってやってんですかぁ?」と嫌みを込めたようなニュアンスで聞いてきたのです。あまりに予期せぬことで、何と反応したらいいのか戸惑いました。
このブログでも以前書いたように、私より少し上の世代以降の牧師の中には、質の低下が目立ちます。もちろん、中には熱心ないい方もいらっしゃるのだろうということも踏まえてですが。
おとといの朝は、血まみれの階段を掃除しながら、耳元でまた、(いいことしているつもりなんですかぁ?)(あなた、ほめられたいのぉ?)(精神状態がおかしいんじゃないんですか)という変な声が聞こえてきたような錯覚を持ちました。なぜ、そんな声が蘇ってきたのか、自分でも不思議でした。
これが世間を知るということでもあるのでしょう。こちらは必死なのに、その真剣さをあざ笑うかのような言動をとる人が、牧師の中にもいるという、いえ、大学関係者の中にもいるという、信じられないような常識外れが現存するということです。
もちろん、その件については、しかるべき役職の方に伝えました。すると、「いつまでもいてもらうわけじゃないから。あなたは心得しはるから、いいのよ」とのお返事。ただ、その当事者は、「自分はずっとここにいる」と私に断言しましたから、なかなかやっかいです。
とはいうものの、世の中、悪いことばかりじゃありません。昨日は久しぶりに南メソディスト大学のロバート・ハント先生からメールが届きました。今、オフィスの引っ越しでずっと大多忙のため、「返事が遅れて申し訳ない」という内容でした。古くからの知り合い(といっても面識はありませんが)からの短い便りは、本当に心を和ませます。そして、何だかんだいっても、マレーシアのこのテーマを続けてきた意味があった、と感じる瞬間でもあります。そうでもなければ、狭い人間関係サークルで、やりくりに専念するような鬱屈した心境にあり続けたかもしれませんから。
平穏で平静な日々が最も大切、そうつくづく思った数日でした。自分の価値観は、自分で守っていくしかないのです。

ところで、サウジアラビア発行の“Let the Bible Speak”は(参照:2009年1月30日付「ユーリの部屋」)、予想以上に、正直に言ってやりきれなくなるような冊子でした。この頃読んでいる池内恵氏の『イスラーム世界の論じ方中央公論社2008年)(参照:2009年1月12日付「ユーリの部屋」)の記述をまさに裏付けるような内容です。あんまりなので、わざわざ訳して紹介するまでもないかという躊躇もかなりありますが、ナイーブなクリスチャン達の聖書頒布が、こんな結果を生んでいる側面もあるのだという意味で(参照:2007年11月16日・2007年11月25日付「ユーリの部屋」)、また端くれリサーチャーの義務ないしは責任として、いずれは、このブログで簡略にご紹介することにしましょうか。
こんな時だからこそ、102歳までお元気でお仕事を続けられた故石井桃子先生から学ぼうと、『幻の朱い実』()(岩波書店(1994年)を近所の図書館から借りてきました。