ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

深く考えるきっかけに

学会会報が届きました。3月に発表した私の名前と発表題目も掲載されていて、何だか今となっては、遠い昔のことのように感じられます。
そろそろ気分を変えて、新たに発表申し込みの準備もしなければなりませんね。

詳細は書きませんが、今回のことで、いろいろと深く考えるきっかけにはなったと思います。実を言うと、長年、あまりに自明のことと習慣的に思っていたのと、現実にはさまざまなやり方や考え方があるという事実そのものに対する許容感覚から、それほど専門的に考えることがなかったというのが、正直なところ。わけのわからない騒動には巻き込まれたくもなかったですし。
とはいえ、アメリカ合衆国の合同メソディスト教団の牧師兼南メソディスト大学神学部教員のハント先生にまで質問したりして(参照:2011年6月5日付「ユーリの部屋」)、(日本人は一体何をやっているのか)と、笑われているかもしれませんね。もう、ここまで来たら、恥さらしもいいところ。でも、ある資料によれば、「合同メソディストがそのようにしている」と断定調で書いてあったそうです。これも、原文に当たって確認すべきことで、ここが最もショックだったのですが、それに関しては、誤解ないしは偽りの是正、という意味で、自分で尋ねた意味はあったのかもしれません。
それから、伝統に従っている人々の方が、落ち着いていて、充実した雰囲気を兼ね備えているように感じています。それは、新たに社会運動のような事を起こそうとすることが、どれほど抵抗に遭い、エネルギーを要するものかを考えれば、自然に納得もいきます。もし、何らかの変革を求めて運動しているところに生き甲斐を感じているとするならば、それも一方法。ただし、異なる立場の人々や外部の人々に与える影響も、少しは考えた方がいいのかもしれませんね。
そういえば、隠退牧師の方から、数年前に「あんた達の団塊の世代は、何を考えているのかわからない。うちの息子も、日本のキリスト教を改革するんだって言ってますがね。私にとっては、わけがわかりません」と言われたことがあります。「いえ、私はバブル世代であって、団塊の世代ではありません」とお返事しましたが、伝わったかどうか。ついでながら、「聖書学をしっかりやっていなかった副牧師がいた頃、こちらも苦労しました」とも、おっしゃっていました。

ともかく、その時には意味が理解できなかったことが、やっと今になって(あ、このこと!)と思い当たるようになりました。