ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

今にして思えば

今夏は、原発問題との兼ね合いから、エネルギー削減の呼びかけがありました。もともと、ほとんどエアコンも使わない夏をずっと過ごしてきましたが、(今年が酷暑だったらどうしようか)という春頃の杞憂はどことやら、かなり涼しい夏で助かります。特に、私の住む周辺は、低い山が近いせいか、朝夕、ヒンヤリした毎日が続いています。
改革長老教会の季刊誌の部分複写を読み続けています(参照:2011年8月22日付「ユーリの部屋」)。1990年代初期に、マレーシアで知り合った日本人女性のお母様が改革教会の牧師夫人で、関東から神戸に来て教会の仕事をするのに「本当に苦労した」との述懐をうかがったことがあります。何だか、ここ数ヶ月の一連の出来事を振り返るにつけ、遅ればせながら、やっと意味がわかりかけてきたような気もしました。
改革派というと、学問的に高度でしっかりしているものの、教理の実践に厳しくて、長老がお目付け役として、教会員内外の言動を監視されているような勝手な先入観を持っておりました。でも、今回、少しずつ考えを改めさせられています。「教派の多様性を認め合うべきだ」とは、よく聞く話ですが、それにしても、実情がある程度わかってくると、改革長老派の諸先生方にとっては、相当の忍耐をもって時間をかけて待っていらしたのではないか、と。
既に19年ぐらい前から、勇気を持ってきっちりと、ある人々(教職者)の誤りを直言されていたことも知りました。繰り返しになりますが、以前から直感的に、何かいかがわしさのような疑いを持っていた私自身(参照:2011年4月7日付「ユーリの部屋」)、今回、時間をかけて、全く単独で原文資料に一つずつ当たりながら確認してきたのですが、「どちらが学問的手法としても社会倫理面でも信頼できるか」という点で、最も抵抗なくすっと読めるのが、改革長老派の立場です。国内外でのご実績も、(みずから喧伝・吹聴して回らなくても)相当あります。
文献の読み比べをしていて、正直なところ、どうしてこの種のものが「業績リスト」に挙げられるのだろうか、という杜撰なものや、雑で荒っぽい同じ話の繰り返しも見てしまいました。(皆、忙しくて専門外のことには構わないから、誰も気づかないだろう)とでも思っていらっしゃるのか、あるいは、(教会信徒達は無知で従順で、勉強していないから、「肩書き」や「威厳」を有する以上は、楯つく者もいないだろう)と軽く見下げていらっしゃるのか....。嘘でも繰り返せば真になる、とばかり、あちらこちらで数をこなせば、同調者が増えるとでも考えられたのでしょうか。
ところが、世の中、そこまで甘くはないんですね。突然、ひょんなことから現れた私のように、専門外のくせに(生意気にも)調べ始めてしまったという....。
「自分達が政権を取ったと思って、大学紛争時の怨念を晴らそうとしている。教団史を書き換えようとしている」「今の教団、異端審問みたいなことする。対話が成り立たない」という意味の話を直接うかがったのは、数ヶ月前のこと(参照:2011年6月8日付「ユーリの部屋」)。その場では、(怖い話だなあ)と思うと同時に、一方では(でも、著作を読んだり、間接的な知り合いの先生も何人か含まれていて、そんな印象を持ったこともなかったのに、どこか変だな)と。単なる権力闘争にしては、腑に落ちない点もあったのです。
その数ヶ月前には、「20年間、言い続けても、日本キリスト教団の人達はわかってくれない。あんまり偉そうに物を言うから、腹を立てているんです」というような話も、直接、聞きました。その時は、(何をおっしゃっているんだろう?まぁ、私の専門分野じゃないから、関わらないでおこう)程度に思っていましたが、今から振り返れば、予想以上に事は深刻だったのでした。どうして理解されないのか、その理由を尋ねたかったのですが、そもそも、かなり前に、既に出版物で「土台となる記述そのものに誤解や歪曲があり、使用に耐えないものだ」「残念ながら、自分の主張に都合のよい部分だけ切り取って引用している」「この時期には、偏った文献が発行されてきた」という判定が、複数の専門家によって下されていたのです。
ご本人は、もしかしたら、ご自分のなさってきたことに対して、心底よかれと思い、やましい点はないと信じていらっしゃるのかもしれません。それはともかく、両者の話を公平に聞いて判断するというのが、今風のやり方のようですが、その場合、どこか言いくるめられてしまい、情緒に流されてしまいがちです。だからこそ、客観的に納得できるまでに、私もここまで時間がかかってしまったのです。
でも実際には、本当のことを確認したかったら、やはり、古い時代からのその筋の文献資料に広く当たるのが、最も確実です。もっとも、専門家同士でも、忙しくて、なかなかそこまでは踏み込めないのでしょうが。