ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

そう言えば.....

学会用のパワーポイントを作っていて、(そうだ、私は21年前、マレー人の学生達に日本語を教えていたんだ!)と、改めて気づきました。
今更何を、と馬鹿みたいですが、当時を振り返ってみると、(自分の母語ムスリム学生に教える以上は、相手の宗教と言葉に最大限の留意を払うのは当然のことだ)と、若気の至りから一図に思い、もう必死でした。ついでながら、帰国後、そういう私に対して「この人の人生、終わってるね」と、嘲笑した(本当です!)大学の先生方や同級生達も何人かいました(参照:2007年6月25日付「ユーリの部屋」)。
ところが、9.11テロ発生をきっかけに、突然、手の平を返したように、「ムスリムの多くは平和に暮らしていますが、テロに走る人は少数です」などと、当たり前といえば当たり前のことを、しかしムスリム社会の現状の複雑さをよく知らないで公言する人々が目立つようになりました。こちらにしてみれば、啓蒙や外交上の言説だとはわかってはいても、(何だか、調子いいよねぇ)と、いささか不満。
現地語も知らず、現地に住んだこともない人が、どうして自分は権威者だと言えるのか、本当に不思議です。ハートフォード神学校のブラックバーン先生が、「宣教師達は、現地に長く住み、現地語を習得し、深く土地の人々と交わってきた。日本人は何もしなかったじゃないか」とおっしゃったのは、2005年8月のこと(参照:2008年4月14日付「ユーリの部屋」)。リサーチや勉強を進めるにつれ、マラヤ・マレーシアのこの分野に関しては、残念ながらそれは妥当だ、と肯定せざるを得ません。