ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

悲憤慷慨

昨日は、久しぶりに実家の父から封書が届きました。環境に配慮してか、一度使った封筒を裏返して作り直した封筒で送ってきたのです。元の切手が貼ったままだったので、ここで私が切り取って社会福祉協議会に送ればいいわけですね。
それにしても、ここ15年ほどの大学改革や政治社会改革には、目を覆うような悲惨な思いです。主人の母方の亡くなった伯父さんは旧制教育を受けて大学に進み、化学を専攻したのですが、もし農地改革で土地を失わなければ、そのまま大学に残って研究を続けていたようなタイプの人でした。また、私どもの結婚式では、「ユーリさん、誰が何を言おうとも、学問する人を僕は尊敬する」と応援してくださいました。もっとも、それは大きな勘違いというもので、私のしていることは、マレーシアに関する限り、繰り返しているように調べ事であって、学問どころではありません。(だから、今から勉強をし直すのです!)そういう世代の方達が、一つ一つ、戦後の混乱期を懸命に働いて、豊かな時代を築いてくださったのに、ここまで崩して申し訳ない限りです。
うちの父は新制一期ですが、故前田護郎先生のご著作によれば、「今後の大学には、旧制の学生とはまるで基礎教養のレベルの違う人々が入ってくるのですから」とはっきり書かれてありました。それでも、実家には、英文学、独文学、仏文学、明治文学など岩波文庫の本がずらりと並べてあり、六法全書やら経済の本もあって、子どもの頃の私は、それなりに圧倒されていました。なぜならば、高校時代から既にドイツ語と英語を履修していたと聞いていたからです。私など、英語だけでも不満足な成績だったのに...。(先生は褒めてくださっていましたが。)大学入試なども、授業さえしっかり聞いて、高3の秋からちょこちょこと受験勉強をすれば、大学ぐらい入れる、とよく言っていました。そして、小学校から高校2年までは部活で体を鍛えよ、いろいろな友達の間でもまれよ、アルバイトでは接客業や裏方仕事をして、人に頭を下げる仕事を選べ、と言っていました。素直な私(?)は、大学1,2年頃までは、短期アルバイトとして、野菜を包む仕事や喫茶店和食店でのウェイトレスもしていました。
(なので、某キリスト教系大学のチャペル・アワーの奨励集を読んでいた時、経済学部の先生が「この大学に入った以上は、コンビニでアルバイトなんかしてもらっては困る。市場価値を計算して、自分の実力に見合ったいいアルバイトを選びなさい」とおっしゃっているのを知って、愕然としました。こわいなあ...。私の母校では、理系の場合、苦学生のようなアルバイトをしている人の方が、就職率もよく、成績がよさそうに見えたのですが。)
父方母方の祖父母の代には、医学系の大学関係者が何人かずついましたが、世代が下るにつれて、まずは安定した仕事で確実に食べていくことが優先されたこと、以前も書いたように、マルクス主義の思想に影響された先生方から、学力に不平等があってはならない、という教育方針があったために、こんなありさまになってしまったのでしょうか。(←人のせいにするな!)
数日前に届いた『みるとす』には、内容が難しいという指摘を寄せた読者の話が掲載されていました。編集者は「次号から考えます」と書かれていたのですが、またもや憤慨した私は、アンケート葉書に次のように書いて送りました。(注:正確な引用ではありません)

お金を払って読む雑誌の内容が高度だからといって、自分の水準に引き下げよと編者に要求するとは何事か。本を読むのは、自分の理解を少しでも高めようとするからであって、わからないなら恥ずかしく思いつつ精進すべきである。長い歴史を有する異文化を理解しようとしているのだから、難しいのは当然である。この頃は、新聞の活字も大きくなって薄っぺらな記事が多くなり、自分が受けた教育が半分否定されているようで不甲斐ない。人生半ばを迎え、これからは言うべきことは遠慮せずに言っていかなければならないと思うようになった。これも『みるとす』の教育効果であろうか。