ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

人生はマラソンのごとく

しばらくブログをお休みしていました。少し時期外れだけれども、先週はバスに乗って、(アルバムによれば)幼少時に訪れたことになっている夫婦岩伊勢神宮へ、日帰りで行ったりもしました。昨日はちょうど、現像された写真が届きました。
静かで青々とした透明感のある夫婦岩の海、茶色と白色の鶏が散策していて、広い敷地に高い巨木がそびえている伊勢神宮の境内、確かに、すがすがしい気分になりました。必要だった気分転換として適切でしたし、道中、知らなかった巧妙な現実にも触れることができました。(伊勢うどんや伊勢えびせんは、味が今一つで、お値段の割にお土産には不適切かな、と発見したことも得難い経験!)

数年前に、緒方貞子先生の仕事日記の抜粋のような本を読んでいた時(参照:2007年12月11日・2009年2月16日付「ユーリの部屋」)、「伊勢神宮へ参拝」という記述が目にとまり、カトリックは戦時中も神道は宗教ではないと解釈することで、儀式に従う参拝を許していたことを思い出した次第です。あのような立場にある方は、表向きでも儀式に出席する義務があるので、大変だなと...。伊勢神宮へは、皇族や首相や閣僚も節目ごとに参拝されているということで、こういう時期だからこそ、その意義を自分なりに考えてみたいと思ったのがきっかけで、ちょうど運良く、機が訪れました。

ところで、話は変わりますが、ドイツ語の関口一郎先生が2001年に50代半ばの若さで亡くなられていたことを、たった今知りました。大学入学直後から、ラジオと併行してテレビでもドイツ語講座を週4回(含:再放送)見ていましたが、小塩節先生と別講座で出演されていたのが関口先生。あの頃、ちょうどドイツ語学習に変化が訪れていたようで、小塩先生は、いかにも旧制の教養ドイツ語紹介。それに対して、関口先生は、ご自身ではあまりドイツ語を口にされず、少し前屈みのラフな長髪の姿でご登場。NENAの"99 Luftballons"のポップ・ロックなど、現代ドイツをあるがままに紹介するというスタンスだったように思います。(当時の私がジャーマン・ロックを覚えたツールの一つがNENAで、初めて軽音雑誌なるものを手にし、来日公演中、名古屋でのコンサートにも友人を誘って出かけたぐらいです!LPレコードも数枚、アルバイトの貯金をはたいて買いました。)また、リヒテンシュタインの国王夫妻から祝宴で話しかけられた先生が、すっかり上がってしまって、「あの〜、あの〜」と、しどろもどろになられていた一シーンもあり、(え!アーヘンに留学もされた慶応大学の先生なのに?)と、びっくりしたことを覚えています。
関口先生といえば、連想するのが関口存男氏のドイツ語本。私自身の好みでは、勉強という以上は、小塩先生や関口存男氏のやり方に傾きがちだったのですが、NENAでもわかるように、関口一郎先生のおかげで間口が広がったように思います。1980年代に小塩先生がテレビのドイツ語講座を退陣される際、「これからはもっと若い人にバトンタッチを」とおっしゃっていました。(どういう意味なんだろう?)と思ったことまで記憶しているのですが、多分、関口一郎先生あたりから、使える生きたドイツ語会話を、という流れができたのでしょうか。
ただ、かつて日本語を留学生など外国人に教えていた身からすると、会話中心の外国語学習は、実用の機会がなければすぐに忘れてしまうものですし、相手次第ということもあり、内容は際限なく広がるため、それほど身になるとも思えません。また、教える方は、教材作りに膨大なエネルギーと時間を要するものです。基本会話は必要ですが、やはりきちんとした文法と語彙力と読解が重要かと思います。
それが証拠に、最近では、また小塩先生がラジオ講座で教養ドイツ語を披露されています。ぺらぺら話せても、こんなことも知らないのか、という世代が出現したからでしょうか。または、古い世代が、過去を懐かしんでのことでしょうか。
それと関連して、もう一つ驚いたことは、ブリティッシュ・カウンシルの京都センターが2005年6月に閉鎖されていたばかりか、大阪センターも2010年9月に閉じられていたことです。京都の方には、十数年前に一度訪れたことがありましたが、コースを選択するのにどこかためらいがあり、その場限りでした。いやぁ、それにしても、さしもの英語産業も、バックに英国がついていても、インターネット使用者の拡大なのか財政難なのか、縮小の方向にあるのですね。これも世の栄枯盛衰といってしまえばそれまでですが。
最後に一つ、元気づけ話題を。私の学生時代には、「なまじ外国語ができるとかわい気がない」「記憶が落ちるので、歳をとってからでは勉強は不向き」など、偽悪主義かつ不真面目の勧めのような風潮が、活字文化の上でもありました。そういう発言をしていた人達は、今いづこ....?
というのは、50代になってからも、ドイツ語やフランス語で検定試験の上級に合格したり、長い海外勤務を経た後に修士号を取得したり、など、長寿高齢化社会に対応するかのように、ずっと学びを続けている元気な人々が案外多いことに、今、気づいたのです。そういう人々の世代から勘案するに、ふざけた文章を活字にしていた人達が一部席巻していたのにも関わらず、それにみじんも影響されずに、能力を高める努力を維持していることになります。
昔は私も、20代が最高の時期で、後は脳細胞が減って下降するばかりだとさんざん聞かされてきたので、毎日焦って不全感しか残っていませんでした。でも、現実には、30代以降でも、新たに獲得できた知識や能力および意欲もあることが証明できたのです。根拠なき積極思考は危険ですが、やはり明るく前向きにいたいものです。マラソン同様、最後まで完走しなければ、結果なんて誰にもわからないものですから。