ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

昨日の補足

12年前に、東洋文庫から出ている『ラッフルズ』と『アブドゥッラー物語』を読みました。昨夜、部分コピーを読み返してみると、少し翻訳の間違いがあったり、資料が不足しているような印象を持ちました。当時は、恐れ多く緊張しながら、「これぐらいの本が書けるようにならなければ、学会に出る資格がないんだ」などと思いつつ、読んでいました。しかし、時が経ち、自分なりの勉強も進み、インターネットなどの環境も整ってくると、こんな私でも、過去の文献に問題を見つけることができるようになるんだなあ、と少々うれしくなってきました。もっとも、ご出版当時の水準でいくなら、相当のレベルであることは言うまでもありません。
特に、前者の著者である信夫清三郎先生は、名古屋大学法学部名誉教授で、恐らく、私事ながら、実家の父も法学部出身ですから、存じ上げているはずです。日本評論社から1943年に上記本を出されたのですが、一週間で内務省によって発禁とされました。外交官のご子息でいらしたので、当時の日本の位置づけがよくおわかりで、一種の警告を発する意味もおありだったでしょうに、本当に残念な処置をされたものです。

また、2001年から購読しているInternational Bulletin of Missionary Researchのバックナンバーを調べていたところ、サラワク伝道のパイオニアであったMcDougall Francis Thomasに関する論考が、2007年10月号に掲載されていることを知りました。この方のお名前は、拙稿に入れさせていただいたことがありますが、2005年に出したものなので、一足違いでこれまた残念でした。記事には、英国の教会指導者と、サラワクに派遣されて地元の人々と接していたMcDougall氏との間で、「キリストによる救いの概念」にずれが生じたことが書かれてありました。これは、非常に重要なポイントです。多分、アフリカなどでも生じた問題でしょう。以前、テレビでも報道されていたと記憶しています。
もし、その記事を拙稿中に含めることができれば、査読者からの‘勘違い’コメントが軽減されたかもしれないのにと思うと、至極悔しくてなりません。
一方、キリスト教関係の専門雑誌は、ある程度継続して読まなければ、本当のところはわからないのだ、とも思いました。上記のIBMRについては、「かなり保守的なキリスト教神学を有している」という説明を受けたことがありますが、実際のところ、それほど単純でもなく、例えば、故David Kerr教授も論考を寄せられています(2007年10月20日・2008年7月12日付「ユーリの部屋」)。
こういう勉強は、昨日のブログじゃありませんけれど、基本的に単独で行なってきたもので、結局は、環境の問題でもあります。限られた条件下で、適切な指導教官に巡り会えなければ、自分で勉強するしかありません。昨日書いた内容は、ですから、見方によっては、それほど事は深刻なのだ、ということです。協調性がない、とか、人のせいにして自分の枠に閉じ籠っている、などという誤解が生じる恐れも皆無とはいえません。

ちょうど今、注文した本2冊が届きました。私の関心事にぴったりで、ページを繰りながら、わくわくしました。引用文献も、手持ちのものと重複していることが多く、一人で勉強してきた割には、私自身のセンス(?)もそう悪くはないんだ、と自信が出てきました。特に、最初のものは、ハートフォード神学校の先生が書かれたものです。2冊目の著者については、2008年5月22日付「ユーリの部屋」で言及済みです。

Jane Idleman SmithMuslims, Christians, and the Challenge of Interfaith DialogueOxford University Press, 2007.
Sidney H. GriffithThe Church in the Shadow of the Mosque: Christians and Muslims in the World of IslamPrinceton University Press, 2008.