ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「ぼく、バカちゃんじゃないもん」

10歳年下の弟が、まだ4,5歳くらいだった時のことです。他愛ない兄弟げんか、といってしまえばそれまでですが、ある時、私の一言に対して「ぼく、バカちゃんじゃないもん」と絞り出すような声で訴えたかと思うと、大きな目からポロリと涙が流れてきました。
「ぼく、バカちゃんじゃないもん、ぼく、バカちゃんじゃないもん」
どうしてそのような成り行きになったのかは全く覚えていないのですが、その後も、幼い弟なりの精一杯の自己主張は、強烈な印象として残りました。なぜならば、私自身が頻繁に、「この子はもうどうしようもない」「バッカじゃないの、この人」と言われていて、一種の処世術として(そうか、私はそういう人間だと思われているんだ)と自分に言い聞かせていたからです。そして、(絶対にそうは言わせないよう努力しよう)と、心に決めました。
中学や高校でも、大学院でも、「お前の人生は、もう終わっている。面倒を見てやらん」と言う先生は何人かいました。素直にまじめに頑張っているつもりなのに、どうしてそれほど突き放した言い方が平気でできるのか、今でも不思議でなりませんが、本当にそれは事実なのです。多分、あの厳しい軍国主義の戦時体制を生き抜いてきた世代には、精神的傷跡が残っていて、恵まれているように見える若い世代を、どのように扱ってよいのかわからなかったのかもしれません。または、単にストレスのはけ口として、おとなしそうに見える(?)私が格好の的だったのでしょうか。
今でも、このブログを書いていて、「今頃、そんな本を読んでいるようじゃ駄目だ」とか、「クラシック音楽に対して、その程度の感想しか書けないようでは大したことない」とか、「変なCDを聴いているんだな。無理して背伸びすることないよ、どうせわかっていないんだろう」とか、「レベルの低い文章を平気で書いて喜んでいる」というような声が聞こえてきそうな経験を、しばしばします。
一方で、この歳になると、開き直りの精神というものができてきます。(何がいけないんですか。税金の学校で育てられた私がこの程度なんですから、そういう私を試験で通した指導者の責任も考えてください)(生まれてきた以上、これでも生きていく責任があるから、仕方ないじゃないですか)と、内心、言い返してみたくもなります。
しばらく前のことですが、マレーシア研究の大家でいらっしゃるある先生が、関西旅行にご夫妻で来るから、とのことで、ご自分の教え子4人とお食事会を開かれることになりました。なぜか、私までお誘いにあずかり、驚きつつもご相伴させていただきました。その時、二度ほど、先生から尋ねられました。「あなたの指導教官は誰ですか」
この質問は、ある京大名誉教授からも、言われたことがあります。「誰から指導を受けたのか知りませんが」と。
ギクリとしました。「好きなようにやっているんだろうけど、それじゃあダメなんだよ」と宣告を受けているような絶望的な気分になります。事実として、出身校を言うことはできます。でも、3年間のマレーシア業務期間を必死で過ごした挙句、「マレーシアなんかと関わっている人は、終わってるね」「キリスト教って、イエス様、イエス様って言っているだけだろう?アハハ...」と人前で言われた身としては、(もう、この人生、自分で責任をとるしかない)と思いつめてしまったのです。結局のところ、夫は進行性難病患者で、子どももいないんですから、ここで生命の流れは終わるわけです。反社会的なことをしない限り、全く自由。そう思えば、今更、何も怖いものはありません。捨て身の人間ほど、馬力を発揮するとはこのことでしょうか。
五嶋みどりさん等の優れたヴァイオリニスト達を育て上げた名教師ドロシー・ディレイ氏の“Teaching genius: Dorothy DeLay and the Making of a MusicianBarbara Lourie Sand(『天才を育てる:名ヴァイオリン教師ドロシー・ディレイの素顔米谷彩子(訳)音楽之友社 2001/2003年)を読んでいたところ、次のような文章に出くわしました。

私の子供が小さかった頃、通りの向かいに可愛い坊やが住んでいました。お父さんがその子に向かって「バケツ頭(中身がからっぽの大バカ)」って呼んでいたら、大きくなると本当にその通り、バケツ頭になってしまったのです。父親がその言葉を言う度に、彼を殴ってやりたかったわ。彼のしたことはとても恐ろしいことなのです。(p.95)

ギドン・クレーメルの本を三冊続けて一気に読むと、旧ソ連体制下で、いかに執拗な圧迫と管理と嫌がらせを受け続けてきたかがよくわかります(参照:2008年9月26日付「ユーリの部屋」)。しかし、彼の演奏が極めて魅力的なのは、そのような状況下で、見事なまでに自己を保ち続けた強靭な精神力が滲み出ているからなのではないか、と思います。先日、ご本人の生演奏に触れられたことを、この上なく光栄だと思い起こしています。舞台の上でも、何が起こってもポーカーフェイスを貫ける方だと、この目で拝見できたことが、実に貴重な経験として思い出されます(参照:2008年9月23日付「ユーリの部屋」)。