ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

私の人生、まだまだこれから!

11月下旬から12月上旬にかけて、東南アジア学会とマレーシア研究会が東京で開かれます。発表テーマを申し込んだら、両方とも受理され、驚きました。本当に、この歳になって、3か月毎に発表が続けられるようになるとは、想像だにしておりませんでした。もっとも、マレーシア研究会では、かれこれ10年ほど、毎年発表させていただいています。それに、やめてしまったものの、他の学会や研究会でも、発表したことは、もちろんあります。キリスト教史学会では、来年3月に関西部会が開かれますが、認められるかどうかは別として、発表テーマだけは決まっています。
先月、キリスト教史学会で発表したところ、ご年配の先生から「たくさんしゃべりましたね」と言われ、ギクリとしました。6月の学会でも、「もっといろいろ言いたいことがあったでしょう」と司会者の先生に言われました。
(余計なことをあれこれ言うな、こっちはわかっている)ということかもしれませんが、これだけ世の中が多様化してくると、なかなか難しいところがあります、よね。こちらとしては、顔ぶれを拝見していると、アイデアが次々生まれてくるので、言葉もツルツル出てきてしまうのです。

博士号を取得した後、または、40歳を過ぎると、あるいは、定職に就いてしまうと、発想が枯渇して新しい発表ができなくなる人が多い、と昔から聞いていました。(だから研究職をめざすのは怖いんだ)と思っていました。私自身、それほど体力があるわけでもなく、頭はシャープどころか愚鈍そのもの、処世術に長けるどころか、要領よく世渡りするのが大嫌いですから、知識欲や好奇心が旺盛で、勉強も好きだけれど、それを職にすることには、大きなためらいがありました。それに、研究者になりたいなら、高校生の頃から、進路先もよく考えておかなければならないはずです。

けれども、これも時代というのか、世の流れというものなのでしょうか、こんな私でも受け入れてくださるようになったのです。全くありがたい限りです。

今朝の朝日新聞にも「学術研究:女性の力を生かす大学に」という社説が掲載されていました。ある程度、支給金を出してまで人為的な方策を採用するところもあるそうで、見方によっては一種のアファーマティヴ・アクションなのでしょうが、その分、女性として甘えずに、しっかりと務めを果たせと思います。

また、「研究会に連なるメンバーを育てていく」という姿勢も大事なんだろうな、と感じました。私の学生時代は、とにかく、プレッシャーに打ち勝てるだけの男性以上の能力の持ち主だけが大学に残るもの、という不文律があったので、育てられるどころか排除の論理が働いているように思っていました。ただ、その後、人類学の先生からマレーシアのフィールドワークのお話をうかがった際、「この領域は男には入り込めないので、将来的には、女性の研究者に是非ともやってもらいたい」ということを聞き、(いい先生だな)と素直に感じました。

聖書学でも、フェミニスト神学という領域があります。聖書は男性が書いたものなので、女性に関する事項は、当然のことながら、文字通りに理解すべきではないことは言うまでもありません。数年前、イスラエルで考古学調査に従事されたアメリカの女性神学者が、いかに聖書に書かれていない女性の活躍ぶりが発見されたか、を生き生きと語ってくださいました。確かに。女性なしに男性は存在し得ないのですから、当たり前といえば当たり前ですけれども、社会をリードしてきたのは男性論理なので、なかなか、といったところでしょうか。

最近うれしいのは、昔勉強したことと、現在の研究テーマとの有機的な連携が実感できることです。クラシック音楽にしても、文学にしても、ドイツ語やスペイン語の勉強にしても、イスラーム文化とキリスト教の歴史にしても、学部生の頃からノートやファイルをつくって自分のペースで進めてきたことが、アイデアの源泉になるので、とてもおもしろいんです。しばらく前、「いったい、何がやりたいのかわからん」「どこまで研究が発展する予定なのですか」と怒るように言ってきた方がいました。正直なところ、受験勉強をストレートに勝ち抜いてきた人の寂しさが出ているような印象を持ちました。
一方で、京大名誉教授で、今はある女子大の学長をされている先生が、「いやあ、女性は強い。こういう人の方が、かえっておもしろい研究ができるんだよな」と目の前で何度も言ってくださったことを、心からありがたく思い出します。

若い時に、引き出しをできるだけたくさん作っておくと、人生後半が楽しくなるのではないでしょうか。恐らくは、それが独創的な発想や多様な個性に結び付くのだろうと思います。