ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

もう一人の友人の言葉から

本棚の整理を始めると、(自分のしてきたことなんて、まるで意味が無いじゃないか)と虚無感に陥っていたのが、(いえいえ、ここまで単独でやってこられたなんて、まるで奇跡じゃないの)と、少しは肯定的な気分になってもきます。
父方母方の祖父母の兄弟が医学系の大学関係者だったことから(参照:2010年7月26日・2011年2月24日付「ユーリの部屋」)、幼稚園の頃より、(大学って怖い所だな...)と感じていたために(参照:2010年7月1日付「ユーリの部屋」)、知力体力に劣る女の分際で、一生、世界の先端を切るような独創的で新鮮なテーマを毎年追求しつつ、研究して食べていこうなんて、そんな大逸れたことを、と思っていました。
もちろん、今だってそんなことができているはずがありません。自給自足というのか、自腹を切って、のんびりマイペース。というよりも、問題意識に基づいてフィールド・ワークと文献研究と勉強を進め、経験豊富な諸外国の主立った先生方から、個別の疑問に対して、いろいろと教えていただきながら、「この題目について調べてみたところ、こんな結果でした」という、自己紹介みたいな形で、発表を続けているだけです。黙っていたら、それこそ通じませんし、一人で家で勉強していても、何ら「社会貢献」にもなりません。だから、なのですが、ここでまたもや、難題に直面してしまいました。

人生には時間の限りがあるので、何とか次善策を考えなければなりません。
この深刻な件については、クアラルンプールで住まいがご近所だったよしみで、20年以上も前から、家族ぐるみでお付き合いさせていただいている友人(ロンドン大学キングス・コレッジでカルヴァン研究により博士号を授与され、今はマレーシア神学院で教える広東系の牧師。参照:2007年6月27日・2008年1月24日・2011年1月26日付「ユーリの部屋」)に、相談してみました。すると、幾つかの具体的な質問があり、それに答えたところ、「わかった。少し時間をください」とのこと。先程、お返事をいただきました。
その要約です。
「あなたのトピックは極めて特殊であり、日本でそれに相応しい指導者を見つけるのは、至難の業ではないかと疑問に思っています。ムスリム・クリスチャン関係について何らかのこと、特に、マレーシアの文脈におけるその関係を、本当に知っている誰かでない限り。」
「指導者という支柱を超えて、未来を想い描きなさい。」
ムスリム・クリスチャン関係は、歴史的、社会的、政治的、民族的側面を超えています。深く神学的な問題です。西マレーシアと東マレーシアでは、その関係に複雑さを増すような外見の相違があります。マレーシア教会協議会は、私見では、あまりにも政治的過ぎます。東マレーシアのクリスチャン達にとっては、マレーシア教会協議会は彼らの見解や関心を代表していません。さらに、政治的に問題が早く変化し過ぎています。」
「今やクリスチャン達は、公共圏で、よりはっきりと物を言うようになっています。そのため、クリスチャン達の間でも分裂を起こしています。ある人々は、クリスチャンであることの必然として、‘迫害’を受け入れることを好みます。しかし今日、多くのクリスチャン達は、自分達の権利のために声を上げなければならないと感じています。」
そして、お勧めとして、カイロス研究センターのDr. Ng Kam Weng(伍錦榮博士)の論考を紹介してくださいました。もちろん、言われなくとも、これまで面会も何度かありますし、私のブログでも、日英両語で何回もご紹介済みです(参照:2008年4月3日・4月25日・6月14日・11月7日・2009年4月28日・10月26日・10月27日・11月3日・2010年1月27日・6月15日・6月26日・7月3日付「ユーリの部屋」)。
お二人とも広東系であるばかりか、教会の教派も同じなのです(注:バプテスト派ではありません)。一見、肩書き上は目立たないようだけれども、こういう「隠れた」ところに重要なつながりと働きを見いだせるところが、興味深い点です。
もう一点。2009年10月12日に、Dr. Ng Kam Wengのオフィスで話していたところ、「村岡崇光先生」のお名前が出ました。「あの人は本物の学者だ」とおっしゃるのです。
実は村岡先生、何年か前から、一年の十分の一という時間を東南アジアに献げるということをなさっています。日本人として戦時中の罪責の償いのため、東南アジア各地のキリスト教神学校などで、ヘブライ語ギリシャ語などの基礎を無償で教えていらっしゃるのです。もちろん、マレーシアにも、半島部とボルネオ島の双方に来られていますし、当然のことながらシンガポールも、です。
そして、なんと驚くべきことに、ある教授が「推薦者に私がなってもよい」とおっしゃったので入会させていただいた学会の会報経由で(参照:2009年1月8日付「ユーリの部屋」)、村岡先生から、私宛に直接、何度かメールで文書をお送りいただくという、通常では考えられない僥倖に恵まれたのです。2010年2月中旬と同年8月下旬のことでした。断るまでもなく、マラヤにおける戦争関連でのことです。
信仰の篤い村岡先生は、私がDr. Ng Kam Wengとの会話に言及すると、「身の引き締まるような想い」だとお返事をくださり、同時に、他のお世話になってきた先生方とのつながりに、驚かれていたようでした。結局のところ、蓋を開けてみれば狭い社会、イスラエルに長年いらした韓国聖書協会のミン博士から激励されたこと(参照:2007年7月10日・7月13日付「ユーリの部屋」)、聖書協会世界連盟のアジア太平洋コーディネーターのスシロ先生のお取り次ぎなど(参照:2007年7月7日・7月10日・8月22日・2008年4月28日・9月11日・2010年1月13日付「ユーリの部屋」)、いろいろな接点があるのは、上記テーマに関して教えを請う以上、自然なことだとは言えます。

そこで喫緊の重要問題。
誰も何も期待していない、立場を持たない一介の女性だからこそ、気づいた現地での問題、しかも、執拗に繰り返し発生する根深い問題に対して、私なりの応答として、さまざまな貴重なご縁をいただき、教えていただきながら、曲がりなりにも継続してきたことが、今後、またもや「よそ者扱い」されて拒絶の憂き目にあうのだろうか、それとも、何らかのバックアップをいただけるのだろうか、ということです。
マレーシアの人々は見ています。「日本でそれに相応しい指導者を見つけるのは、至難の業ではないか」と。
戦争時代にあれほどネガティブなことをしておきながら、本件について、どうしてここまで放置でき、私のような下の世代の素人にやらせて平気なのか、と不思議で仕方がないとも思うのですが。