ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシア関連の出版物とHP

昨日はエイプリル・フールでしたが、私には別段何も起こらず、ブログ内容もいつもと同様、真面目に本当のことを書きました。ただ、二つの学会宛に送ったワード文書添付について、開けないとか文字化けしているとかの連絡が届き、一瞬、「エイプリル・フールですか?」と返事しようかと思ってしまいました。実際には、私のパソコンが最新版なので、送付先で問題が生じるらしいのです。すべての人が最新版に買い替えるわけではないことを知り、いささか‘進歩的人間’になった気分でした。これも、先端技術開発を仕事としてきた主人のおかげです。主人がいなかったら、今でも私は、変な理屈をつけて手書きかワープロで文書作成し、皆様にご迷惑をかけていたかもしれません!

おとといは、マレーシアから『ヘラルド』『カトリックアジアニュース』『マレーシア教会協議会ニュースリンク』の最新号が届きました。また昨日は、ロンドン在住の広東系マレーシア人の牧師から、新しく更新した個人ホームページの紹介メールが届きました(注:この方については、2007年6月27日・12月24日・2008年1月24日付「ユーリの部屋」参照のこと)。
早速のぞいてみると、何とも洗練された上品なデザインのホームページで、学ぶところ多くありました。また、何回かの説教や小論文も載っていて、参考になりました。
それにしても、英語教育を受けたマレーシア華人は、好むと好まざるとにかかわらず、やはりイギリスの教育の強い影響下にあったのだということを、改めて感じます。知り合ったのは1990年5月頃でした。その当時、日本で私が読み聞きしていたマレーシアのイメージとしては、アジアの国とかマレー農村の話とか貧しい途上国、という類のものでしたが、一見、質素に暮らしているように見える方でも、実は金銭的以上にかなりの知的財産を蓄えているのだということを知りました。また、そのギャップを帰国後、周囲の人々に説明するのにいささか難儀しました。一般に、当時の日本では、先進国だという根強い意識があったので、マレーシアで出会った私の知人友人がどれほど視野広く世界情勢にも通じているかということをわかってもらうのに、少なからず時間を要した次第です。一方で、このような意識の相違が今でもあるのであれば、なおさらのこと、第二次世界大戦中に、マラヤ華人のことをよくも理解せずに、政治的動機だけで大量虐殺を行ったことについては、戦慄すべきものがあります。

ただ、今から思えば、マレーシアでは、概してよい方達ばかりに巡り合っていたのだと思います。普段は質素に堅実に暮らし、向上心が強く、いつの間にか資格や学位を取得し、しかも、子どもの教育に熱心で躾もしっかりし、家庭内での風通しもいい方達でした。これは、非常に貴重なことだろうと思います。まったく初めての国に単身派遣で乗り込んでいって、しかも歴史的によからぬ印象を土地の人々に与えた国の出身者なのに、文化も宗教も言葉も民族も異なる社会で、なんとか知り合いや友達を作って、交流が続くわけですから。本当にありがたいことです。守られていたのだろうと思います。

ところで、新構成で始まったNHKラジオ講座ですが、これまでのところ、従来よりも忙しく内容も濃くなったように思います。なにしろ、20分番組が15分に短縮されたのに加えて、過去の人気番組を別枠で20分ずつ再放送するのですから、結局、これまでの習慣に15分追加という意味なのです。テキストも、従って、一言語につき一冊ずつ追加となりました。金・土曜日だけだったドイツ語の応用編を毎日平日に放送されると、復習も大変です。
15分番組に改編されたことで、高校生の頃、東後勝明先生のNHKラジオ英会話を聞いていた時、「一日15分でも、毎日続ければ、必ず話せるようになります」とテキストに書いてあったのを思い出しました(参照:2007年10月17日付「ユーリの部屋」)。今の私なら、(語学に一日15分なんて短か過ぎる、もっと量をこなさなければ)と思うところですが、それでも、あの番組のおかげで、曲がりなりにも話せるようになったのですから、やはり短くとも集中して継続することが力なり、は正論なのでしょう。
こうしてみると、2008年3月27日付「ユーリの部屋」は、いささかペシミスティックに先走り過ぎでした。ごめんなさい。また、ヘブライ語学習の件も、お流れになったことの意味はこういうことかな、とも感じました。大学事務の約束遅延は断じて批判しますが、全体として自分の身に生起する事柄については、何らかの隠された意味があるのだろうと前向きに考えるのが、私のやり方です。