ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

故シスター・エマニュエルを偲ぶ

2008年10月21日付朝日新聞朝刊には、シスター・エマニュエルの訃報記事が掲載されていました。ご老衰で99歳のご生涯を閉じられました。お母様がクリスチャンで、お父様がユダヤ系だったそうです。
こういう方がいらっしゃるから、カトリック教会は強いんだなあ、と改めて思います。修道会については、偏見というのか、権威主義ヒエラルキーがあって、結婚もしないで堅苦しい生活をして、などとネガティヴな論調が日本では前面に出ているように感じていましたが、もしそれが無知なら来るものなら、早急に改めなければなりませんね。
また、イスラーム圏でのクリスチャンの奉仕活動については、妙な見解がアカデミアで主流となりつつあるようですが、そういう安楽椅子型学者さんは、このシスターの前で、何が言えるのでしょうか。(参照:2008年5月13日付「ユーリの部屋」)

「ニュースダイジェスト」(http://www.newsdigest.fr/newsfr/content/view/1176/67/)から、興味深い記事を見つけました。

今年100歳になる彼女は、現在フランス南東部にある養老院で静かに余生を過ごしている。凛とした小さなシルエット、社会の不公平に怒れる高い声、そして慈しみにあふれた眼差し……。フランス人が最も尊敬する人物のひとり、シスター・エマニュエルの存在は、昨年ピエール神父を失ったフランス人の中に、いまだ灯る良心の象徴のように思える。今年1月31日、フランス政府はシスターに、レジョン・ドヌール勲章2等を捧げた。 (Interview par Miwa Matsuzaki)


1908年に裕福な家庭に生まれた彼女は、一緒に海水浴に出かけた父が海の彼方に消え、翌日遺体となって戻ってくるという悲劇に遭う。6歳の少女にとって、優しい父親の存在は幸福の全てだった。「幸福は永遠ではなく、不幸と背中合わせであることを悟りました。幸せな時は水の泡のように一瞬で消え去るもの。だからその一瞬がいかに奇跡的でかけがえのないものなのか、という思いが、私の人生の基になりました」と著書(「Mille et Un Bonheures」 2007年carnetsnord 出版)に記している。


修道院へ入り、シスター・エマニュエルを名乗ったのは23歳の時。シスターとして、トルコ・チュニジア・エジプトなどで文学を教えながら、生徒には弱き者への理解を説き、貧しい人々の援助活動に尽力。1971年62歳、教師生活終了の年に、エジプトのハンセン氏病患者施設での仕事をエジプト政府に申し出るが、政治的理由により不可能となる。そこで、カイロ郊外のスラムのことを知らされる。
雨が降れば足首までつかってしまう泥地、豚、巨大なネズミ……。生ゴミを含むあらゆる汚物・廃棄物にまみれた草木も生えない地。そんな想像を絶する世界に、生きている人々がいた。
「私を渦潮に巻き込むように、その光景は訴えてきました。こんな見捨てられた状態に、人間をほおって置くことは出来ない、と」(「Chiffoniére avec les chiffoniers」 1977年éditions ouvrières出版)


シスターはヤギ小屋だった納屋に住まいを決め、ひとり宗教も文化も言葉も異なる人々と最貧困の生活を共に始めた。そして、ゴミ拾いだけが日課だった文字さえ知らない子供たちに、読み書き、外にある世界のこと、花の美しさや海の広さを、一つひとつ根気よく教えてゆく。
イスラム圏のスラムに一人飛び込んだ、孤高のカトリック・シスターの活動は、だんだんと人々に知られるようになり、9年後には福祉協会asmae(今日のシスター・エマニュエル協会)を設立。寄付や現地政府の援助も得られるようになり、今日その地区には学校も病院も建ち、電気も水道も使えるようになった。


A : 最初の印象についてお聞かせください。怖れや不安はなかったですか。

Sr: 初めてスラムに着いた時の私の印象は悲惨なものでした。腐ったトマトを拾って食べる子供に、母親が「この子は慣れていますから」と……。その光景、悪臭、衛生状態、それはとても大きな衝撃でした。でも、彼らがこの現状に耐えられるなら私も耐えられるはずだ、と。今日、私はあの場所に、また、そこで彼ら彼女たちと過ごした日々にとても深い愛情を感じています。

A :「貧しきものに福音を学んだ(Les pauvres m’ont évangérisé)」と著書に記されていますが、スラムのような非常に厳しい状況にある人々から、生きる喜びや楽しさを教えられるというのは、どういうことでしょうか。

Sr: 貧しい人々が、人に信じる心を思い出させ、善に向かわせるのを私はこの目で見ました。ほとんど何も持たない彼らは、それだけ心が広い。人は物を持ちすぎると、持たない人の気持ちが分からなくなります。私はあの地で、喜びと満足感を彼らと分かち合いました。それに彼らにはユーモアがあります。過酷な状況にあるからこそ、物事の良い面を捉えることが出来る。そうしたほうがきっと、苦しみに耐えられるからでしょう。


周囲の心配に押され、85歳にしてやむなくフランスへ戻るまで、シスターはそこに暮らし彼らの苦しみを分かち合った。22年もの間だ。帰国後、今度こそ隠居し静寂の中で祈りに全てを捧げようと思っていた彼女は、ある日若いホームレスの死に直面する。
「『こんなことを放って置いて良いのか、自分は温かなベッドにいて、若者がこんな死に方をしているのを、エマニュエル!』と怒りがこみ上げた」(「Chiffonière avec les chiffoniers」1977年éditions ouvriéres出版) フランスには、カイロのスラムとはまた違う、孤独という不幸があった。結局、全く休むことなくフランスでも貧困層の救済に尽力し続ける。


A :「他人を愛するとはどういうことでしょうか。愛情は相手に伝わるものですか。

Sr: 私は、愛とは与えれば返ってくるものだと思っています。ですから、世界中の誰もが愛される対象になるはずです。先日、極悪犯罪人の弁護士が私に話してくれました。「今年も大量のクリスマスカードを受け取ったが、手元には一枚しか残さなかった。『あなたは、私の中にまだ善があることを見つけてくれた世界でたったひとりの人です』 と記された、弁護をした犯人からのものです」愛情を伝えるには、まずその人の瞳を見つめて愛おしさを伝え、その人の話を意見せずにきちんと聞くことです。その人がどんな状況下にあっても、あなたは無用の存在ではないと感じてもらうことです。

A : お墓には、《Elle a vécu.(彼女は生きた・体験した)》と刻印して欲しいと著書に記されていますが、vivre(vécuの原動詞)とはどういう意味ですか。もう一度生きるなら、どんな人生を選びますか。

Sr: 私にとって、vivreとは愛することです。愛は、全てに喜びをもたらします。ルルドのベルナデット(*フランス南東部lourdeで奇跡のマリアの顕現を受け、死後列聖された少女)の言葉にあるように、《il suffit d’Aimer.(愛すれば十分)》なのです。もう一度人生が始まるなら、私はまたあのスラムで生きたい。彼らと苦を分かち合い、彼らを愛したあの年月は、私の人生で最も美しい日々でした。


「私が人生で好きなのは “真実であるもの全て”。嫌いなことは “偽善” です」


「苦しむ人々と苦を共にし、愛する」という真実を、生涯貫き通す彼女のこの言葉は「あなたは“本当” を生きているか?」という問いかけのようだ。
子供たちは、シスターに連れられ初めてスラムを出た。生まれて初めて花を摘んだ子供は、小さな手にぎゅっと花を握りしめて宝物のように胸に引き寄せた。ナイル川に行った川も海も見たことがない子供は、「海だ、海だ!」と眼を輝かせ、両手を挙げてまっしぐらに駆け出した。
ゴミ溜めしか知らなかった子供たちにとって、世界は、どれほど美しく感じられたことだろう。子供たちの輝く表情を想像する。ゴミ溜め場から外の未来に子供たちを連れ出すことに、22年を捧げたシスターの愛の深さを想像する。ひとりの人間が出来ることは、たとえ世界を変えることが出来なくても、こんなにも尊い


シスター・エマニュエル(Soeur Emmanuelle)

1908年11月16日 ブリュッセルの裕福な家庭に生まれる。(母・ベルギー人、父・フランス人)
6歳の時、一緒に海水浴をしていた父が溺死。
1931年(23歳) 哲学・宗教学の学生としてパリやロンドンを旅行し、ダンスをたしなみ劇場にもよく足を運ぶ華やかな青春時代を送る。しかし、何か満たされないのは「自分のためだけに生きているからではないか」と考えぬいた末、修道会への入信を決意する。
1931〜1970年(23−62歳) シスターとして、トルコ、チュニジア、エジプトで文学を教えながら、現地の恵まれない人々の援助活動に奉仕。
1971年〜(63歳) 教師終了の年に単身カイロ近郊のスラムに入り、社会の最下層に追いやられた人々と共に暮らす。ゴミの収集以外に生きる術を持たない子供たちの教育、医療環境、衛生面の向上に尽力。
1980年(72歳) シスターの活動にエジプトや欧州の政府などが注目し始め、サダト大統領夫人の名を冠した施設(病院・産院・幼稚園・作業所・社交所)がスラムに開設。福祉協会 asmae(les amis de soeur Emmanuelle)発足。フランス国家の功労賞( l’Ordre du Mérite )受賞。
1984年 カイロ近郊のスラムの学校の生徒数が400人を超える。
1986年〜 asmaeがエジプトだけでなくスーダンリビアセネガル、フィリピン、ハイチなどに活動の場を拡大。
1991年(83歳) カイロ近郊スラムでの暮らし20年目の功績から、エジプト国籍をムバラク大統領夫人より授与。
1993年(85歳) 高齢のため健康を懸念する周囲の要請を受け、エジプトを後にしフランスへ帰国。
ベルギー・レオポルド勲賞(l’Ordre de Léopold )受賞。
1995年(87歳) 医学功労金賞(Médaille d’Or de l’Académie de Médecine)受賞。
レジョン・ドヌール勲章5等(Officier de la Légion d’Honneur)受賞。
1998〜2003年 asmaeが南仏・フレジュスでホームレスの支援活動。
2003年(95歳) レジオン・ドヌール勲章3等(Commandeur de la Légion d’Honneur)受賞。
2006年 asmaeが、パリ郊外・ボヴィニーに貧困シングルマザーの受入センターを開設
2008年1月(99歳)レジオン・ドヌール勲章2等(Grand-Officier de la Légion d’Honneur)受賞。
《2007年12月発行「Journal de Dimanche」紙の著名人人気リストでは、1位ヤニック・ノア(歌手で元テニス選手)、2位ジダン(元サッカー選手)、3位ミミ・マティ(女優)、4位シスター・エマニュエル》


asmae - Association Soeur Emmanuelle
(シスター・エマニュエル協会)


シスター・エマニュエルが1980年に設立した団体はasmaeという。現在フランスと海外7カ国(フィリピン・エジプト・インド・スーダンマダガスカルレバノンブルキナファソ)で活動。貧困層の子供を主な対象とし、教育と医療の向上を目的としている。シスターの「人にはそれぞれ“信条”という秘密の花園がある。それは聖なるものであり、私が干渉することではない」という意志から、設立者がカトリックの修道女ながら非宗教団体である。現在asmae代表を務めるトゥラオ・ギュイエン氏に伺った。


A: 代表に就任されたいきさつは。

G: 私は11歳の時にベトナムからフランスへ来ました。エンジニアとして会社勤務をし、定年退職した頃にシスターととある夕食会で出会ったことが、この協会のボランティア参加のきっかけでした。当時も今も、「恵まれない子供たちのために何かを」という気持ちがモチベーションであり、協会はシスターが始めたさまざまな活動を存続・拡大させていく任務を負っています。
今まではシスターの知名度で多くの寄付が集まりましたが、今後は活動の質の向上と共に、私たち自身でasmae の広報活動をしていかなくてはいけません。

A: asmaeの活動の対象はなぜ子供なのですか。

G: 貧困や社会の不公平の一番の被害者が子供だからです。また、子供の教育や医療なしに、その国の未来の担い手は存在しないからです。

A: 現地ではどのような活動をされていますか。

G: あくまでも、現地に生きる彼ら自身の力で状況を改善していってもらうことが目的なので、私たちの役割は最初のきっかけ作りです。「寄付金で何かをあげる」というのではなく、現地でのパートナーと生活を共にしながら協力し、状況を分析しながら対策を考え、実行の後押しをする。そのために必要な施設を建てることはもちろんありますが、活動が軌道に乗ったら彼らに任せ、私たちは撤収します。

A: asmaeでは、年間150人もの若者をボランティアとして海外の現場へ送っているそうですが、ボランティアになる資格は。

G: 動機や意志、健康については大変厳しい選考を行いますが、特別な専門スキルは問いません。誰にでも何か出来ることはあります。現場から戻ってくる彼らの多くは、何かを見つけたような、ボランティアに行く前とは異なる表情になっている。誰かのために手を差し伸べることは、自分自身のためにも何かをするのかもしれません。

A: 収入はどのように得ていますか。

G: 2006年の例では、62%が個人からの寄付(内13%が遺産贈与)、17%が企業や財団からの寄付、10%が公共援助です。シスターのメディアでの露出度が下がると、寄付額は低下しました。

A: 個人の気持ちで世界を変えられると信じますか。

G: この世界にはあまりに多くの不公平があり、それを変えようとするのはむなしいことに思えます。でも、大きな変化も最初は必ずひとり、またはとても少数の人間が起こす行動から始まって行くのも事実です。ひとりの人間は、大きな海の一滴のしずくでしかなくても、大洋はしずくの集まりなのではないでしょうか。

シスター・エマニュエル協会

設立:1980年
設立者:シスター・エマニュエル
活動目的:貧困・孤立状況にある子供の支援に対する教育と医療環境の改善
活動手段:財政面援助、専門分野機能の改善支援、現地での生活支援活動、現地事業(学校など)の後援
活動範囲:フランスを含む世界8カ国
ボランティア数:74000人
年間予算:約3600万ユーロ(2006年)
寄付・ボランティア参加などの問い合わせ先
Asmae-Association Soeur Emmanuelle
26, bd de Strasbourg 75010 Paris
TEL : 01 44 52 11 90
www.asmae.fr