ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

居場所と出番

主人用のマフラーは、現在のところ、何とか使ってもらっています(参照:2010年1月12日・1月27日付「ユーリの部屋」)。
朝はただでさえ忙しい上に、病気のせいで体が思うように動かないため、う〜う〜うめきながら、「もう、それ、いい」と言います。でも、この寒いのにクールビズ体制でコートだけはおっているため、私が無理矢理、襟元に巻きつけています。もともと私用に買った毛糸のために、色は派手めですが、あったかいことが第一、と割り切っています。
ところが、夜遅くに帰ってくる時には、なんと自分でしっかりマフラー姿でいるので、何とも笑えてきます。こういう「素直」なところが、主人のよい点です。(まるで‘ゆっきー’みたい!さすがは、遠縁だけあってか、どこか似ているところがあります。)
マレーシアの教会騒動は、その後も議論が延々と続いているため、おかげさまで、余った毛糸で私のマフラーまで出来上がってしまいました。編み物なんて暇がない、と中学校以来ずっとご無沙汰でしたが、ひょんなきっかけで、小学校の時に祖母に買ってもらったままのアクリルの練習用毛糸さえ、このたび出番が回ってきました。
「出番」と言えば、‘ゆっきー’総理の先の演説でも登場しました。「誰もが居場所と出番のある社会」のこと。何だか、わざわざそのように言葉で表現せざるを得ないところに、現代社会の薄気味悪さがうかがえると思います。
マレーシアに住んでいた1990年代初期、私も同僚の一人から、「ユーリさんは出番が多くていいですね」と皮肉っぽく言われたことがあります。当時、自分では問題をたくさん抱え込み、コンプレックスの固まりみたいな心境で、毎日が必死だったので、(そんな、出番が多いなんて...)とびっくりしました。つらつら考えてみるに、教会でピアノの奏楽をし、説教の通訳のようなことやクリスマス会の朗読も任せられていたからかなあ、と思います。ただ、本業の上では、彼女の方が断然有利で、東京の有名大学の卒業生だし、マレーシア経験も豊富で、マレー語も上手だし、美しい声の持ち主なので、どうしてそんなふうに言われたのか不思議でした。ところが、後で家族から叱責されたには「そういうふうに思っている人も、世間にはいるということだ!」と。

さて、今月は忙しいのです。来月、新しく誘われた学会に出席させていただくために、東京に数日滞在しますが、また空いた時間を見計らって、お墓参りを予定しています。先回は矢内原忠雄先生でしたが(参照:2009年11月24日付「ユーリの部屋」)、今回は、薫子さん。つまり、‘ゆっきー’氏と邦夫氏のお祖母様です(参照:2009年11月16日・12月10日・12月17日・12月31日・2010年1月2日・1月3日・1月4日・1月8日付「ユーリの部屋」)。そのために今、例のファイル作りの傍ら、『鳩山一郎・薫日記伊藤隆・季武嘉也(編)中央公論新社1999年)を読んでいるところです。今は上巻ですが、もちろん下巻も。
もっとも、公刊された日記ほど怪しげなものはないという条件付きですが、一つの重要な資料であることは間違いありません。注目したいのは、一郎氏と薫子さんの若い頃のキリスト教との関わりです。実は鳩山家、クリスチャンではないものの、時々集まって讃美歌を歌っていらしたそうですよ。もちろん、ぽっぽ兄弟氏も幼い頃、ご一緒に(参照:2002年5月「フォトインタビュー集 鳩山由起夫」(http://www.hatoyama.gr.jp))。現政権の動向には、私の目から見ても不安材料がかなりありますが、なぜあのような理念を謳う指導者が出てきたのか、という背景を知るには、この辺りの要素も看過できないのではないか、と思います。
犬養道子氏の著作を20代の頃、かなり読んだこともあってか(参照:2009年3月17日付「ユーリの部屋」)、この歳になると、日本の近現代政治史というものが、高校レベルの教科書を超えて、ある程度、把握できるようになるようです。もっとも、本格的には、日本だけ見ていては全然駄目で、朝鮮史、中国史も併せて読まなければ、一方的な見方に陥ることでしょう。まだまだ勉強しなければならないことは、たくさんあって、キリがありません。まさに、永遠の知的飢餓状態です。