ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

順境と逆境との間で

昨日は、管轄の保健所からお電話があり、主人の病状のことで、「一度ゆっくりと奥さんともお話ししておきたい」と面会のお話をいただきました。10月以降になりそうですが、ありがたい制度だと思います。診断当初の当惑と懸念に反して、これまでにも随分、各方面からさまざまな恩恵にあずかってきました。社会制度として有形無形の支援をいただけるのは、本当に感謝なことです。もっとも、今のところは、自力でなんとかできる状況にあるものの、何もかも「自己責任で」と突き放されるのではなく、このように公的な社会福祉の保障がきちんと機能していると、こちらの精神状況も全く違ってきます。主治医との連携なので、安心でもあります。

というわけで、発病当時のある医師の診断を記した古いノートを見てみたところ、結構、いい加減なことを言われていたんだなあと、改めて気づきました。この女医さんは、患者の立場に立っているようで、実は名誉心やお金儲けの自己中心だったのです。また、診察室での発言は全くの誤診でした。もちろん、すぐに気づいて通うのをやめましたが、このために芦屋まで出かけていたことが、今でも不思議です。芦屋なら、進歩的な人も多く住んでいるだろうから、このお医者さんも力になってくれるのではないかと、どこかで盲信していたのです。
今では、仕方がなかったとは思いますが、何でも記録に残す癖は、こういう時に生きてきます。私達が、少しでも自分達にとって都合のいい「希望」にすがろうと必死だったんですね。
この病気は、病名を聞けば誰でも知っているものです。研究が非常な勢いで進み、いい薬もどんどん開発されていて、特に痛みもなく、投薬中心で、うまくいけば、最後まで日常生活をなんとか送れるのだそうです。別の専門医からも「たちの悪い病気じゃない。明るく生きていきなさいね」と言われています。ただ、的確な診断が下されるのが難しく(というよりも、医者の勉強不足の問題でもあるのですが)、初めの2年ほどは、何軒もの病院を回らなければならず、心理面や精神面でのケアという点では、今思い出すだけでも、どっと疲れが出そうな経験をしました。

こういう問題は、健常者が中心となって動いている一般社会では、本当に不利なのでしょうか。でも、あるがままの現状を受け入れ、だからこそ、人の心も社会の表裏も見えてきたものがあるという点では、実に幸運でした。交友関係では制約が出てきましたが、同時に、感覚が鋭くなったかと思います。余計なことをせず、本当に必要なこと、心から望むことだけをするような生き方に変わってきました。

「順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ 人が未来について無知であるようにと 神はこの両者を併せ造られた、と。」 コヘレトの言葉 7章14節)(日本聖書協会新共同訳』より)

今後の課題は、これ以上、進行させないよう工夫することと、他の病気を寄せ付けない努力をすることです。

新聞紙上では、困った問題ばかりが取り上げられがちで、つい、世の中に対して不安に感じてしまうのですが、状況改善へと向かう意図だと解したいものです。そういえば、カール・ヒルティは、毎朝を新聞を読むことで始めてはならない、という意味のことを書いていたかと思います。

今朝の朝刊でも、一面に、アフガン支援を長年にわたって続けてきたペシャワール会のメンバーが拉致されたという事件が載っていました。主人の指摘に驚き、ぎょっとしました。会報をファイルに綴じ込んであるため、本棚から取り出して確かめてみると、以前、記憶に残るような文章を書いた方でした。地元に溶け込もうと懸命に努力し、信頼を得て、現地の人々からも何かを感じ学びながら、厳しい環境の中で作業されていただろうに、現地の治安が悪化しつつあることはたびたび書かれていたものの、まさかこんなことになるとは、言葉もありません。一刻も早く、問題解決へと向かいますよう、心よりお祈り申し上げます。

昨日はまた、あしながおじさまから、発行されたばかりの『前田護郎選集 4希望の福音』(教文館)をお送りいただきました。あたたかいお心遣いを恐縮しつつも、本当に感謝なことです。毎度、大きな喜びと安堵感を与えられます。この巻では、「師友追想」が最も興味深く、バルト、ブルトマン、ティリヒ、新渡戸稲造南原繁矢内原忠雄、塚本虎二など、錚々たる逸材の方々との交流とこの世での一時別離が、清冽な文章で淡々と綴られています。無教会の在り方は、いわゆる宗教集団や宗教家のそれではなく、自発的な信徒の学び合い、しかも日本人としての良識に基づく高度な聖書の学びという点で、敬服し、教えられるところ多いものです。よく書き残してくださったと思います。また、最近になって、選集として新たに発行されたことも、不思議なことに、私個人にとっては、さまざまな意味で、誠に時機にかなったものでした。

それに関連して、実は昨夕、ふとしたことから、パソコン検索で、学生時代に少し接触のあったキリスト教関係の人々やグループの動向を知ることとなり、いろいろと考えさせられました。確かに、電子情報を流すパソコンのおかげで、昔ならば、図書館や新聞・ラジオ・テレビなどで懸命に時間をかけて探すしかなかった情報が、即座に入ってきます。しかも、公の情報のみならず、私的事情も出ている場合があります。当時は、周囲の声かけを頼りに、実際に赴いて会ってみて、自分で確認するしかありませんでした。
その人々のうち何人かは、相変わらず、といっては失礼ですが、そのままの人生を、場所を変えたり、出たり入ったりしながらも、ずっと続けているようです。ただ、私自身の正直な感覚では、決して悪い人達ではないものの、どこか根本的に合わない面があるというのか、疑問に思うところが少しありました。
その感覚が、実は正しかったことを、偶然、昨日知ったのです。物の見方は多様であるとはいえ、一種の批判の的になっていたからです。
どちらかと言えば、私の方が狭い考えなのかと、自分を反省することばかりに費やしていた当時ですが、今なら、若かったから、それが自分の限界なのだと思う反面、もっと早くから本当に適切な師に出会い、彼らから距離を置いておけば、今はもう少し自信を持って自分なりの道を歩めたのではないか、とも感じます。
具体的な内容は、これまでにも、このブログで書いてきたことなので、あえて繰り返すことはしません。ただ、閉鎖的集団思考や偏った物の見方や他者に対して抑圧的になる態度などから、一種の「弊害」を受けていたとは思います。一番問題なのは、そこで残って活動している人々は、その狭いグループの間では一定の満足感を持っていても、日本社会全体から見れば、客観的には、残念ながら、何ら公に高く評価されているわけではないということです。今、自分の家系や辿った道を振り返ってみても、その人々が私に対して語った言葉は、ある面でねたみやっかみだったり、社会的に主流からズレていたりしました。そのズレには気づいていても、もしかしたら相手が正しいかもしれない、などと揺れていた自分があったのです。ここが私の最大の欠陥と弱さです。ただ、その場ですぐ何かに気づいていたことと、途中で模索しながら自分の道を見出そうと離れたという点では、間違っていなかったと思います。
学生時代は、試行錯誤が許される時期で、ある程度、世間を広く知る経験も必要でしょう。もし、彼らとの接触がなければ、私自身、もっと狭く孤立した空間で安住していたのかもしれないのです。それがよかったかどうかは、今では知る由もありません。ただ、上記の無教会の先生方の在り方を、文献上で間接的ながらも仰ぎ拝見すると、平信徒として聖書を学びつつ、一般社会で高度な専門職として活躍される道の方が、遥かに健全でよい証にもなるということです。無教会にも全く問題がなかったとは申しません。しかし、実は素人に近いのに、「キリスト教集団」を特化して、良識からいささか外れた「信仰」の名を借りて、人生上の助言を安易にすると、どんな悲喜劇が待っていることか、関係者はじっくりと考えていただきたいとも思います。誤解なきよう申し添えますと、このグループは、別に異端だとかカルトではありません。ただ、一歩間違えば、そのような傾向を帯びやすい性質を有しているかもしれないのです。「宗教」とは、そういう一面を含むものだという点で、批判的な目は常に備えていたいものです。