『アンネの日記』被害について(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140222)、ユダヤ系の英語のメーリングリストを読んでいたら、気になるコメントを出していた女性が一人いました。
「要するに、日本が近代化したっていっても表面(字義通りには「皮膚の厚さ」)だけだったのよね、こういう事件が発生するってことは。私のブログのリストの下の方を見てみて」。
彼女のブログを見てみると、ヒトラー関連の資料リストがずらりと並んでいて、特に日本に言及することはなくとも、枢軸国だった日本を暗に指していることがうかがえました。ナチ・ドイツと並んで、やはり日本は今でも立派に野蛮国だというわけです。
現時点で、誰がやったのか犯人および動機は特定できていませんが、現在では一瞬のうちに世界中にニュースが広まってしまい、特に日本を充分に知らない人々の間で固定観念が再現するようになっては、元も子もありません。
「近代化=西洋化」と言えるのかどうか、日本国内では長らく学問上の議論がありました。明治維新の人々が偉かったとされるのも、英国と戦った薩摩の殿様が英断に富み、いち早く開国と西洋文明の吸収に努める決断をし、命がけで頑張ったからです。そして、短期間に高度な異文化を吸収できるだけの素地を備えていた江戸時代の見直しも、繰り返し議論されているところです。同時に、夏目漱石のように、英国留学をしても神経衰弱になるほど「近代なるもの」との相剋に悩みつつ、何とかその葛藤を小説で表現しようとしていた懊悩も、学生時代に文学評論と講義である程度は読みました。しかし、日本と西洋との接触交流は、実は16世紀から始まっていたのです。
では、同じアジアでも、香港やシンガポールなどは遙かにもっと「西洋化」しているはずなのに、そして、昨今では日本を抜いた側面もあるというのに、なぜ真っ当な西洋知識人は香港礼賛やシンガポール礼賛をしないか、「アジアなら東京(あるいは日本)の方が断然おもしろい」と評価していただけるのはなぜなのか、という疑問が浮かびます。よく言われるのは、シンガポールも香港も、キリスト教伝道の歴史を見れば判然とするように、いわば西洋からみた東洋進出への「戦略拠点」であったということです。つまり、英語が普及して西洋的な建物が増えても、現地の人々が自ら積極的に選択したものというよりは、結果的に半ば成り行きを辿る他はなかったということが明らかだからです。多民族なので、一見、多様な文化が混淆しているようですが、移民社会なので深みがないとも言われます。生き延びるための器用さが目に付き、内発的な西洋化ではなかったというわけです。はっきり言ってしまえば、「借り物文化」あるいは「二番煎じ」。
それに対して、なぜ日本の方がおもしろいと言われるかと言えば、単なる物まねではなくて自主的に取捨選択して、自ら積極的に学び吸収した上でアレンジし、オリジナルで独自の文化を創り上げたからだというのです。伝統と先進的なもの、物質的なものと精神的なものが拮抗せずに、うまく共存しているとも言われます。西洋人の中で知日派だと言われる人々は、優れた点、自分達にない点を他文化の中に見出すと、すかさず探求しようとしているようです。そこで、日本に目を留めてくださったことを、ありがたく思います。つまり、きちんとした他者から正当に評価していただくには、媚びは禁物。世界序列など、大体わかっているのだから、その序列の中で精一杯、その文化でなければ表現できないもの、限られた制約の中でどこまで自力で開花できるか、が勝負どころだということのようです。
しかし、冒頭のコメントに戻りますと、「だから日本にはがっかりした」「これからは野蛮国扱いしましょう」ということにつながりかねないのですが、ちょっと待って、と言いたい点も幾つかあります。
1.彼女のコメントには実は賛同者がゼロで、他のコメントによれば「自分達が知らないところで、こういうことが起きているなんておもしろいわね」という余裕たっぷりな発言があり、そちらの方が同調者を引き寄せていたこと。
2.つまり、保守系ユダヤ人にとっては日本なんてそもそも眼中になく、どっちでもいい扱いなのかもしれない。残念だが、その方が変な摩擦が少なくて済むとも言える。どう思われようとも、我々は我々で「野蛮」なりに、日本文化に足をつけつつも、しっかりと聖書を学び、ヘブライ語も勉強し、ユダヤ史から叡智を学び、ユダヤ音楽からエートスを学び続けるのだ。
3.複数の公共図書館に所蔵されている三桁の冊数の同一図書を意図的に切り刻むなど、『アンネの日記』ならずとも言語道断の行為。単独犯か組織的犯行かは不明だが、いずれにせよ、それをいきなり日本全体の前近代性や野蛮性に結びつけるというのも、飛躍があり過ぎないか。いくら何でも、日本人にはいろいろなタイプがある。ユダヤ人にもいろいろな人々がいるのと同じだ。それに、犯人が日本人かどうかも、まだわからない。
4.今回の事件発覚も、以前から知られていたことのようだが、ユダヤ系団体の告発によるものではなく、報道によれば、日本側の自発的な公表によるものである。このようなセンシティブな問題を少なくとも隠さなかったという行為自体が、日本もそれほど「野蛮」ではない証左ではないか。
5.西洋からもたらされた害悪というものも日本人は知っている。アヘン貿易だって、野蛮な日本人が中国にもたらしたものではない。英国人およびアメリカ人の関与だ。同性愛結婚云々も、西洋社会の病弊ではないか。マルクス主義だって、西洋から発生したのではないか。欧州のムスリム移民の問題だって、そもそも自国民を最大限活用せず、安く手軽に外国から人を引っ張ってきたツケだとも言えなくはない。日本は、長年、中国からもインドからも西洋からも、良いものは極力学び、自国でアレンジして洗練させ、悪しき風習は拒絶したのだ。野蛮なりにも、確かな選択眼と感性を持っていたのだ。それに、西洋の発見と言われるものの幾つかだって、実は中国の方が早かったことも、日本は知っている。だから、「近代化=西洋化」の根拠は、実は学問的にはそれほど確立しているわけではないというのが、日本人の常識なのだ。
6.冒頭の彼女の見解は、ホロコーストで被害に遭ったユダヤ人が「近代文明の担い手」であるという自意識が前提となっている。ここで注意しなければならないのは、広島や長崎の原爆投下を、ユダヤ人に対するホロコーストと同様に扱おうとする日本の一部の保守派論客だ。もし、保守派論客の主張するように、原爆投下が「アジアティークへの人種差別」に基づくものだったとすれば、「アジアティークは近代文明の担い手」ではなく、世界序列を乱したために処罰される対象としては当然の存在だったという暗黙の主張を裏付けることになる。「野蛮で好戦的な」日本に原爆を落として処罰したら、すっかりおとなしくなってアメリカに従順になったので、「ほらご覧、我々の優越性が証明された」ということになる。しかし、事はそれほど単純ではないのは明らかだ。太平洋戦争開戦前にも、戦争回避の努力が必死に日本側からも続けられていたことは事実であるし、戦うとなれば勝とうとして戦うのは、どちらの立場であっても当然とは言え、「この戦争は間違っている」「日本は負ける」とわかっていて神風特攻隊に入っていった有能な若い学徒も含まれていたのだから。
平等を追求し、格差をなくし、弱者や少数派にまなざしを注ぐ左派思想は、それが行き過ぎると、むしろ価値観の異なる相手に媚びることになり、努力もしないで無知な相手をつけ上がらせることにもなり、中心軸がずれてしまいます。ここは「大和の日本国」なのか、それとも「中華人民共和国の日本列島支部」なのか、だんだんわからなくなってきます。いわゆる戦後処理の問題も、私の学生時代までは盛んに反省を促され、批判精神を高らかに掲げつつ、一生懸命にやってきたつもりだったのに、時間軸の上では一回り遅れで、中国や韓国が、過度に執拗に過去の謝罪を要求するばかりか、アメリカにまで手を広げている昨今、どうにかならないかと思います。昔の中国人や韓国人は、私の知る限り、そういう人達じゃなかったのにと、残念でなりません。
だからこそ、冒頭の彼女のコメントにも、騒がず慌てず冷静に、ということなのだろうと思います。