ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『メムリ』から学ぶこと

メムリhttp://www.memri.jp

Special Dispatch Series No 2018 Aug/13/2008

アラブ世界の女性の権利と発展の遅れ
―シリアのリベラル派俳優とクウェートのイスラミスト教授が激突―  


2008年6月20日アル・ジャジーラTVが、シンポジゥムで展開したシリアのリベラル派俳優アル・コッサ(Bassam Al-Kossa)とクウェート大心理学科長アル・マシュアン('Uweid Al-Mash'an)の論戦を放映した。次に紹介するのはその論戦内容。画像で見る場合は下記を参照(http://www.memritv.org/clip/en/1830.htm).
 
・最初に(西側社会が)やったのは国家と宗教の分離

バッサム・アル・コッサ: まず第一に(西側)社会がやったのは、宗教と国家の分離でした。最初にやったのがこれです。何故でしょうか。教会がヨーロッパを支配していた頃、実際には異端審問に支配されていたと言っても過言ではありません。そして、教条に合わぬ革新的考えを持つ人や学者、医者を殺したのです。そのような体験を経て、宗教と国家を分離したのです。

イスラム世界では3〜4歳から女児殺しが始まる

 (イスラム社会では)3歳から4歳になった頃から女児の殺害が始まります。「膝をかくせ」、「大きな声で話すな」、「弟に食事を持って来い」、「起きろ、これをそっちへ置け」、「それをそこへおろせ」等々。朝から晩までこの関白はふんぞり返って、「これは恥だ…」「あれは禁じられている」と指図する…そして婚礼の日になると今度は母親が、虐げられがんじがらめの娘に、女らしさの模範になりなさい、蠱惑的で(相手を)そそるような女になるのよ、と言うのです。成長するまで男性と社会を畏怖するように叩きこまれ、いざ婚礼の夜になると、降って涌いたように、色っぽい女に変貌して亭主の欲するところを察し、その意に沿うようにせよといわれるのです。これはダブルスタンダードの一例でもあります。私の同僚が言ったように、嘘をついたといって自分の息子を殴る男が、誰かたずねてくると「留守だと言え」と居留守を命じるようなものです…。

・我々は世俗国家を望まない。アラブ諸国は世俗国家にあらず

ウエィド・アル・マシュアン(イスラミストの心理学科長) : 我々は、世俗国家を望みません。アラブ諸国は世俗国家ではありません。我々には我々の宗教とシャリーアがあります。我々には、守るべき価値観がある。現代性は好ましいと思う。我々はそう考えています。しかし、それが我々の価値観と習慣、伝統と衝突する時は、拒否しなければならない。世界のどの人間も、自分が身につけた社会的価値観に従って生きている。我々は、我々のアイデンティティを抹消するものは拒否しなければなりません。
女性パネラー : 我々が反対しているとは誰も言ってません…。
マシュアン : ひとつ言わせて下さい…。我々は、我々のアイデンティティを消し去るものは、拒否しなければなりません。我々は我々のアイデンティティを消されたくない。我々は従属的地位に甘んじたくない。我々は世俗国家などいりません。我々の宗教は法律―イスラムの宗教法シャリーアを持っています。
 夫には決まった権利があり、妻には夫に対する決まった務めがあります。この権利と務めは不離一体の関係にあります。夫は資格として決まった権利を持つ。男は、女が美しく着飾っておさらばできるために、その女と結婚するのでしょうか?それとも男は、女が仕えることができるために…ごめんなさい…あなた方は?仕える?意味を理解していない…つまり…はっきり言うと…その何です…あなた方が理解する意味で?仕える?と言っているのではないのです。違います。妻が夫に仕えるのは、シャリーアにもとづく義務です。

・妻は夫が求めることをすべて与えなければならない

女性パネラー: マシュアン博士、この「仕える」というのはイスラムの経典のどこにもありませんよ。
マシュアン : だから、妻は夫を尊敬しなくてもよい、仕えなくてもよいというのですか。
女性パネラー : あなたが言ったのは「仕える」話で、「尊敬」についてではないですね。
マシュアン : 「仕える」とは一体どういう意味でしようか。私は所謂?もてなす?意味で言ったのではありません。私のコンセプトは違います。あなた方が別のコンセプトを持っているのなら、まあ、それは…。
司会 : よろしい。それではあなたのコンセプトは何ですか。
マシュアン : どの分野の?
司会 : 「仕える」の話ですよ…。
マシュアン : 妻は、夫が求めることをすべて―夫の権利ですね―与える。これが?仕える?ということです。妻はその権利を提供しなければなりません。

・過去に執着し、全エネルギーを過去に注入する国家は死んだも同然

コッサ : 私の同僚達の話から気付いたのですが、我々はいつも他人を裏切り者として非難してばかりいる。女性の解放を求めるのであれば、これはグローバル化をはっきり支持するということであります。そう主張するのは西側のイデオロギーを身につけたからに相違ない、と言ってしまえばみもふたもありません。我々には我々の考えがなく、全部外国からの輸入だと言っているみたいですね。この国に何か問題があるとすれば、それは我々にあるのが考えだけで、行動が全然ないからです。我々がやっているのは話だけ、最初から今日に至るまでそれに終始しています。我々はどう話をするかは知っていても、どう行動するかについては全く判っていないのです…私の同僚が、かつてスイスとスウェーデンの女性には権利がなかったが、女性の進歩を助け今日の姿になった、と言いました。今日われわれが遅れているのは何故でしょうか。かつて我々はスペインまで行きました。しかし今では(スペイン人は)屁とも思っていません。現代の我々はどう生きるか。重要なのはこれです。過去に執着し、過去をくよくよ考え嘆き悲しむなど、すべてのエネルギーを過去に注入する国家は、自分自身に死刑を宣告しているのです。
 女性の解放を考えるべきであると言うとき、これには、男性の解放が含まれることを忘れてはなりません。男性も遅れているのです。倫理的価値を理解しているのは我々だけ、と言ったのは何処の誰でしたっけ。我々は我々の宗教を信じています。しかし、我々を除く人類は倫理的価値観を持たない、と言ったのは何処の誰でしたっけ。倫理的価値観は(イスラムの)前からありました。人類の歴史は数百万年前にさかのぼるのです。宗教は単に(その倫理価値)を法として体系化し、強調したにすぎないのです。倫理的価値観について、ハムラビは何も持っていなかったとはいわせません。ヨーロッパは全体として倫理的価値観を持っていないのでしょうか。ヨーロッパは盗みをすすめ、隣人を尊敬するなと教えているのでしょうか。
 世界一の腐敗率を誇るのは我々です。一体どうしてでしょうか。個人の金や公金の如何を問わず、我々の宗教は盗むなと教えていないのでしょうか。問題はそこにあります。

・この宗教は自分にとって大事だが、現代的な体制整備が欲しい

 ヨーロッパでは住民が約束を守らない、と言ったのは何処の誰でしたっけ。約束したら、守らなければなりません。当然です。しかし我々はどれ程嘘をついているのでしょう。ヨーロッパに行けば判ります。私はヨーロッパ讃美の説教をしているのではありません。私は、ここがずっと好きです。私はここを尊敬するし、アメリカやヨーロッパよりここが大切な地です。私は、私が欧米思想の輸入者とは誰にも言わせません。
 信徒は嘘をつく以外何をしてもよい。これは、ハディースに表明されています。信仰心の篤い(ムスリム)は、嘘をついてはならない。しかし、この社会で我々はどれ程嘘をついていることか。ヨーロッパに行って御覧なさい。もう一度言いますが私はヨーロッパの方が大切と言っているのではありません。しかし彼等は倫理的価値観を持っています。彼等は約束を守ります。私は一般化しているわけではなく、相対的にそう申上げているのです。我々はいつも何しろ彼等は現代的だからと言います。そこが問題なのです…この一連の考え方がヨーロッパから来たのかどうか、私にはどうでもよいのです。宗教にせよ、私に合ったやり方で私自身を育てあげるため、諸国からどう学ぶか。私がいつも留意しているのはこの点です…。
 何故我々は、宗教と国家の分離に狼狽するのでしょうか。私は宗教を駆逐せよとは言ってません。これは私の宗教であり、私は預言者の教えを受け継ぐ者の子孫です。私は自分の宗教を誇りにしています。しかし私は現代的な体制整備を望みます。我々が宗教と国家の分離について語っても、それは、宗教の駆逐を意味しません。しかしながら、銀行は銀行、宗教は宗教なのです。