ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

発想の転換そして逆境をバネに

今日は、夕方涼しくなるまで、Bat Ye'or氏の『イスラーム下の東方キリスト教の凋落:ジハードからズィンミー制度へ』(拙訳)を読みふけりました。昨日届いて、現時点で173ページ読んだので、計522ページの約3割は終了したということになります。ペースが遅いですねえ。せいぜい、半分までは完了していなければ...。もっとも、家事を挟みながらですし、夕方にはベランダのお掃除やら何やらで過ごしていたので、機械的には割り振れませんけれども。
アメリカの大学では、この程度の本を週に何冊も読んでレポートを書かされると聞いたことがあります。そうしてみると、学生時代に、自分なりには努力したつもりでも、出発点で相当の開きがあるということですよね。成績は決して悪くはなかったのですが、それでもこの程度なんですから。環境は選ぶものなのか、与えられるものなのか、この歳になると本当に悔しくてなりません。若い頃、「与えられた場で全力を尽くせ」とよく教えられましたが、それを鵜呑みにした自分もおぼこさ丸出しです。場がずれていることに気づいても、「ここが与えられた場なんだ」と思い込んで無駄な心労を重ねて、場違いにも頑張っていたとしたら、人生に相当の開きが出てしまうのに...。
上記本を読んでいて学ぶのは、「祈れば神は答えてくださる」「教会に連なっていれば救われる」「信仰を持てば幸せになれる」というキャッチフレーズが、まったく通用しないということです。もちろん、イスラームの教義とアラブ文化またはトルコ文化のなせる業でもあるのですが、本書で特に留意的に書かれているのは、ズィンミーイスラーム圏内のクリスチャンとユダヤ教徒およびゾロアスター教徒など非ムスリム)に長年与え続けた心理的精神的影響です。著者の視点に添うならば、イスラーム到来以前までは、それなりに繁栄し安定した固有文化を築き上げていても、その後は不確実性と不安定さと曖昧さの中で怯えつつ従属して生きなければならなかったようです。また、社会批判は絶対に許されず、ごく僅かの例外を除いて、ムスリム以上の地位につくことはできず、何かあればすぐにお金を取られ、ついでに物品と娘や子どもまで略奪され、ある場合には奴隷にされたり、そうでなくともイスラーム改宗を強制されたりしたなどの事例が、繰り返し出てきます。もっとも、カリフやスルタンによっては、懐柔策というのか、ジズヤ収入を確保するためもあり、比較的穏健な時代もあったようですけれども。
日本では、信仰というと、何だか美化し過ぎたり、かえって敬遠されたりしがちですが、何はともあれ、この地域の人々にとっては、社会共同体の紐帯ないしはアイデンティティそのものなので、例えば、夫婦問題や健康問題や職場の悩みなどを抱えて教会を訪れる、などという個人的理由とは、全く土台が違うように感じられました。あえて比較するならば、日本の方がナイーヴな印象です。イスラエル旅行で訪れた場所に関しても、7世紀や8世紀、あるいは18世紀や19世紀にはどんな状態だったのかを知ることや、どの出身のどのような人々が住みついていたのかを確認することは、非常に重要だと私自身は思うのですが、どちらかと言えば、そういう「国際政治」はどうでもよくて、教会巡りとイエスの足跡を辿るだけで感激してしまうような無邪気さが、まったく皆無だとは言えないでしょう。マレーシア経験ですっかり鍛えられましたから、その点、私はかなり醒めているんでしょうが。
ともかく、本書からは、常に情報と世の中の動きに敏感になり、生き抜くための知恵を蓄えて、もっとしたたかにならないといけないという教訓を得ました。

ところで、以前も書いたように、「難民を助ける会」に時々わずかながらも送金しているのですが(参照:2007年10月19日・2008年1月30日付「ユーリの部屋」)、会長の相馬雪香さんのお話は、とてもおもしろいです。96歳ぐらいかと思うのですけれど、「ごはんを食べさせてもらっている間は、何か社会のために働かないと..」と現役を続けていらっしゃるのです。すごい気力とパワーですね。それに、お父様の尾崎行雄氏が、時代に翻弄されて評価が見事に上がったり下がったりするのを見て育ったために、「世の中がどう思うかは関係ない」とさっぱりされています。そうしてみると、職場の業績評価なんてのも、相対的に考えておかないと馬鹿を見るということでしょうね。
同じく、緒方貞子先生のお働きもテレビやyou tubeで拝見しましたが、相変わらず英語で落ち着き払って、るると見解を述べていらっしゃいました。石井桃子先生が101歳まで現役を続けられたので、(まだまだ働ける)と思っていらっしゃるのかもしれませんね。
こうしてみると、年齢上はまだかなり余裕のある私にも、チャンスが閉ざされたわけではなさそうです。頑張らなければ...。これからは、元ズィンミーの人々の犠牲的人生を思い浮かべて、自分を鼓舞させようっと。