ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

2008 年の後半に入りました

今日から7月。初夏とはいえ、まだ爽やかな時期です。
早いもので、今年も後半に入りました。毎日が充実しているかどうか、自分ではよくわからないのですが、ともかく、自由に夢中になれる音楽や読書や勉強があるというのは、最大の恵みであり幸せです。
昨日は、ある研究所から原稿依頼をいただきました。以前、拙稿を読んで興味を持たれたそうで、多分読者も喜ぶでしょうとのことでした。分野が異なると、利害関係がないので、客観的に冷静に見ていただけるのかもしれませんね。
また、昨晩、締め切りに間に合うように、学会発表を申し込みました。この先生とは、どうもメールの相性が合わないようで、昨年も確かに送ったのに「届いていなかった」と言われました。ただ、本当によい先生で、わざわざお電話で「もう一度、自宅宛にメールしてください」と手配してくださいました。そして、「前の年にも同じことがあったのだけれど、その人の場合は、問い合わせが遅れたので、発表資格を失ってしまった」とおっしゃいました。私の場合は、運よく入会直後にすぐ発表させていただき、会報への原稿依頼もいただいたのですけれども、なんと今年も、その先生宛メールがうまくいかなかったのです。結局、先手を打ってご自宅にお送りしました。なんでこんなことになるのだろう、と思っていたら、帰宅した主人が早速調べてくれて、「今は届くけれど、そのメールアドレスは一時的に交信不可能になっていた」と言われました。
研究テーマについては、何かとやりにくいこともあり、いろいろ思いましたけれども、「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(マタイ福音書20:16)とありますから、多分、弛まず慢心せずに、最後まで歩み続けよ、という意味だと自分を鼓舞しています。また、最近しばしば思うのは、「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」(ヨハネ福音書21:18)です。そこに隠された意味があるのだから、全力を尽くして探り求めよ、ということなのでしょう。(引用は、日本聖書協会新共同訳1987年による)
日本のよい所は、東洋思想と聖書の思想(西洋思想とは限らない)を自由自在に組み合わせられる余裕があることです。エレーヌ・グリモーも、基本的には、よい家のたしなみとして、聖書と教理問答を子ども時代から身につけたようですが、同時に東洋思想にも心を開き、西洋では衝突する進化論などの議論が、東洋ではぶつかることがない、と認めています(『野生のしらべ北代美和子(訳)ランダムハウス講談社2004年p.107)。だからどちらが優れているのか正しいのか、というものではなく、恐らくは相補関係にあるのではないかと思います。その点において私も、個人的には禅語を覚え、禅寺が好きなように、組み合わせが自由にできる環境を感謝しています。シンクレティズムというのではなく、領域を自由に行き来できる精神的余裕という意味です。そこから、新しい見方や考え方が生まれるのだということです。

それと、事実に基づく事項は、何でも記録して残しておかなければならないということも、最近改めて気づきました。例えば、初期キリスト教研究や聖書学などで「これまでに見つかった写本には、これこれはない」などと書かれていることがありますが、今後、新しい写本や資料が見つかれば、解釈が異なる可能性も残しているわけです。また、発掘された遺跡を調べてみると、必ずしも聖書の記述通りではないこともあります。その場合、怒り出す人が世の中にはいるのですが、そうではなく、(ではなぜこのように記されたのだろうか)と新たな読みを考える機会が与えられたのだとみなすべきだろうと思います。新しい解釈が必ずしも正しいとは限らず、むしろかなり昔の解釈の妥当性が再確認される場合も多いのですから。
また、ムスリム・クリスチャン関係においては、競合と対立だと言って、改宗活動に熱心なグループが双方にありますが、クリスチャン人口が多いか少ないかを論じるのではなく、恐らくはその質と力量にかかっているのだろうと考えます。例えば、ユダヤ教徒の人口は、古代から決して強大でもなく、決して世界的に見て多くはないのにもかかわらず、苦難を乗り越えてここまで生き伸び、世界的にもこれほど有名な民族は他にいないからです。教育に非常に力を入れていること、読み書き人口が常に多かったこと、聖書のことばを多様な角度から徹底して議論し続け、書物に解釈を書き記すことで叡智を積み重ねてきたことなど、まだまだ学ぶことの多いものです。逆に言えば、このような人々に対して憎悪や敵意を示す立場がいつまでも劣性にあるのは、ごく自然な成り行きかとも思われます。