ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレー語・ムスリムと聖書・アラブ

昨日付のはてな英語版ブログ“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)では、マレーシアの首都圏にあるカイロス研究センター所長のDr. Ng Kam Wengの最新版論説を引用させていただきました。もちろん、複写引用に当たって許可をいただくのですが、いつも快く了解していただき、感謝しております。
内容としては、マレーシア独立前後の非マレー人への市民権付与の問題や、マレー人と非マレー人の間の「社会契約」の変遷を扱ったもので、マレーシア研究者であれば、たいてい誰でも知っていなければならない事項です。日本でも大先輩の先生方の研究論文で、かなり論じ尽くされた事柄です。博士が改めてこれに言及されたのは、地元人の認識の遅れを暴露するためではなく、「社会契約」の認識や解釈が、当初の理解と徐々にずれてきているため、再度警告を発するという意図があるのではないかと思います。国の将来を考えれば、非常に深刻な問題だからです。
博士は、広東系マレーシア人で、ケンブリッジ大学から博士号を授与されています。2006年11月下旬に、一度オフィスでお目にかかったこともありますが、それ以前にも、出版物を送っていただいたりしていました。面談の間に、博士がイスラームに言及する時、よく引用される井筒俊彦氏について、「あの人はムスリムだったのか?」と聞かれました。「私の理解するところでは、ムスリムではなく、かつてはプロテスタントの背景をお持ちだったと聞いたことがありますが」とお答えしましたが、それでよかったのでしょうか?でも、日本人のイスラーム研究者がマレーシアの数少ないキリスト教神学者によって引用されるとは、自分のことではないのに、何だか誇らしいです。というのは、マレーシアの非ムスリム指導者層は、当事者として切迫した日常の緊張感の中から、嗅覚的にどの学者の研究が正当かを判断されているからです。
華人の中でイスラーム改宗する人が出ると、華人共同体にとっては「(その人が華人集団への忠誠を失ってマレー人共同体へ自分を)身売りした」と思われるので、改宗動機とその背景を重要だと考える、という箇所は、その後の博士からの連絡で削除いたしました。これは、私にとっても、よくわかります。マレーシアに滞在していた頃、もともとマレー人贔屓であった知り合いのある華人が、結局のところ、娘さん三人も含めてイスラーム改宗しました。そのことを知った別の知り合いの福建人が「あの人、昔は優秀だったのに、この頃だんだんおかしくなってきた。もう華人とは付き合えない。変なことして...」と私に言ったからです。言い尽くされたことですが、民族と宗教がほぼ一体化しているところに、マレーシア社会の単純だけれど根深い複雑さと共存の困難さがあります。
また、今日付の“Lily's Room”では、マレー語の問題と「ムスリムにも聖書を」という提案をまとめてアップしておきました。ポイントは、発信者の三人とも全員ムスリムだということです。つまり、態度の開かれたムスリムの中にも、現状を憂えている人々がいるという一つの証左なのです。
ただし、残念なことに、前者2件のマレー語問題については、意識の高い非マレー人なら誰でも知っている内容ですし、後者の「ムスリムにも聖書を」も、省略したコメント欄を読むと、「そうだよ、ムスリムだって、聖書を持っている人は結構いるよ」などと書かれてあります。上記のDr. Ng Kam Weng論説と通底するものですが、実際には、Aという現象が確かにあるのに、公的あるいは表向きには、「Aはない」「正しいのはBである」というような虚偽が、当局の政策あるいはコントロールによって社会に蔓延させられているという事実です。これが、マレーシア研究のやりにくさであり、人材の発展を大きく阻んでいる原因です。

話は少しずれますが、同様のメッセージをもっと劇的に主張しているアラブの事例を、以下の「メムリ」メムリMEMRI) (http://memri.jp)掲載記事2件によってご紹介しましょう。(1)はリビア出身のヨーロッパ在住ムスリム、(2)はクェートのシーア派ムスリマ学者が発言者です。

(1)Special Dispatch Series No.1877 (Mar/25/2008)


「ヨーロッパがイスラム法を導入すれば、中世の暗黒時代に逆戻りする―リビアのリベラル派知識人カンタベリー大主教を批判― 」


アラブのリベラル派サイトe-journal Elaphは、2008年2月26日付でヨーロッパ在住のリベラル派思想家で実業家のリビア人アル・ホウニ(Muhammad ‘Abd Al-Muttalib Al-Houni)の主張を掲載した(2008年2月26日付(http://www.elaph.com))。最近イギリスのカンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズ博士が、イギリスにシャリーアイスラム法)を導入する件について触れており、これについてコメントしたもの。アル・ホウリは、もし導入すれば、社会解放を敵視する原理主義者をつけあがらせるだけとし、大主教の声明はムスリム国家における自由を求める闘争にも、重大な障害になる、と警告した。以下その主張である。


人権概念に大きな打撃、女性蔑視を助長


 最近私は英国教会の大監督(カンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズ博士)の声明を読んだ。イギリス居住のイスラム教徒のために、イスラムの宗教法シャリーアを導入しても、イギリスの法制上問題はないという主旨である。


 この声明をめぐって既に論争がおきている。反対派賛成派が激論を戦わせているのだ。私は、ヨーロッパに住むひとりのムスリム市民として、この厄介な問題をとりあげ、その意味するところを理解する必要であると考えた。ヨーロッパ諸国が、イギリスの大主教の主張を導入したら、ヨーロッパに何が起きるか。この点を明らかにしておく必要があると思うのである。


 シャリーアの刑法的側面をヨーロッパの法体系にとりこめばどうなるか。背教者(ほかの宗教に改宗したムスリム)は死刑、泥棒の罰は手首切断、強盗は片手片足の切断、不義密通は礫投げで死刑、酒のみは公衆の面前で鞭打ち刑、同性愛は高所からの突き落としで処刑、(殺された)犠牲者の近親者が国家の代わりに殺人犯と取引することが許される。カンタベリー大主教がこのようなことを望んでいるわけではないだろう。


 大主教は個人の身分、地位に関する個所のみの導入を考えているのだろう。それでは、その法がヨーロッパの裁判所ではどのように運用されるのか、考えてみよう。


 まず手続き上の問題であるが、ヨーロッパのムスリム住民がかかわる紛争すべてを捌くため、ヨーロッパ諸国にイスラム法廷を設置する必要がある。或いはまた、シャリーアの齟齬なき運用ができるように、多数の裁判官や弁護士をタリバンへ送って、シャリーアを学習させねばならない。


 シャリーアを運用するヨーロッパ諸国は、これまで調印した国際協定に留保をつけなければならなくなる。何故ならばシャリーアで次のことが許されるからである。
(1)ヨーロッパのムスリム住民は重婚が許される。重婚男性は、ヨーロッパの法律では犯罪だが、ムスリムは罰せられない。
(2)コーランが促しているように、懲罰と称してヨーロッパのムスリム住民は、妻の殴打が許される
(3)男は一方的に離婚を決定できる。三下り半をつきつけるだけ。法手続きや法の調停を経ないでよい。シャリーアで男にその権利を保証しているからである。
(4)遺産相続は、娘は息子の半分。未亡人は僅か8分の1の権利しかない。
(5)シャリーア法廷では、女性の証言は男性の証言と同等に扱われない
(6)離婚された女性は、再婚すれば子供の保護権を奪われる
(7)ヨーロッパのムスリム住民は、法手続きによる入籍なしで伝統的な結婚式で結婚が成立する
(8)養子は、シャリーアに反するので、養子縁組は排除される。
(9)女性は、ムスリムの夫がほかの宗教に改宗したら、強制離婚となる。何故なら夫が背教者になったからである。
(10)ヨーロッパのムスリム女性は、非ムスリム男性と結婚できない…。


イスラム法の導入で市民と市民権の概念は変質する
 

(ローワン大主教の)意図が、ヨーロッパの法制度にイスラムシャリーアを全部または一部を導入することにあるのであれば、それは次のことを意味する。


1)ヨーロッパにおける市民権の概念が変質する。市民と市民権に(さまざまな)階級が生じる。市民によっては、一般の法律の適用を免除される。特定の宗教に帰依しているからである。ムスリム市民(階級)、キリスト系市民(階級)、仏教系市民(階級)、儒教系市民(階級)等々の階級分けになり、各階級にそれぞれ違った法が適用される…。つまり、信仰は個人の自由や信仰の自由ではないのであり、公という立場に極めて深刻な問題が生ずる。


2)イスラム法の全部或いは一部が導入され、ヨーロッパ諸国の立法機関で承認されると、人権擁護法が打撃をうけ、変質してしまう。問題はそこでとまらない。人権思想そのものが終りを告げるのである。私が先に指摘したことは、すべて人権思想と原則を否定しているからだ。


3)このシャリーアの全部いや一部であっても、その導入を認めるならば、ヨーロッパ社会は中世の暗黒時代に引き戻されてしまう。人権宣言どころではない。啓蒙運動時代の前になる。西側は野蛮社会へ逆戻りするのである


英国教会は原理主義のパートナーか?


 ヨーロッパ諸国は、人道的側面よりは実務上の理由から、この破壊的要求をのむことはないと思うが、イギリスの大主教によって提案されたという事実が、イスラム世界に誤まったメッセージを送ることになった。つまり、シャリーアムスリム住民だけに適用すれば、イスラムシャリーアとヨーロッパ文明の間に矛盾は生じないという受けとめ方である。しかしこれはあやまったメッセージである。


 このようなマンガチックな声明で、英国教会は何を得ようとしているのか。どのような動機があるのだろうか。私は英国教会が次の意向を有すると信じる。


 一言でいえば、ムスリム原理主義者から見て、教会に責任はないと思わせたいのだムスリム系住民をめぐってヨーロッパ社会で生じている問題は、キリスト教キリスト教徒対ムスリムの衝突ではなくて、ムスリム対世俗国家の衝突である、と大主教は言いたいのである。しかし、これは、ヨーロッパ居住ムスリムの間に、居住国に対する敵意をもっと大きくするだけで、テロと暴力はもっとひどくなるだろう…。


 このような(カンタベリー大主教の)声明は、教会が一少なくともその一部が、人権擁護法を認めず、その人権思想の普遍性と包括性に疑問を抱いていることを意味する。それは、次のことも意味する。即ち、ヨーロッパの過激派ムスリムに支配されているモスクだけが、原理主義の巣窟ではなく、(ムスリム)住民の世俗化阻止に躍起になっているのではないということである。むしろ教会自体が、この声明を通して、この危険なゲームの団体メンバーになったのである。


大主教の声明はイスラム社会の原理主義者を鼓舞するのみ


 大主教が発表したこの要求は、随分前に中世時代の価値観と思考から訣別したヨーロッパで、通用するわけがないだろう。しかし。イスラム世界では違う。この要求はイスラム世界に反響し、憂慮すべき(インパクト)を与えている


 イスラム世界は、社会に残る世俗的側面が原理主義者の攻撃にさらされて、苦しんでいる。この原理主義者達は、メディナ預言者ムハンマド(によって設立された)7世紀の国家をモデルとし、人権と矛盾するシャリーアの法を運用したいのである。 現在のところこの(原理主義の)連中は、イスラム諸国の世俗主義者を狙い打ちにしている。彼等は、「英国教会がヨーロッパで導入を考えているのに、イスラム国家に住むお前達がシャリーアに反対するのは、一体どういうことだ」と主張する。


このメッセージは間違っている。イスラム世界にみられる近代化世俗の願いに百害あって一利なしである。このような願いはおおきな勢力になっているわけではない。まだまだ弱い。背教とか異端とか(西側への)屈従といって、非難するイスラム原理主義者の津波には、ひとたまりもない。一気に押し流されてしまう。英国教会の聖職者達による声明は、イスラム原理主義者の思惑に、まさに援軍の役割を果たす。イスラム諸国における世俗思想を圧倒し、原理主義者の宗教思想を勝利せしめることになる。


キリスト教イスラム教或いはユダヤ教といった一神教の宗教原理主義者は、互いに敵意を抱いてきた。その敵意は根深いものがあるが、三者が手を組んで啓蒙思想を相手に一戦まじえる、と私は考えている。彼等のイデオロギーには同じ遺伝子があるのだ。時間と空間を超越し、あらゆる時と場所で絶対的真理をあてはめる、と三者三様に信じているのである。

(2) Special Dispatch Series No.1878 (Mar/27/2008)


「アラブ世界で宗教的権利を守れるのは世俗国家だけ―クウェートのコラムニスト発言― 」


クウェートの学者でシーア派に属しリベラルな活動家として知られるアル・ハティブ博士(Dr. Ibtihal Abd Al-Aziz Al-Khatib)は、2006年夏のイスラエルレバノン戦争をめぐって、ヒズボラ書記長ナスララ(Hassan Nasrallah)を批判し、イスラエルがヴィノグラド調査委員会を設置してその行動を検討し、反省の資料にしたように、アラブも調査委員会を設けよ、と呼びかけた。そのため沢山の脅迫にさらされ、命を狙われることになった。ここに紹介するのは、そのアル・ハティブ女史のテレビインタビュー。2008年3月14日アル・アラビアTVで放映された(http://www.thememriblog.org/blog_personal/en/5206.htm).画像で見る場合は、次の参照(http://www.memritv.org/clip/en/1720.htm).


我々は負の側面を直視できない―破壊と荒廃のなかで勝利宣言をするヒズボラ


インタビュー記者: 2006年7月の戦争は、イスラエルの戦闘マシーンをくいとめ、イスラエルのうぬぼれを粉砕したのであるからヒズボラの勝利、と思いませんか。


アル・ハティブ博士: 本件について我々はどこかナイーブな考えを抱いています。実はそこが我々の問題なのです。イスラエルが打撃をうけたことは即我々の勝利と考える。いためつけられた者がいれば、いためつけた者がいる。平たくいえば、敗者がいるのなら勝者もいる筈という図式です。戦争がそんなに単純なものであればの話ですがね。双方が敗者の場合もあり得るのです。その戦争がこれに該当します。イスラエルは、いくらか物的損害をうけました。人員に多少の被害があった。不敗の軍隊という評価がありましたが、その評判も落としました。しかし、レバノンの状況を考えるとどうでしょう…いつも言っているのですが、我々は最初に“勝利”を定義しなければなりません。数十億ドル相当のインフラが破壊され、人的被害も数千人に達しています。国は停滞し、観光産業は潰滅状態。これを称して勝利とは、一体どうすればそう言えるのでしょうか。こんなボロボロな状態なのに、街中にくりだして勝利を祝う。こんなことがよくもできますね。将来の政治状況で失敗を繰り返さないために、負のネガティブな側面を直視し、何故そうなったのかしっかり分析しておくべきなのです。私がいつも言っているのは、このことです。


記者: あなたは、方々から批判され、拒否されています。脅迫の手紙も沢山きていて、あなたをユダヤ人、利敵行為者、背教者と呼んでいます。これはヒズボラの持つ聖のオーラが然らしめるところ。そうは思いませんか。


アラブは他力本願、荒廃と衰退の中で英雄の出現を待ち望むだけ


アル・ハティブ博士: 所謂宗教政党を批判したため、随分怒りをかいました。私の意見では、イスラムとアラブの人民は、まだ救世主の到来を待ち望んでいるのです。この荒廃と衰退から我々を救ってくれる人の出現を、待ち続けている。アラブとムスリムの政治史をみると、我々は或る種の指導者に執着し、その結果がどうなるのか全然考えないで、その人物に追随するのです。


記者: あなたは、宗教の問題を抱えている。そうではありませんか。


アル・ハティブ博士: 勿論そんなことはありません。私の見る問題は、宗教的強権です。アラブの国の大半がそうですね。


記者: 宗教的強権とは一体どういう意味ですか。


アル・ハティブ博士: 特定の国で特定の宗派が強い力を持つ…私はクウェート人ですから、クウェートを例にとりましょう。ここでは、スンニが圧倒的です。


記者: それは、人口の大多数がスンニだからでしょう。


アル・ハティブ博士: 政府もスンニです。それで、特定集団は、必然的に不公平な扱いをされ、権利を侵害されます。


記者: 政府はスンニ。でもその政府にシーアの閣僚が何名かいますよね。これをどう説明しますか。


アル・ハティブ博士: 確かにそうです。でも大多数はスンニの大臣です。


記者: しかし、政府はスンニの性格とは言えませんね。


アル・ハティブ博士: 勿論言えます。スンニの性格です。


記者: シーアの閣僚が数名いてもですか。それでもですか。


アル・ハティブ博士: 勿論。支配王家はスンニです。イスラムの指導学派は、はっきりそうです…子供達に対するイスラムの教科内容はスンニです。慈善事業法は純粋にスンニ法です。シーアにはありません。


すべての者の信仰の自由を保証できるのは世俗主義


記者: それで、シーア派の権利が尊重されていないから、シーアを弁護されるわけですか。


アル・ハティブ博士: そんなことは言っていません。例えばイランでは、権利を侵害されているのはスンニです。少数派であるため、さまざまな圧力にさらされ、苦しんでいます。宗教を国家から分離し、市民の権利を平等に認める…世俗主義こそ宗教を守り、特定宗派を排除しないのです。すべての宗教を同じレベルで扱う。宗教上の権利を行使する自由を、すべての人に平等に保証することです。近年アラブ世界では、世俗主義リベラリズムの原理原則のうけがよろしくない。ジャーナリストとしての私達の任務は、その原理原則の正しさを明らかにすることです…。


記者: 何故うけが悪いのでしょう。


アル・ハティブ博士: 異端の烙印を押されているからです。


記者: 異端の非難にさらされているということですか。


宗教は神の領域、国家は皆のもの


アル・ハティブ博士: その通りです。世俗主義の人は異端として非難されています。非難されるいわれは全然ありません。世俗主義は、宗教と国家の分離を考えます。宗教は神に属し、国家は皆のものです。すべての人が自由に自分の宗教を信仰し自分の精神的癒しの道をあゆむが、全員が市民国家の成員としてそれに従うのです。スンニがシーアよりもずっと権利を享受しているとか、或いはその逆とか、イスラム国家ではキリスト教徒に権利らしい権利が保証されていないといったことがなく、全員が平等の扱いをうけるのです。
私は自分をスンニとかシーアと言いたくありません。自分は何はさておき、まず第一にクウェート国民なのです。私の信仰生活は、私と創造主とのかかわりの問題です。


記者: それで、イスラムのどの宗派に属するかを表にださない、強調しないということですか。


アル・ハティブ博士: その通りです。私はクウェート国民なのです。


記者: セクト主義が強まっている状況にあって、イスラムの或る宗派の成員ではなく、クウェート国民としての自己認識を持つことが、我方の国々では大事、必要になったというのですか。


アル・ハティブ博士: 必要というより緊急ですね。ひとつ質問してもよろしいですか…。


記者: 普通、質問するのは私の方ですが…。


アル・ハティブ博士: 今日は、私が質問します。シェイク、ムッラー、アヤトラ等々宗教上の権威者についてたずねるとします。この宗教上の権威者が、国益と衝突するファトワをだした場合、あなたはどちらに従いますか。国家権益かファトワか。どちらに従って行動しますか。答は極めて深刻な結果を内包しているのです。宗教と国家の分離を求めるのはそのためです…。


記者 : この答の結果は何をもたらすとお考えです。


アル・ハティブ博士: 国家より宗教上の権威が前にきて、しかもセクト主義の偏見が強い。これは我々アラブ諸国にとって破滅的なことなのです。


記者: 住民は、国家より宗教が大事と答えるでしょうね。信仰を守るために創造されたと言うでしょう。


我々は宗教と国家を比較するが、両者は次元が違う


アル・ハティブ博士: 何故なのかご存知ですか。我々が宗教と国家との間に比較の線引きをするからです。しかし両者は比較できません。次元が違うのです。宗教は信仰であって、道をベースとしています。信仰の道、内に秘めたものをベースとして国家は築けません。国家は明白なことをベースにして築かれるのです。


記者: これは、預言者ムマンマッドが示された道と衝突する。そう御考えにならないのですか。


アル・ハティブ博士: 預言者ムハンマッドは偉大にして且つ特異な存在です。神の言葉を伝えた英邁なる政治家であり、それに加えて、或る意味では聖別された人間でした。他の人にはなりえない聖です。大勢の人を周りに集め、政治、宗教、そして社会の諸々の事柄で彼らを統治できたのはそのためです。人々は彼の言うことに耳を傾けました。それゆえにと言いましょうか、死後どうなりました。数年後ではなく、数時間後に何が起きました。すぐに仲間割れして、セクト主義が生まれました。皆をひとつにまとめていたのは、御本人だったからです。


記者: しかし聖別されたものは、消えませんでした。経典に残されています。


アル・ハティブ博士: 私はこの問題で論争するつもりはありません。私は、この経典を使って近代国家を建設することはできない、と言っているのです。さまざまな経典の理解の仕方があるため、不可能と言っているのです。近代国家にはムスリムだけが住んでいるわけではありません。他の宗教の信徒を排除して、イスラムだけの国家をつくることはできません。


記者: イスラムと関係のない国家が望みなのですね。


アル・ハティブ博士: 宗教をベースとしない国家が欲しいと言っているのです。市民国家です。しかしその国家は市民の信仰の自由を保証する。それを守るのが条件のひとつです。ひとつ例を挙げましょう。ボーラはムスリムの一宗派です。最近クウェートでモスクを持つ権利を否定されました。何故でしょうか。


記者: 世俗主義と一緒に宗教的権利を守りたいと仰有るのですか。


我々は全員平等、それを守るのが世俗政権


アル・ハティブ博士: 世俗主義は少数派の権利を守ります。勿論、すべての宗教の権利を守るのです。


記者: 少数派の権利ばかりに話がいって、多数派の権利が失われることがままあります。
アル・ハティブ博士: どうしてそうなるのですか。世俗政権は全員を守り、スンニ派のあなた、シーア派の私、いずれも自分の信仰の道を自由に歩んでよろしい、キリスト教徒もユダヤ人も信仰の自由、権利がある、といっているのです。多数派の権利がどうして失われるのです。このようにして我々は全員が平等であり、全員を差別せずに扱う世俗政権によって守られるのです。

(引用終)
ただし、正確な翻訳かどうかは私には確認不可能であることを、ご了承願います。また、「ユーリの部屋」に複写移行する段階で、レイアウト上、表記や位置関係を変更した部分が数か所があります。オリジナルは、「メムリ」のサイトでご確認ください。

PS: 「メムリ」情報の(1)について補足があります。イギリスのカンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズ博士のシャリーア法導入発言については、2008年2月12日付「ユーリの部屋」と2008年2月12日・2月13日・2月17日付“Lily's Room”でご紹介済みです。実は、大主教は、2007年5月7日から11日まで、セミナー出席のためクアラルンプールに来られる予定でしたが、マレーシア政府の直前のドタキャン(文字通り!)によって、お流れになりました。詳細は、冒頭で記したDr. Ng Kam Wengのサイト(http://krisispraxis.ath.cx)の2007年5月10日付投稿記事‘Dialog (Building Bridges Seminar)Between Christian Muslims Scholars Cancelled'をご覧ください。