ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

サウジアラビアのお話

今日の午前中は、案内をいただいていたこともあり、新設された「クラーク記念館」に入ってみたくて、久しぶりに同志社大学へ行ってきました。
公開講演会「イスラームにおける諸宗教間対話への試み」と題するもので、サウジアラビアの代表の方達がお話されました。100名ぐらい集まっていたでしょうか。ほとんど中高年が中心でした。講演というより、挨拶程度の繰り返しの多い既知の内容で、質疑応答も予想通りのありきたりのものでした。初心者向けなのでしょうか。多少は刺激的な内容であればいいのですが。
私のお隣の方は、何と途中から、備え付けの聖書を熱心に読み始めました。私も、せっかく来たので、パンフレットや冊子などを何部かもらって帰ってきました。
では、お口直しに、メムリ記事をどうぞ。

メムリ」(http://memri.jp)から
Inquiry and Analysis Series No 482 Dec/28/2008
[高まるスンニ対シーアの緊張(第三部)―サウジアラビアの宗派間抗争]
Y・アドモンY(MEMRIの研究員)
最近サウジアラビア国内でスンニ対シーアの緊張がたかまっている。アラブの報道によれば、サウジ当局は国内のシーア派社会を差別してきてきた。2008年6月メッカで開催された諸宗教間対話会議にシーア派代表の参加を認めず、シーア派モスクを閉鎖し、シーア派の上級聖職者を逮捕、イランからのメッカ巡礼者を迫害してきた。
更に、サウジではスンニ派聖職者による反シーア声明がいくつかだされている。例えば22名の聖職者が連名でだした2008年6月のコミュニケは、シーア派を背教者と断罪し、ムスリム世界の征服を意図していると非難している。このコミュニケはシーア派社会が強く反撥し、抗議に火をつけた。一方、スンニ、シーア間の和解をめざす動きがみられた。しかしこのイニシァチヴはサウジのスンニによって非難された。
本記事は、サウジ国内のシーア派に対する当局の政策、スンニ、シーア間の和解工作とそれを阻止する動きについて、報告する。
・少数派のシーア社会に対するサウジの政策
サウジ当局のシーア派差別政策については、最近いくつかの報告がだされている。そのひとつヒューマンライツ・ウォッチ(HRW)の報告によると、サウジ当局は、教育、信仰の自由でシーア・イスマーイーリ派(Shi’ite Isma’ili)を差別し、法のもとでの平等を無視、官公庁のポストにシーア派住民を受入れない。HRWの中東・北アフリカ局長代理のストーク(Joe Stork)は、「サウジ政府は、国外では宗教上の寛容を提唱しながら、国内ではシーア・イスマーイーリ派成員をその信仰の故に組織的に差別している。政府はイスマーイーリを2級市民として扱うことをやめなければならない…」と述べている※1。
最近の報告によると、サウジのアブダッラー国王は、ナジラン州知事ミシャル公(Prince Mash’al bin Sa’ud bin ‘Abd ‘Al-‘Aziz)を解任した。この地方では、サウジの治安部隊と少数派のイスマーイーリが衝突している。この報告は、ミシャル公自身の要請で解任されたとしている。注目すべきはナジランのイスマーイーリ達の意見。彼等は差別問題でミシャルを非難している。知事時代、このマイノリティが多数逮捕されているのである※2。
 2008年6月、いくつかのアラブ系ウェブサイトが、同月メッカで開催された諸宗教間対話会議に関し、サウジ政府のとった措置について報じた。それによるとサウジ政府は、主流のサラフィに属さぬスンニ系住民そしてシーア派聖職者の会議参加を禁じた。主流であるサラフィのメンバーのみに参加を限定し、唯一イラクの国外に居住するイラク反体制のハーラシ(Sheikh Jawad Al-Khalasi)のみを例外として認めた。この報道によると、サウジ政府は、シーア派住民が海外の会議にサウジラビアを代表して出席することを禁じている※3。
シーア派のウェブサイトwww.rasid.com は、2008年6月5日サウジ当局がアル・ホバル(Al-Khobar)のシーア派モスク3ヶ所を閉鎖し、シーア派聖職者とモスク従業員を逮捕した、と報じた。この報告によると、サウジ当局は、東部州(Ash Sharqiyah)が問題のモスク3ヶ所の閉鎖と同所における礼拝を禁止した旨シーア派聖職者に通告した※4。
またこのウェブサイトは、シーア派の聖職者で信仰の自由を求める活動家アメル(Sheikh Towfig Al-'Amer)が、反シーアの声明を掲載した22名のスンニ派聖職者を批判した科で逮捕された、と報じた。この報告によると、アメルは2008年6月13日の説教で、22名の聖職者はスンニ派社会を代表せず、自分達だけの世界しか語っていないとし、彼等の言動が反シーア戦争の御膳立てをするものであり、「政府はこの聖職者達から(シーア派社会を)守る義務がある」と述べた。更にアメルは、このスンニ派聖職者に声明撤回を要求し、サウジ政府にはこの聖職者達の行動を抑えるよう求めた※5。同サイトは、アメルが1週間の拘留後釈放され、サウジにおけるシーア派の扱いに関する批判中止と宗教上の活動停止を求められた、と報じた※6。
ナメル(Imam Sheikh Namer Bager Al-Namer)も、逮捕された後釈放されたシーア聖職者のひとりである。信仰の自由に‘本当の改革’を導入して、サウジのシーア派を守れと、サウジ政府に繰り返しアピールしている。注目すべきは、ナメルの説教である。イランに対する忠誠を誓った説教があり、「我々は心からイランを支持する。今後も総力をあげて支持していく」と述べ、「イランは、ホルムズ海峡の封鎖、シオニスト存在体の破壊、米軍基地と米国の権益に対する攻撃の権利を持つ…自衛のための核戦力を整備する権利もある」とつけ加えた※7。
シーア派イスラムの敵を支持している―スンニ聖職者の主張
2008年6 月1日、それは諸宗教間対話に関するイスラム会議の開催3日前であるが、www.almoslim.net が、スンニ派聖職者22名の連名による声明を掲載した。バラク(Sheikh 'Abd Al-Rahman Al-Barak)、ジブリン(Abdallah bin Al-Jibrin)を含む22名の聖職者達は、シーア派を背教徒と断罪し、‘まことしやかなシーアの主張’を受入れることに警告を発した。まことしやかというのは、イスラムを支持し、ユダヤ人とアメリカ人に対する憎悪を擁護する。これはレバノンヒズボラが讃える偽論議と同質であるという。更にこの聖職者達は、シーア派があらゆる機会をとらえて、ムスリムの敵を助け、イランとイラクで明らかなように、居住国の乗取りをはかると主張した。更に又このスンニ派聖職者達は、シーア派が不和の種をまき、腐敗し、ムスリム諸国の安全を脅かしていると、非難している。
・聖職者22名が声明で述べているのは、次の通り。
「(ムスリム)共同体内の諸集団のなかで、一番悪辣で汚いのがシーア派社会である…スンニに対して最も強い敵意と二心を抱いている…イスラムムスリムは、執拗に(スンニ)とその信仰の破壊を企む(シーア派の)ために、今尚苦しんでいる。(そのうえシーア派は)あらゆる機会を捉えてムスリムの敵を支持し、居住国においては、イランとイラクでやったように、スンニ住民を屈従せしめる。ムスリムの間に不和の種をまき、ありとあらゆる腐敗と破壊をまき散らし、ムスリム諸国の安全を脅かしている。過去何度かメッカ巡礼でこれが起きた。イエーメンのバドル(Badr Al-Din Al-Houthi)の支持者達に起きたのも、この例である…」※8。
・サラフィが世界に流血の惨をまき散らす―シーア派聖職者の回答
2008年7月2日、シーア派聖職者85名が連名で、いくつかのウェブサイトにコミュニケを掲載した。上記スンニ派聖職者の声明に対する回答で、勿論その声明を非難し、次のように主張した。
「他者を背教徒と非難するファトワをだした者こそ、サウジアラビアイスラム世界における身の毛もよだつ流血の惨に責任がある…スンニ聖職者は自己を反省し、シーア派社会の現状を客観的且つ良心的に精査すべきである」※9。
・サウジのシーア少数派は平等の扱いを受けねばならぬ―サウジリベラル派の意見
アラブのコラムニストでは数名がスンニ派聖職者の声明を非難し、シーア派聖職者のコミュニケを称賛した。前者は、異端非難のイデオロギーに凝り固まっており、サウジアラビアシーア派マイノリティは平等の扱いを受けなければならぬという意見である。
アラブ首長国連邦アラビア語紙Al-Ittihadで、サウジのリベラル派で政治評論家のダヒル(Khaled Al-Dakhil)は、次のように論じている。
サウジアラビアのシーア住民はほかの(住民)と平等である…。
 注意しなければならないが、スンニの声明に署名した聖職者は、サウジ宗教研究評議会やサウジ上級聖職者会議といったサウジアラビアの公的機関に誰ひとりして所属していない。更にこの声明は(僅か)22名しか署名していない。つまりこれは、幅広い支持を得ていないことを意味する。良いしるしではないか…」※10。
シーア派に不動産売却は厳禁―スンニ聖職者の意見
 2008年10月22日、サラフィ・スンニのサード(Sheikh 'Abdallah bin 'Abd Al-Rahman Al-Sa'd)は、サウジのスンニがシーアに土地を売ってはならぬとするファトワをだした。そのファトワは次の通り。
 「シーア派に土地を売れば、彼等が国家を形成することが可能になる。彼等はその国家を使って、ムスリムの信仰を破壊し、ムスリムの間に異端思想をまき散らす意図である。アフガニスタンイラクで既に起きているように、シーアがムスリム諸国の乗っ取りを目的とする信仰なき諸国と結託しているのは、秘密でも何でもない…彼等はスンニの土地、家、アパートその他この清らかな国家の不動産を手中にしようと企み、サウジアラビアを乗っ取り、支配する意図である」※11。
 サウジのリベラル派スンニのシャムマリ(Mukhlif bin Daham Al-Shammari)は、このファトワが「内部紛争の炎に油を注ぐ」とし、シーア派との連帯を示すため、私有アパートを市価の10%引きで売りだした。シャムマリはサウジ当局と聖職者にこの種のファトワ発布をやめるように要請している※12。
・迫害されるイラン人巡礼
 イランでは、最高指導者ハメネイ('Ali Kamenei)の意志伝達紙で革命防衛隊に配布されている週刊誌Sobh-e Sadeqは、イラン人巡礼が苛酷で屈辱的扱いを受けているとして、サウジ当局を非難した。この週刊誌によると、ハメネイの巡礼問題担当代表リシュハリ(Mohammad Rishhari)は、イランの公益評議会議長で最高評議会議長のラフサンジャニ(Hashemi Rafsanjani)がサウジアラビア訪問時(2008年6月)、イラン人巡礼に対する扱いの改善を求めたにも拘わらず、状況はむしろ悪化、特にメディナではひどいと語った※13。リシュハリは、サウジ側の‘無礼な態度’に懸念を表明し、イラン人学生による複数の報告によれば、サウジアラビアがイラン人巡礼を屈辱的扱いにさらしている、と述べている※14。
 イランの外相モッタキ(Manouchehr Mottaki)も(巡礼問題で)サウジアラビアの政策を批判、その言動は?受入れられない?とし、イランの駐サウジ大使を通して対応をいそぐと言明した※15。
・スンニ・シーアの和解の試み
 スンニ派聖職者22名連名の声明は、数名のスンニ関係者も非難した。サウジアラビアにおけるスンニとシーアの和解を求める人々である。シーア派筋によると、指導委員会並びにイスラム法学アカデミー(Islamic Fiqh Acadeny, IFA)のメンバーであるヌジャイミ(Sheikh Muhammad Al-Nujaimi)が、2008年6月19日に、サッファル(Sheikh Hassan Al-Saffar)を含むシーア派の有力聖職者と会った。スンニ聖職者の声明が呼びこんだ嵐を静めようと考えたのである。サッファルのウェブサイトに掲載された報告によると、会談時ヌジャイミはスンニ聖職者を(宗教上の)権威とは考えていないと断言、(スンニとシーアの)対話の重要性を強調した。ヌジャイミは、声明署名者の立場に同調せず、彼等を支持しないと述べた※16。
 シャムマリは、三大一神教三者対話を提唱するアブダッラー国王のイニシァチヴを支持し、更にスンニ聖職者の声明に抗議する意志表示として、シーア派のウェブサイトwww.rasid.com に声明をだし、アル・カティフ市のシーア派モスクで礼拝する意図を発表した。スンニとシーアは互いに尊敬しあい寛容の心で相手に接しなければならぬと説き、イスラムの宗派間反目と過激主義を非難しているが、シーア住民にアル・ホバル市のスンニ派モスクで会同礼拝を呼びかけている。サウジの東沿岸地帯の町である※17。
 2008年6月13日、シャムマリの呼びかけにこたえ、シャムマリ自ら先頭にたってスンニ派代表団を編成、6名がアル・カティフのシーア派モスクを訪れ、サッファルの金曜説教を聞いた。サウジムスリム各層の連帯と調和の重要性を説く内容であった。代表団のメンバー達は、前述のスンニによる反シーア声明が訪問のきっかけになったと報じた※18。
 シャムマリはサウジ地方紙のインタビューで、訪問が成功であったとし、お返しにシーア派の人々をアル・ホバルのスンニ派モスクでの礼拝に招いたと語った。サッファル師がこのイニシアチヴを称賛し、シーア派住民に通達をだして、アル・ホバルのスンニ派モスクを訪れ、そこで金曜礼拝をおこなうよう勧告した、とも語っている※19。
 サウジのシーア派活動家ハジャッジ(Zuhair Al-Hajjaj)はwww.islamonline.net のインタビューで、次のように述べた。
 「シーア派の代表団がスンニのモスクを訪問すれば、二つの宗派の和解をめざす最初の相互訪問の第一歩となる。二つの宗派といっても、同じ宗教を起源として分岐したのである」と述べ、「二つの宗派は、不一致点より共通点がずっと多い…意味のある和解が生まれるには、双方の著名聖職者と知識人のイニシアチヴが必要であり…、スンニ及びシーアのモスクにおける合同礼拝は、この訪問に沿った第一歩となる」と強調した※20。
・スンニとシーアの和解は禁じられている―バラク
 2008年6月15日、スンニ派聖職者声明の署名人のひとりであるバラク師(前出)は、www.islamlight.net にファトワを掲載し、スンニとシーア間の和解構想を拒絶し、次のように主張した。
「スンナとシーアは相容れない二つの哲学であり、(住民は)方向が異なり歩調を合わせて進むことのできない二大潮流から構成されている…スンナとシーアの和解は、キリスト教イスラムの合流を呼びかけるようなものである。誰でも知っているように、異端とイスラムは相容れぬ対極にある…(ムスリム)共同体のなかで、シーア派が一番悪辣で汚い、…従って、スンナとシーアの和解を呼びかける者は、この二つの思想の違いを知らぬ無知な者か、そのふりをしているかのどちらかである…」※22。
 シャムマリのイニシアチヴを妨害する動きは、サウジ国民の間にも起きている。www.rasid.com によると、2008年6月20日シーア派のサウジ国民50名がアル・ホバルのスンニ派モスクを訪れる途中、やむなく引返さざるを得なくなった。サラフィ過激派の1グループがモスクを襲撃し礼拝に参加するシーア派住民をターゲットにすると警告したため、計画を変更したのである。この報告によると、サラフィ過激派は、スンニ・シーアの合同礼拝を阻止すべく、反シーアの扇動キャンペーンを開始した※23。

※1 2008年9月23日付http://news.bbc.co.uk/hi/arabic/news
※2 2008年11月5 日付www.rasid.com
※3 2008年6月6日付www.truth1.jeeran.com
※4 2008年6月8 日付www.rasid.com
※5 2008年6月15, 23日付www.rasid.com
※6 2008年6月29 日付www.rasid.com
※7 2008年7月14日付www.rasid.com
※8 2008年6月1 日付www.almoslim.net
※9 2008年7月2日付www.aafaq.org
※10 2008年7月23 日付Al-Ittihad(アラブ首長国連邦)
※11 2008年10月22日付www.sabq.org/inf
※12 2008年10月23 日付www.aafaq.org
※13 2008年7月28日付Sobh-e-Sadeq(イラン)
※14 2008年8月6 日付Fars(イラン)
※15 2008年8月6日付Fars
※16 2008年6月26 日付www.rasid.com 2008年6月21日付www.saffar.org
※17 2008年6月8日付www.rasid.com
※18 2008年6月13 日付www.rasid.com
※19 2008年6月18日付www.hailnews.net
※20 2008年6月16 日付www.islamonline.net
※21 2008年6月15日付www.islamlight.net
※22 2008年6月20 日付www.rasid.com
(引用終)