ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

研究活動を支える人々の存在

昨朝メールを開くと、Uさんから早速、ワークショップの写真数枚が届いていました。雰囲気がよく出ている写真です。とても残念なことに、会合の間もきめ細やかに対応されていたUさんが、今月末でご退職との由。密かに頼りにしていたので、淋しく思います。キャンパスには、時々、不貞腐れてむくれ気味の学生さんもいないわけではないのですが、そんな時にもUさんは、おどけた声かけで元気づけられたり、私が複写や文献取り出しをお願いすると、さっと身軽に立ち上がって手伝ってくださったりするなど、本当にかけがえのない方でした。
マレーシアのリサーチでも常に感じることですが、組織で肩書きを持つ代表者以上に、その補佐をする立場にある人々の働きは、非常に重要です。よく人を見ているのも、そのような人々です。代表格の方達は、立場があるので、口が堅い上に忙しく、こちらが知りたいことを、易々と都合よく教えてくださるわけでもありません。
今は南メソディスト大学神学部の教授をされているロバート・ハント先生のマレー語聖書翻訳史に関する論文を読んでいた時、しみじみと感じ入ったのは、聖書翻訳者を支えた‘無名の人々’への言及があったことでした。「聖書翻訳者の名前は歴史に残ったとしても、翻訳者に言葉を教えたり、活字を拾って組んだりした人々のことは、とかく見過ごされがちである」と。マレーシアの場合は、マレー語聖書翻訳者のウィリアム・シェラベアにマレー語を教えた人の親族が毒殺されたらしいという話を聞いたことがありますが、もしそうであるならばなおのこと、名前を残すことの意義は重要になってきます。

昨日の「ユーリの部屋」では、組織の流れに乗って順当にコースを歩む研究者と、私のように、偶然、派遣された国で仕事をする間に抱いた問題意識を手探りで追及している者とでは、社会的証明や心理的安定感などが全く違う点に言及しました。通常は、前者の方が「成功した」と見なされ、職も確保でき、それで暮らしの糧も得ることができます。ただ一方で、そういう研究者が見落としてしまったテーマを、私がたまたま拾っているとも言えなくもないわけです。
ニッチとか趣味的好事家の調べ事ではなく、一国の独立した当局が継続的にしている抑圧問題なのですから、これは重大で深刻です。しかし、例えば、日本の研究機関でムスリムやマレー人の教授を招聘しながら共同で研究するなら、問題を知ったとしても正面から取り上げないのが、いわば‘大人の常識’でしょう。それはわかるのですが、その反面、黙っていたら、誰が実情を知らせて問題解決への道を探る一歩を踏み出すのでしょうか。‘被害’に直面している当事者の側には、いつになったら光が当たるのでしょうか。
それに加えて、イギリスのバーミンガム大学アメリカのジョージ・ワシントン大学などでは、既にムスリム・クリスチャン関係研究センターが設立され、本件の記述がずいぶん前から公表されているにも関わらず、日本側がそれを認めるのにかなり遅れたという事情があると思います。それは、たびたびこの「ユーリの部屋」でも書いてきたことではありますが。

ともかく、世間では人事異動もある時期ですし、私は私なりの歩みで進んでいく他ありません。これからの一年は、資料の整理やら論文などの原稿書きにもっと集中すべきだろうと思います。また、不安が伴うようならば、若い頃からせっかく学んできた外国語についても、資格証明を得ていく努力をしなければと思います。
ヘブライ語学習の件では、主人によれば、「そりゃ、若い学生と一緒に楽しく勉強する環境だと、お金も時間もエネルギーもまた無駄になるよ。そうやって今まで不満をためてきたんだろう?じゃあ、謝礼は多くかかるだろうけれども、ちゃんとした先生にきっちり厳しく教わった方が有効じゃないのか?ヘブライ語は、研究対象ではなくて、マレー語聖書翻訳研究の下地になるものなんだろう?だったら、よく考えた方がいいよ」とのこと。(あと10年若ければ、すぐにでも飛び込めたんだけれども)と思ってしまいます。
正直なところ、英語版ブログ“Lily’s Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)で紹介しているようなマレーシアの民族的あるいは政治宗教的な社会事情などは、遥かによく理解できるのです。マレー語聖書が「センシティブ」扱いされてリサーチがずっと難航していた20代後半には、その時間を利用して、別の角度で勉強の糸口をつかんだからです。
ただし、今となっては、そういうやり方がよかったかどうかは疑問です。原語を知らずして、翻訳された聖書を取り巻く環境だけを取り上げるのは、限界があるでしょう。一昨日もイスラエル人の先生が、「翻訳された聖書にはたくさんの問題がある」とおっしゃいました。専門家にとっては、もっともなご発言だろうと思われます。また、東京の聖書翻訳ワークショップでうかがったところによれば、昨今は、ユダヤ教キリスト教の‘妥協’と討議による共同訳聖書の試みが、オランダで成功しているようです。相互の研究が進展し、理解が深まったことの成果だろうと思われます。
では、独立後はユダヤ教が表向き一掃されてしまっているマレーシアのような国の国語訳聖書は、いったいどのように考えればよいのでしょうか。いつまでも、鸚鵡返しのように“Allah”用語だけを問題視していてよいのでしょうか。または、「外国からのキリスト教宣教活動」だけに原因を帰していてもいいのでしょうか。
ところで、おとといの夜は、ワークショップで久し振りにイスラーム専門の先生とお会いできたので、エジプト出身の元ムスリムのヴァチカンでの受洗の事例について(参考:2008年3月25日・3月26日・3月28日付“Lily’s Room”)、マレー人女性のカトリック改宗がマレーシアの最高裁で却下された話と絡めて、シャリーア法の有無でこのような違いが生まれるのかどうかを、ご質問してみました。先生ご自身はその件をご存じなかったようですが、いつものことながら、核心に触れないように焦点を外してお答えになるので、やはり難しいなあと感じました。先生ご自身は必ずしもそういう風に思っていらっしゃらないのかもしれませんが。
私なりの理解に沿ってお答えをまとめてみますと、「信教の自由について、コーランハディースには書かれていない。だからといって、すべてが許可されているとは言えない。多神教徒以外のイスラーム以前の一神教の信仰者については、信教の自由がある。ムスリムには、イスラームを守る義務がある。父長は、家族の宗教的調和を守らなければならない。それは、聖典に書かれているかどうかということではなく、アラブの地における部族の伝統によるものである。伝統も加味すべきである。また、イスラーム法学者が集まって討議をして、一つ一つの問題を現代社会に適合するように考えているのだから、法学者の出す結論が大事である。そのエジプト出身の元ムスリムカトリック改宗に関するならば、ムスリム共同体としては軽視しないであろう」ということになるかと思われます。
イスラームの立場から先生のおっしゃることは、それはそれで理解できなくもないのです。しかし現実問題として、上記のような事例が出た場合の具体的な対処法は、いったいどうしたらよいのか、と思います。これこそが、私の長年の‘研究停滞’の理由であり、事情を列挙することが中心とならざるを得ない研究発表の背景です。さらに、この点において、非武力派のイスラエルの専門家から、存続をかけた知恵を学び、参考にさせていただこうと思うのは、私にとって自然な成り行きでした。さすがにイスラエル発の情報は、非常に具体的で説得力があり、しかも確固たる立場を保持するものです。イスラエルの研究者(Martin Rudner, Research Fellow in Asian Studies and Political Science at the Institute of Asian and African Studies, Hebrew University of Jerusalem in 1970)による1969年5月13日事件の政治分析の論文を読んだことがありますが、国交がないのに、実によく観察していると思いました。

こうしてみると、今後の歩みについては、よく計画を練っていかなければならないと思います。これまでは、ともかく気になる分野を手当たり次第に勉強しながら、自分のテーマを絞り込みつつ、資料集めと口頭発表に専念していたのですが、もうそろそろ把握できたものから、形にしていかなければなりません。師がいない上に所属がないということは、勝手にやっているから仲間外れにされたという意味ではなく、自分で何でも考えていかなければならないということです。ただ、3月8日の学会でもある教授がおっしゃったように、「どちらの専門にも当てはまらないということは、逆に両方の分野でできるという意味なんだ」という積極的な考え方をしなければ、と思います。

東南アジア学会からのご連絡では、学会誌発行が大幅に遅れているとのことです。その理由は、学会名から「史」を除いたことにより投稿分野が多様化し、かつ、若手の投稿が大半を占めるようになったので、査読者からの注文が増え、編集手順が複雑化したためだそうです。ただし、現体制の見直しにより、今後は軌道修正がなされることと思います。動向によっては、こちらも前向きに参加しようと思います。これまでは、地域は合っていても専攻分野や手法がどこか合わないように感じていましたので。

昨日はまた、日本語教育や日本語学関係の書籍目録が送られてきました。若い頃の知り合いやクラスメートの活躍ぶりも拝見しました。一緒に学ぶ時間を共有したという点では、懐かしさが確かにありますが、とりたててうらやましいとか戻りたいという気分にならないところを見ると、そこから飛び出して来たことに、それなりの必然性があったのでしょう。その領域では、情熱を注ぐに足るようなテーマがどうしても見つからなかったことと、趣味レベルの勉強も含めた自分の持つ背景や資質や経験が、ほとんど生かせなかったことが大きいと思います。今の研究テーマの方が、好きなクラシック音楽ともどこかで通底する面があり、趣味のドイツ語やスペイン語も無関係ではないどころか、聖書学やキリスト教ミッションのドイツ語と、イスラーム時代のスペインとスペイン語へのアラビア語借用など、それぞれ連関がありますから、勉強していても楽しいのです。それに、マレーシアのキリスト教関係者に喜んでもらえる点で、やりがいがあります。そういう意味でも、自分の業績のみに関心を注ぐと、若い頃の昇進は早いでしょうが、中年過ぎても同じような意欲が続くかどうか、それは別問題になってくるのかもしれません。

ということを下書きに入力していたら、マレーシアのキリスト教組織の女性研究員からメールが届きました。なんと、ギリシャ語を聖書学院で教えていたのに、自由な時間がほしくて辞めたとの由。けれども、ギリシャ語試験の採点は、今も格闘中だとのことです。こういう交流が刺激になるので、メールはいいですね。頑張り屋さんの彼女に見習って、やっぱりヘブライ語を私も学ばなければ、という気持になりますから。また、彼女も4週間に及ぶ聖書翻訳ワークショップに参加したことがあるのだそうです。そして、研究員としての組織にはまだ属していて、新しい部屋を与えられたとも書いてありました。本来の希望を叶えるために、少しずつ準備中のようですけれども、どうもこの様子じゃ、簡単に今の仕事を辞められそうにもありませんね。また、本当にしたい仕事は、独身では無理なのだそうです。海外のいろいろな国に旅行するのに、独身女性を受け入れない国々があるためとのこと。どうやら彼女は、私と同い年なのですが、あまり結婚に意欲的でないようです。でも、だからこそ、あれこれ活動できるという利点があります。台湾にも行く予定で、できれば日本にも来たいと書いてありました。じゃあ、私も元気を出して、あるものに目を向けて生かしていかなければ、と思います。

ブログのおかげで、かなり自分の考えが整理されてきました。情報発信機能と同時に、自己内省もできるという意味で、これは一つの工夫です。