ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

トップの責任と良好な協力体制

昨日は、予想以上に気持ち良く過ごせた一日でした。
まず、予定を少し変更して、午前中はお掃除や洗濯などに集中し、お昼から出かけることにしました。
最近、我が町にはJRの新しい駅ができたため、バス路線も時間変更となり、急遽、自転車で阪急駅まで直行。遅れたかと思っていたら、こちらも時間改変があったため、ちょうど間に合いました。
ちょうど2時から始まる同志社神学部礼拝堂での講演には、従って、無駄なく間に合い、非常に気分がよかったです。今回の講演は、新聞告知で見て出かけることに決めました。久し振りでしたので、(今はどんな雰囲気になっているのかなあ)と内心いささか心配もありましたが、結論から言えば、本来の同志社が有する、おおらかで自由闊達で、礼儀正しく一人一人に親切な配慮が、再び戻っていたという感じでした。
母校ではないのに、どうしてそんな感想が述べられるのかと言えば、私の父の男いとこ(故人)と私の父方の女いとこが、昔の同志社の卒業生だからなのです。父のいとこが亡くなった知らせを受けた時、父が「同志社か…」とつぶやいていたのは、今でも記憶に新鮮です。また、私のいとこの方は、キャンパスで今も見かける女子学生と、漂わせる雰囲気がどこか似ているところがあります。家族全員、税金の学校しか通ったことのない私とは、善し悪しの問題ではなく、気質そのものがかなり違います。
また、昨年イスラエル旅行でご一緒した80代のT牧師ご夫妻も、「私達、同志社出身です」とおっしゃいましたが、教養高く、しかも、私に対して、マレーシアについて実に的確な研究上の助言や本の紹介をしてくださいました(参照:2007年7月29日付・12月13日付「ユーリの部屋」)。
というわけで、大学間競争は学問の破壊に結び付くと強硬に反対されていた、名古屋の「アジア・エートス研究会」(2003年6月で閉会)のM教授やT教授の含意は、ここにも裏付けられるかと思います(参考文献:あるむ出版社アジア・エートス研究会―その四十年の軌跡2003年5月 p.vi)。話は逸れますが、宣伝も兼ねて、以下、その本を少しご紹介させていただきます(http://www.arm-p.co.jp)。ちなみに、T教授のご配慮で、私も数ページ書かせていただいています。

アジア研究に転回をもたらした研究集団の記録
『アジア・エートス研究会─その40年の軌跡』ISBN4-901095-41-2 C0030
激動の二十世紀後半のアジア諸地域を、四十年間にわたり継続的に調査研究し、大学や専門領域の枠を越えた海外調査・プロジェクトを通して成果をあげてきたユニークな東海地域の研究者集団アジア・エートス研究会。本書は、アジア研究の足跡と今日の研究集団が直面せざるをえない諸問題を真摯に証した閉会宣言である。
【主な内容】
はしがき  前田惠學
Ⅰアジア・エートス研究会四十年の歩み  戸谷 修
アジア諸地域の近代化は、欧米の先進諸国を理想的モデルとするのではなく、伝統的エートスとの関連で追究することの重要性を訴え続けてきた、研究会四十年の歩みを詳細に記述。
Ⅱ思い出の記
海外調査体験およびさまざまなプロジェクトでの思い出などを掲載。当時の感動と迫力を生々しく伝えている。
Ⅲアジア・エートス研究会定例研究会記録/研究会編著の刊行物
定例研究会の開催年月日、報告者、テーマなどを詳細に記録。研究会報告の多くは『アジア時報』(アジア調査会、毎日新聞社)に掲載されている。また、アジア・エートス研究会の10冊の編著に目次と解説を付す )。

話を元に戻しますと、仮に私自身はそうでなくとも、親戚が○○大学出身であるとしたら、どうして対抗意識を燃やし、縄張り争いのようなことをして、その人の持つ背景やつちかってきた人間関係を壊しながら‘業績’競争しなければならないのでしょうか。それは、一時的には能率的であっても、長期的に見て非効率ですし、とげとげした分裂をもたらすだけではないかと思います。そもそも、個別の地域研究の知見や長い先行研究をまるで無視して、ジャーナリスティックに言った者勝ち風なサバイバル作戦が、本当の学問研究の世界で長く有効に続くとは思えません。
2年ほど前までは、残念ながら、神学部にはそのような一種の荒っぽい緊張感が一部にあったように記憶しています。事務や図書室の女性スタッフは、皆さん、大変かいがいしくよく働いてくださっていましたが、それでも私のように、外部から突然呼ばれて来た者には、従来から持っていた内外の印象との差異に戸惑いが多くあったことも事実です。とりわけ、事務関係の若いスタッフや学生さん達には、先生方の空気や動向が直に伝わる面が多いので、それを受ける私自身も、正直なところ、葛藤多く、常に気を張ってばかりでした。
しかし、今日の講演でもその後の図書室でも、いつの間にか全体の雰囲気が、和やかで親しみのある打ち解けたものに一変していたのには、単純なようですが、とても感動を覚えました。
久し振りだったのに、図書室担当のUさんが私のことをよく覚えていらして、明日の夕方の会合も、お誘いくださったのです。その会合とは、昨日のご講演を務められたスイスのチューリヒ大学神学部長Samuel Vollenweider教授を囲んでの「史的イエス研究の現状」と題するワークショップです。お聞きしてみると、知り合いの何人かの先生も参加されるとのことで、久方ぶりのご挨拶も兼ねて、是非ご一緒させていただこうと思いました。「マレーシア研究と史的イエスには何の関係があるのか」という野暮な質問に対しては、明快な先生のドイツ語がまた聞けるという喜びが一つ、もし可能ならば、スイス・バーゼル教会とマレーシア伝道との関係及びその動機や実情などもご質問できればいいなあ、と密かに期待していることがもう一つ、という理由があるとお答えしましょう。それに、マレーシアの関係でイスラームを勉強すると、キリストとしてのイエス(つまり、信仰のイエス・キリスト)と同時に、預言者エスマタイ21:11)(ルカ24:19)など、地上に生きた人としてのイエスについても知りたくなってくるのです。そうでなければ、イスラームキリスト教との間で、何が共通項で何が相違点なのかが曖昧になってくるからです。

繰り返しになりますが、組織や人間集団の動向や雰囲気を決めるのは、箱ではなく、やはり人なのです。人こそ鍵。従って、上層リーダーの責任は、非常に重いものです。ただ盛んに会合や講演を開いて、人を集めたり出て行ったりするだけでは仕事にはならず、その内実こそが重要なのであろうと思われるのです。たった一回限りでも、その場の印象がよいものであれば、記憶に長く留まり、人に口づてで伝わっていくでしょう。
例えば、昨日の講演で、落ち着いた見事なドイツ語通訳を務められたMさんという男性は、「京都で一番ドイツ語の上手な通訳」として評判の方なのだと、Uさんから教えていただきました。てっきり学内のドイツ語専門の先生かと思っていたら、違うのだそうです。Uさんは、他の通訳者の仕事ぶりも見ていらして、「今日のはとってもよかった。英語で話された箇所は訳さないなんて、プロフェッショナルに徹していらっしゃいましたよね」と興奮気味でした。
私だってそうです。昨日ほど、心地よく疲れなかった講演会は久し振りです。もっとも、講演者のSamuel Vollenweider教授が、最初と最後に日本語で挨拶をされ、時々出す通訳氏への指示も日本語を用い、プロジェクターの表示や質疑応答の一部には英語を使われるなど、こちらに言語的な配慮をしてくださっていたことも大きいです。そういう気持ちの通い合いが、さらに一層よい雰囲気をもたらしていたであろうことは、まず間違いありません。
さて、肝心の講演内容は、またもやメモをとりましたので、いったん寝かせてから私なりにまとめてみようと思います。具体的データが多く、しかもデータを鵜呑みにされるのではなく「私はそうは思わないが」という解説も付け加えていらしたのが、非常によかったです。さらに、教授がおっしゃった事例の一つは、最近、私がぼんやりとアイデアとして持っていたものと合致していたのもうれしかったです。その内容は、後日のお楽しみに。

昨夜は、亀山郁夫先生の語るショスタコーヴィチNHK教育テレビで見ました。なんと、私にしては珍しく(?)うっかりしていて、後半部しか見られなかったのです!しかし、あのDSCHの埋め込み暗号の解説といい、ビゼーの「ハバネラ」のモティーフ借用といい、(やったね、ミーチャ!あなたの真意を読み解く人々が、この現代日本にもちゃんと出現していますよ)と思わず一人で拍手喝采しました。早速、主人に再放送を録画設定してもらいました。これで、心おきなくショスタコーヴィチが何度も映像で見られます。You Tubeで何度か見ているのですが、やはり手元に置きたいので。

また、マレーシアのキリスト教組織の女性研究員の友人からもメールが来ていました。彼女は、少しずつ人生行路を変えようと着々と準備中のようです(参照:2007年12月29日付「ユーリの部屋」)。マニラでは、クアラルンプールの忙しい環境から離れて、楽しくリフレッシュ期間を過ごしたばかりだそうです。
今日は朝から大学病院へ行きました。二つの科を受診するので、覚悟はしていましたが、長くかかる難治性の方はすぐに終わり、健康診断の眼底検査で「出血しているので要精密検査」を指示された眼科の方は、非常に待たされました。何でも、6人いるドクターのうち半数が学会出席でお休みの日だったとか。でも、検査の結果、こちらは大丈夫でした。「もし次回再検査したら、出血は消えているでしょう」とのこと。ほっ。
その後は、町の図書館へも寄り、音楽雑誌などを何ページかコピーし、府立図書館などへ計5冊予約を入れました。家へ帰ったら、ベランダに干しておいたお布団が一階の庭先に落ちてしまっていました。やれやれ。

マレーシアからは、『ヘラルド』と、サクティさんが二度目の挑戦で送ってくれた本も届きました。振り返れば、今日も非常に充実した日でした。