ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

出エジプトの史実性をめぐる雑感

2006年6月10日に、公開講演会が同志社大学神学館礼拝堂で開かれました。講演者は神戸松蔭女子学院大学教授の勝村弘也先生で、題目は「古代エジプトと聖書―知恵文学の比較を中心として―」でした。関西アクセント混じりのサバサバした話し方で、二時間があっという間に過ぎてしまいました。
現在はエジプトブームで、一般の人々がどんどんエジプト学の本を読んでいる現象について、「ある意味すばらしい」とおっしゃっていました。また、「欧米ではエジプト学の研究成果が従来とは違った形で確実に旧約研究に影響を与えている」とプログラムの概要冒頭にありました。以下、その概要に記された文章のポイント部分のみ、列挙してみます。

・従来、聖書、特に旧約は全体として「反エジプト的」な書物であると考えられてきた。
(例)マックス・ヴェーバー著『古代ユダヤ教』:出エジプトは決定的な歴史的出来事
(例)預言者のことば「反エジプト的」発言
・一方で、列王記のソロモン王に関する記述では、エジプトとの政治的文化的交流を評価する見方も存在する
出エジプト物語においては、エジプトが経済的には豊かであっても、パロが人民を抑圧する「奴隷の国」であるとしてマイナスに評価されていることは確かである
預言者の発言は、前8−9世紀の世界情勢を冷静に見れば十分理解出来るものであって、原理的な意味で「反エジプト的」とすることは出来ない
古代イスラエルはエジプト文化の強い影響下にあった「聖書時代」以前にカナンの地がエジプトの影響を受けていたことは否定できず。王国の記録は書記の存在なしには考えられず、書記養成には教育機関の存在があり、その教育にエジプト的な知恵伝統が関係したのは当然であろう。
(例)各地の図像やエジプトの恋愛詩を参照したケールの雅歌解釈は画期的な業績
(例)1924年エジプト学者のA.エルマンが箴言22章17節以下と「アメンエムオペトの教訓」の逐語的対応関係を指摘
(例)知恵的語彙のエジプト語ヘブライ語の比較→箴言に与えたエジプトの格言
(例)「死者の書」第125章《否定告白》と旧約聖書詩編15章24章
・宗教祭儀と倫理との強い結合は、イスラエル預言者によって突然主張されるようになったのではなく、古代エジプトの呪文の方が先行している

以上ですが、質疑応答はもっとストレートなものでした。
一人の女子高生が挙手して「モーセは本当にいたのですか。出エジプトは本当に起こったのですか」と尋ねると、勝村先生からは「現代の旧約学者の考えでは、モーセは実在しなかったとされている。出エジプトの不在も、学者ははっきり言わない」とのお答えでした。
また、中高年男性の一人が「こういう旧約聖書に影響を与えた他文化の話は、どの人間社会にでもある話ではないか。ただ、受け取る側が書かれたものをどのように受け取るかが重要。もしキリスト教側が字面で受け取った場合、そのからくりはどうなるのか」という意味の質問をされました。すると、先生は「質問の意味はよくわかるが、お答えできません」とのことで、「旧約の人格神、崇拝する神は、エジプトの死者の書とは別でした」と追加説明がありました。また早速、司会者からも「時間の関係もあり、大きなテーマなのでこの辺で」と抑制がかかりました。
このやり取りが示唆する一面が、実はカギだろうと思うのですが、講演者と司会者側がさりげなく避けようとされた点が、実に興味深い難所だろうと想像されます。これ以上は、非専門なので、私も控えますが。

ではここで、昨日も書いた『カトリック・アジアニュース』に掲載された友人の原稿を見てみましょう。2ページ程度の簡単なものですが、マレーシアでも上記の問題が話題となっていたのです。

・1995年12月18日付『タイム』誌には、「モーセは実在しなかったかもしれない」「出エジプトの証拠はない」「ヨシュアの聖地征服」を示唆する記事が載った。
・上記記事が考察し損ねていた点は、「なぜエジプトの記録にその証拠がないのか」「合理的な可能性を持つ歴史的文脈の確かさ」である。
・Prof. Fr. John L. McKenzie(1910-1990年 ブラジル生まれのイエズス会士で聖書学者)は、考古学的に出エジプトの史実性を唱えた。著作には“The World of the Judges” “Biblical Journey”“The Two Edged Sword” (1956) “A Theology of the Old Testament” (1974)などがある。
・我々は、聖書に現代的水準の歴史書を期待することはできないが、現代に書かれた文学と同等のものを聖書に期待することもできない。
古代エジプトは、栄光化された過去に引きつけられる傾向のために、過去が誤りであったとしてもそのように歴史を書くことができなかった。ヒクソスは、デルタ地帯に住んでいたかつての奴隷に負けて支配されたことを恥辱に思い、考古学者によって今日も永遠に発見されない証拠を隠したのである。その証拠は、ファラオの王女Hatshepsutの墓が「これらアジア人をAvarisから追い出した」と語っている点にある。
出エジプトの出来事の記述が、現代の史的な一致に欠けているのは、その出来事が非歴史的だからではなく、民族的書き物から来ているからなのだ。
モーセが神秘的な人物ではなかったかもしれないということは、エジプト人のAhmose やTutmoseのような名前という事実からも示唆できる。

他にもいろいろ書いてあるのですが、省略いたしました。依拠する文献の古さを除けば、さすがは、カトリックだけあって立場にぶれがないですね。
私なら、こういうカトリック的立場をマレーシアのアラブ系ムスリム学者(特にエジプト出身でマレー人との混血の学者)はどのように考えるのだろう、とその先の議論が知りたくなってくるのですが、どうも不明のようです。マレーシアは、こういう議論で先導すればもっと輝くのに、残念なことです。

ところで、上記二つの立場のいずれを取るべきか、あるいは別の論考に向かうべきかは、読者の皆様にお任せします。私としては、少なくとも、このような議論が恐れなしに自由にできる環境を、まずは喜んでいます。また、マレーシアでも、この程度の文章はカトリック誌に掲載されているのだという点、もう少し、日本側も認識すべきなのかもしれませんね。だから、私が繰り返しているように、イスラームを研究するにせよ何にせよ、マレーシアと関わる上でも、聖書の知識ぐらいは最低限必携だと思うのです。