ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

医師と牧師を兼業する一事例

私の住む町に、平日は開業医を務め、日曜日には牧師業をして数十年という方が、一人いらっしゃいます。公立の医科大学で医学の専門教育を受け、医学博士号も取得されています。そして、牧師資格は、アメリカの通信教育で勉強して得られたものらしいです。前者はよくとも、後者の点が、伝統的な教会教団の人々の一部には眉をひそめられる理由のようで、もしかしたら、専門家の間では、どちらにも内部批判があるのかもしれません。例えば、知り合いの牧師の娘さんも、その話を私がした時、「なにそれ?」と軽蔑的な調子でした。ただ、一言申し添えるならば、その娘さんのお父様だって、牧師業だけでは一家を養えないので、平日は公務員を務めていらしたんです。公務員ならよくて、医師なら‘いかがわしい’のでしょうか??また、その方も、当初は牧師だけを志していらしたそうですが、戦争未亡人のお母様が、是非とも息子を医者にしたいと強く望まれたために、両方の希望をかなえることにされたそうです。
これ以上は私の口出しする領域ではありません。たまたま住み着いた町にそういう事例があるとして、心穏やかに受け留めていただければと思います。
この教会はいわゆるペンテコスタル系の単立で、教会へは行きませんが、これまでに二度、医師としての先生にお会いしたことがあります。一度は主人の健康問題の相談のため、二人でうかがいました。それから、去年の健康診断で、検査値が誤って「要注意」と出たので、近場で再検査を済まそうと思って出かけたわけです。たまたまイスラエル旅行の直後であり、話をしていたところ、私がイスラエルでお世話になったガイドさんと先生が親しく、ここにも何度か泊られたとのことでした。世界は狭い、と感じた次第です。
外側から拝見する限りにおいては、先生ご自身、いささか風変わりのようにも見えるのですが、お会いしてみると至極まっとうな印象を与えるので、何とも不思議です。少なくとも、薬事法違反や医療法違反をしたことは一度もなく、毎年のインフルエンザもおさおさ怠りなく準備されたり、健康相談に親身にのられたりするなど、町の人々の医療に長年奉仕されてきたのだから、それはそれでご立派なものだと思います。お子さんも四人だったか六人だったかで、息子さんの一人が医院の後継ぎ、その他にも札幌で眼科を開業された息子さんが一人いらっしゃり、娘さんの一人は数年間のイタリア留学の後、現在は京大の博士課程で研究中とのことです。
また、もうすぐ定年引退の予定なので、後継者の牧師にも少しずつ役目を譲って訓練されているそうです。一見、独善的にも見えなくもありませんが、ゼロから自力で教会を立上げ、後進への道も備え、充実した計画性のある人生にも思えるので、ある面うらやましいです。人が最も弱いところを見せるのが医院であり教会であるため、先生としては、二つの職業から心と魂と体の人間観察が豊富にできて、楽しかったそうです。引退後の計画もあり、肩書がなくなり自由な立場になったら、小説か何かを書いて出版する予定だとの由。
数年前に、かなり大きな三階建て教会堂ができたのですが、これは一銭の借金もなしで完成させたそうです。驚いたことに、パウロのように「手に職を持っている」ため、牧師といっても、教会から一切謝礼をもらわずにやってこられたとのことです。つまり、教会への献金はずっと会堂建築のための貯金に積み立ててきたので、借金が不要だったようです。この事例は、教会員の献金のみで暮らしている牧師専業の人にとっては、もしかしたら驚異であり脅威でもあろうかと思われます。うちの主人などは、日本の普通の教会の慣行を知らないので、「そりゃ、たいした人だよ。やっぱり、自力でそこまでできるというのは」と言っていました。そのあたりの交渉や手続きなどが、伝統的な教団ではいろいろと面倒なので、単立を選択されたというのも、それなりに頷けるところです。
この先生は、「祈れば病気は治る」と確かにおっしゃっていますが、先月、神戸で出た話と、どこまで重複するのかはわかりません。私が直接お聞きしたところでは、「医者は、この病気は確かに治る、という確信を持って治療に当たることが大事だ」という信念の表われだそうです。それならば、充分理解できるところであります。
医師が牧師業も兼ねることは、物理的にも体力的にも多少の無理もあるかと想像されます。奥様の影の日向の協力が不可欠です。看板上では午前中の診療のみにされているので、私が一人で感銘を受けていたら、実は、オウム真理教事件の頃、大阪府から宗教法人の認可を受けるのに非常に苦労し、何度も役所に通って疲労困憊したため、そのように変更されたとのことでした。
今でも若々しくお元気で、ご自分を実験台にして、食事療法によるガン治療の方法を考案中のようです。私としては、それはちょっとどうかなと素人ながら思っているのですが、先生なりに慎重にデータを取りながら進めていらっしゃるらしいので、町民の一人としては、まあ静かに見守ることにしましょう。
一つだけ、先生の書いていらっしゃることで気に入らないのは、町立図書館の質についての悪口です。「小さな田舎町のレベルの低い図書館なので、大した本も置いていない」などと何度かおっしゃるのですが、私に言わせれば、それは本の種類や分野にもよるのではないか、というところです。パソコン検索で国立国会図書館や府立図書館や市立図書館などの本を探し出して、予約しておくと、散歩ついでに読みたい本が借りられるという利便性があるのです。私など、専門分野の英語文献も含めて、これまでほとんどこの手を使っています。
もっとも、高度で最新の医学書を論文で読むのならば、第一、町立図書館の悪口を言っている方がおかしいのではないでしょうか。館内で購入してくれる本の割り当てもあるのだから、どんどんリクエストして買ってもらいましょう!この町に引っ越した10年前から、CDも新刊書も、かなり町立図書館で購入してもらいましたよ。