出会いの深遠な意味
「出会いに才能がある人はいる」とは、今年6月上旬、(繰り返し無断でご登場いただいていますが)ある友人が書いてくれた言葉です。
「実情をはっきり見ることができるためには出会わなければいけない人がいる」と。
まさか私が、とは思いましたが、今から振り返ってみると、確かに。当初の本来の願いはかなわなかったものの、思いがけない出来事から、予想に反した大展開(少し大袈裟ですが)。そして、かなりの量の古い文献資料を読みながら、やっと長年の謎が解けかけてすっきりしてきた、という....。
お断りしますが、本当に、それを狙って、スパイもどきでノコノコ出かけて行ったのではありません。だから、なかなか信じられず、混乱するばかりで、理解に時間がかかったのです。
「キリスト教社会で何が起こっているのかという問題を正面から直視する」ために、「出会」い、「いろいろ見える」と書いてくれた友人の存在がなければ、本当、途方に暮れていたかもしれません。
しかしそれにしても、十歳も年下の弟が生まれる前に広島で発生していた事例が、今も類似拡大して各地で発生しているという実態には、単なる驚きを超えて驚愕させられます。小さな集団内でそのような体質が流れている、いえ、作り出されているのでしょうか。
これで本当に区切りとしたいと思いますが、昨晩、1973年5月号の『福音と世界』の部分複写を読み、びっくりさせられました。今となっては貴重な証言で、よくぞ投稿してくださり、また掲載されたと思います(澄田亀三郎牧師による「聖餐式問題について―広島府中教会におけるハプニングの報告」(pp.61-65))。
考えてみれば、実に奇妙な事件発生で、まさに「ハプニング」。でも、澄田牧師がしっかりした方で、対応に善処されたと思います。
「しかし、それほど緊急を要するとの認識から生まれたものである。」「この度のハプニングを、教会の形成―聖餐式がより正しく執行される教会になること―のために善用したいとのねがいをもっていることを読みとっていただきたいと思う。」(p.61)と冒頭で綴ることから始められたこの玉稿、まさに、日本キリスト教団の現状を先駆けていらっしゃったように思うのです。
事の発端は、1972年12月10日の教会役員会で「クリスマス礼拝の聖餐式には求道者もあずかれるようにしては」という提案が突然なされ、次々と賛成意見が出たことに存します。
慌てられたのは澄田牧師の方で、そういう革新的な意見と、普段の役員会の状況とが、意識の上で重ならなかったとの由。
役員による理由は、まとめてみると、次のようなものだったそうです(p.61)。
1.信者と求道者を差別して、求道者には聖餐にあずからせないというのは気の毒だ。地域社会にとけこむためにもこのような差別はなくした方がよい。
2.プロテスタント教会は形式を打破する宗教である。受洗、未受洗にはこだわらないで自由にやったらよい。
3.聖餐にあずかれない人に平安な気持ちがないようで躊躇する。
4.求道者も聖餐にあずかれるようにすることは伝道になる。
5.H教会やローマ・カトリック教会でも同様のことがなされている。
さすがに当時のこと、カトリック教会の件は納得しがたく、電話で神父さんに尋ねてみたところ、不注意からしたことだとは認められたそうです。
しかし、私がこの投稿文で最も注目させられたのは、「求道者が聖餐にあずかれないのは、決して「差別」ではないことを語り、役員方の意見に反対した。しかし役員方はいつになく強硬で、欠席役員や教会員の意見をきくことや、聖餐式について勉強してから決めるよう勧めてみたが駄目だった。」(p.62)というくだり。
どうして突然、役員方は聖餐について、強硬に革新的な見解を出すに至ったのでしょうか。憶測するに、誰か外部からの操作があってのことではないか、と。それにしても奇妙なことです。
もっと不可解だったのは、その後、澄田牧師が幾つかの集会で聞いてみたところ、教会員側は「役員会の決議に反対」で、肝心の求道者からは「差別とは思っていない」という返事が返ってきた、というのです(p.62)。
かくいう私も、80年代90年代の限られた経験を振り返ってみて、(そんな話、聞いたこともないのに...)と、腑に落ちませんでした。2011年5月11日付「ユーリの部屋」で書いたように、「洗礼を受けていないのに、信仰もないのに、どうして聖餐式の時だけパンやぶどう酒を欲しがる人がいるのか」ということ自体、納得し難かったのです。普通、求道中の方達は、教会でも素直に牧師の指示や指導に従うものです。だって、余程のことがなければ何もわからないですし、疑問に思うことなら質問をします。また、嫌なら教会に来ないので、そもそも、パンやぶどう酒が欲しいなどと、自分から要求するはずがないと思うのです。だからこそ、(何かヘンだな、関西って)と私が気付き始めた2004年は、本当に困惑させられました。
文章に戻りますと、後日、澄田牧師が改めて確認したところによれば、役員を除く出席者達は、次のような発言だったそうです(p.62)。
1.差別とは感じていないし、聖餐式は受洗者だけで守るものと思っていたので、信仰告白をしていないのに受けてよいのか戸惑いを感じる。
2.信じていないものが聖餐にあずかることは神を冒瀆することになる。
3.聖餐にあずかることが生きていく上での支えになっている。信仰生活の根本に関することであるから軽く考えてはならない。
4.求道者への伝道的配慮は、聖餐にあずからせることではなく、他の面でなすべきである。
5.聖餐は心が決まってから受けた方がよい、やはり一定のラインが必要。
結局のところ、先の決議をあっさり撤回することになり、「ある意味ではみっともないとも思える今回のハプニングは、どうして起こったのであろうか」との教会内事情の考察に進みます。
それはともかくとして、私が興味を持ったのは、そのような突如の発言に移った役員の動機と背景ですが、残念ながら、そこには触れられていません。
澄田牧師は、「なぜ受洗者のみが聖餐にあずかるのか」をはっきりさせてはいますが、「キリスト教信仰の告白はしているが、ある外的な事情で洗礼を受けることができない人、あるいは、内的な理由で洗礼を受けようとしない人が聖餐にあずかりたいと進み出た場合にどうするかという問題がある」と、確かな例外事例も添えていらっしゃいます(p.64)。
前者の例は、第二次大戦下のある亡命ユダヤ人。3年前からスイスの教会に規則正しく出席していて、以前から洗礼を受けたいと願っていたものの、貧しくて亡命者団体のお世話になっていることから、不純な動機で洗礼希望との疑義を抱かないように、自由の日が来るまで洗礼を延ばそうと決心。それでもキリスト者の交わりに加わりたかったので、牧師に頼み、願いは聞き届けられたとの由。
後者の例は無教会やクェーカー教徒で、もちろん信仰告白が前提にあってのこと。いずれも、カテゴリーは異なっても、「教会の秩序を保たんがための一応の線であり定め」と述べていらっしゃいます(p.65)。
「しかし、それは安易に思いつきでなされてはならない。なぜなら、礼典の執行は信仰告白共同体としての教会の性格を変えるような事柄であるからである。」(p.65)
これを読んで、この投稿文の示唆し含意するものの重大さを覚えます。「九州や広島の教区では、1970年代からホットな話題だった」とも伺いましたが、そもそも、ある特定の、あるいは一定の条件がなければ、出てこない見解ではないかという気がしてなりません。文献上は、九州教区が1975年2月の時点で研究討論会を開いているそうですが、それが正しいとすれば、上記の広島府中教会の事例は、それに先行することになります。
この続きは、学会発表の後、もし意欲が持続していたならば、ということで。もしかして、懇親会などで、機会があれば、どなたかのご教示をいただくことになるのでしょうか。最新号の学会誌にも、ある先生が遠まわしに、しかも曖昧な形で触れていらっしゃったので...。