ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

基督教会を考える(続き)

昨日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160112)の続きトピックを。

この種の日本の基督教会の問題については、1990年代には風の噂程度だった。2000年以降、インターネット利用が広まるようになると、伝道目的の教会活動および敬虔な信仰生活を綴る美しいホームページと同時に、牧師や教会活動について、信徒からの勇気ある苦情や批判を、匿名あるいは個人のウェブサイト上で少しずつ見かけるようになった。2010年以降は、個人が誰でも気軽にブログを盛んに書く風潮から、臆せず痛烈かつ大衆的な通俗批評を加える文章が急増してきたようだ。
このような指摘(「異端」と称して、他教派や他教会を批判する傾向)は、私が学生だった1980年代にもあったが、専ら冊子や本の中に書かれていることが多かった。今では、書店や図書館に行かなくても、机の前で検索クリックすれば一瞬のうちに出てきてしまう時代だ。
長い目で見て、コツコツ地道に開拓していくという努力が、採算が取れない、若い人が寄り付かない等の理由で、泡のように消えていく。だからこそ、安直なブラック牧師やブラック教会が目立つようになってきたのだろう。古くからある伝統的な教団の教会だから、と安心していたら、いつの間にか、質の低い牧師に乗っ取られてしまって、聞くに耐えない、見るも無残な、という雰囲気のところもある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090213)。
これもそれも、1990年から93年までのマレーシア滞在中に見つけたリサーチ課題との関連で、かれこれ過去十数年、いろいろと調べたり、見に行ったりして、徐々に知り得たものである。以下は、私が実際に経験したことではない。

http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/lite/archives/52363509/comments/1550/?p=32


危ない教会の見分け方(あくまでも参考にして下さい)


・チャーチ・チャペル・リバイバル・福音・聖書とカタカナ等が教会名につく (「日本福音ルーテル教会」などは除く)
・正統派・聖書原理主義福音主義自称
・悪魔悪霊の話・弟子訓練・セルチャーチなどの言葉が頻繁に出てくる。韓国一部教会と交流。
・車社会の地方なら老舗百貨店から離れた場所にあり第二次世界大戦後に進出してきた新興教会
リバイバルフェローシップ聖霊様・牧師先生という。
・「証する」といって自分がいかにしてイエス様を信じるようになったかという話を人前で強制
・ヤクザから聖職者になった人や他の宗教からきた人を広告塔にする。
什一献金や焼香拒否のような狂信的な戒律。
・聖書は新改訳
駅前でのトラクト配布などを伝道と言って強制。
・教会の先駆者・他教会の有名牧師を頻繁に批判したり、揶揄
アメリカのネオコン教会と交流がある。または牧師がそこの出身。
・信者の質問を受け付けない。議論をするとキレて恫喝したり、ヒステリーを起して喚きまくる
・潔めを強調しすぎて、信者に聖人君子になる様に強要したり、なれるような錯覚を抱かせる説教が多い。一方的な神の恩寵を無視した態度。
・到底できもしない様な御利益的な説教が多い。


ペンテコステ系でも安心して通える処も有りますし、ホーリネス系の様な伝統教団でも婦女暴行牧師のいる処もあるので、その辺は自分の判断でお願いします。


・危ない教会にあと3つ


・終末論の説法がやたらと多くて、自分らだけが携挙されるがごとき説教が多い。
献金の多い少ないで信者の取り扱い方・ものの言い方が極端に違う
・信者を導いて行ける資格があると本気で思いこんでいる馬鹿牧師のいる教会。これが一見まともに見えてタチが悪い。


有名大学卒業の知性・人格兼備のしっかりした牧師か元ヤクザであっても本当に回心の体験のある牧師、世間の苦労を味わって人間の出来ている牧師のいる教会を選びましょう。


・ホーリネス・イマヌエル・ナザレンなどメソジスト系の教会は問題の巣窟ですね。ペンテコステもホーリネスの流れですよね。ウェスレー神学の末裔にはなんでこんなに腐敗・堕落した教会・牧師が多いんでしょうか。


2012年04月05日

(部分抜粋引用終)

メソジスト系教会に問題が山積しているとは、知らなかった。ブッキッシュというのか、文字資料に頼ることが多いので、もちろん現場を見に行くことも厭わないが、気づくのが私は遅れるのだ。
私の知る二十世紀のマレーシア(含シンガポール)のメソジスト教団のミッション活動は、非常に強力で組織立っており(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110827)、あれがなければ、学校もなく、医院もなく、非常に不衛生で原始状態に留まったままであったであろう現地の人々は、数知れないはずだ。また、現地のマレーシア人は押し付けだと感じず、自分達で取捨選択してミッションが提供するサービス(教育・医療・福祉など)を受け取って、喜んでもいた。関係ない、不要だと思えば、無視していた。
マラヤの場合、ムスリムからの反撃や抵抗があるかと思いきや、実はキリスト教宣教師の活動に無関心で反応がなかったことが、最も困難な状態だったのだ(と、19世紀以降20世紀初頭の古い英語資料には書いてある。)
それを知っていたので、私は他のドイツ語・フランス語などの資料も求めて、これまで探し回ってきたのだった。つまり、同時代のカトリックならばどうか、宣教師の出身国や文化背景は関係があるのかどうか、を確認するためである。
たったそれだけの話が、研究会や学会でも、発表するのに非常に困難を来した。心理的には徒労感ばかり繰り返していた。というのは、聞く側に固定観念があり、イデオロギー風潮に乗せられて、頭が固まってしまっているからだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20160113)。これでは既に学究的態度とは言えず、真理の追求どころか、権力の追求になってしまっている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141204)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150217)。
実に嘆かわしい。だが、日本文脈では、現代のキリスト教というと、このような事態が発生しているために、やむを得ない面もあったかと、昨日、今日は思うところである。

http://christiannever.blog.so-net.ne.jp/2013-01-18


「ブラック教会」リスト


■教会運営■


ワンマン経営な教会
→牧師の個人商店化。牧師のカリスマ性が強すぎると良くも悪くも暴走する危険性
洗脳まがいの研修(弟子訓練、断食祈祷)が頻繁
→牧師の説教、ブログ等で「弟子訓練の必要性」「イエス様の弟子として奉仕が云々」というフレーズが出てきたら警戒レベルMAXにして損はない
教会員の行動が徹底して監視
→「分かち合い」なのになぜか個人のプライバシーを監視
勉強会、祈り会等が半ば強制参加
→体調が悪かろうと欠席しようものなら「信仰が薄い
休日返上が珍しくない
→日曜日どころか平日でもイベント過多
現実的に達成不能なノルマを押しつけられる
→週報などに「目標献金額:○○万円 伝道者特別献金目標○○円」
規模の割には伝道師、神学生がやたら多い
→専業伝道ニートが多ければ多いほど教会員に求められる負担がup
大伝道師、著名な本の執筆者等の付き合いを異常に強調
メガチャーチ関係者の「リバイバル」とかワークシップなんたら
教会名を大手(カトリック&伝統教会)と似せている
→なんたら○ーテルとか聖書教会とか一見、老舗の教会に見える。戦後入ってきたのにドヤ顔で「伝統的な聖書信仰」


■教会経済■


労基署や警察の事情聴取
→むしろ監査してほしい
脱税。申告漏れが発覚。
税金もとられないから好き放題
福利厚生がない。または未整備。
→未整備どころか信者に「どうせ天国にいくから」「終末だから」と多額の献金を強要され、教会員は社会保険も年金も貯金もなくかけられず人生詰む
教会HP、紹介パンフレットと実情にギャップ
自由献金です!といってたのにトイチ(十一)だとか。
明らかに業績と不釣合いな立派な教会を保有
→今のキリスト教業界の資金難&献金問題の一番大きな原因はこれ
祈れば金が降ってくると思っている。


■牧師■


牧ハラ、モラハラは日常茶飯事
→ことあるごとに「地獄」「この世」「サタン」「終末」をちらつかせる
求道者をろくに勉強させず、すぐに洗礼させたがる
→頭数をすぐ増やしたがる目的はなんですか?
牧師の私的諸経費は、信者の献金
→大半は使徒不明金。
牧師の仕事に教会員を駆り出す
→「奉仕」の名目で奴隷労働
牧師が教会の規模に見合わない高級車
信者は自転車、牧師とその家族はベンツ
HPやパンフレットにとか熱意とかやる気とか、やたらと精神論
→聖書系原理主義者で信仰と根性論を混同しビジネス


■教会員■


教会員の平均年齢が25歳前後
日本に馴染めなかった留学生崩れが多い。別の意味でのコミュ障が多く経験も浅いので後々問題が起きやすい
教会員同士の人間関係が悪い、会話が少ない、喧嘩が多い。教会員の吊るし上げ、イジメ行為。
口では聖書用語。裏では悪口。ブラックキリスト者決して腹を割ってはいけない
やたら教会用語を使う。通ぶった教会員が多い。
→「証する」「未信」「デボーション」「救われる」相槌に「アーメン」。ジーザス、ハート、ビジョン、リーダーとかもはや日本語さえも似非外国風。
教会に長く残るのが「聖書的な信者」
→礼拝だけ、もしくは礼拝を休むと「信仰が足りない」と怒られる
洗礼後3年以内の離脱率が高い
→うまく逃がれたら運がいいレベル。全力でストーカー化する。

(部分抜粋引用終)

http://fuminaru.blogspot.jp/2013/03/blog-post_31.html


2013年3月31日日曜日
「日本のクリスチャンの若者がダメな理由」


・同じクリスチャンと結婚するのが理想だとわかっているけれど、ぶっちゃけ、ロクな人間がいない、ということである。わずかにいても早々に持って行かれてしまう、と。日本のクリスチャン人口は1%未満らしいから、それも必然的なことかもしれない。
・「就活」を「椅子取りゲーム」と評したことがあるが、クリスチャンが理想的な結婚をするための椅子取りゲームは、さらに苛烈を極めるのではないだろうか
正常な、あるいは健全な教会には、若者はそれほど多くない。というか、年配者が中心になっていて、若者たちに何でもかんでも頼まなければ動かないという体制にはなっていない。そういう教会にいる若者は(本当に少ないが)、割とまともな感覚で生きている。先輩である年配の方々が、しっかりしているからだろうか
・逆に若者が多い教会、あるいは若者が中心的に動いている教会は、私は本当に警戒すべきだと思っている。若者は活動的なところ、自分が活躍できるところを好むから、こういう教会に集まってくる。
・教会のリーダーが「次世代」とか「弟子訓練」とか言い出したらタチが悪い。年配の方々は周りが若者ばかりでただでさえ居場所がないのに、台頭する若者たちに見下げられて「不信仰」だとか「無能」だとか無言のレッテルを貼られてしまうこともあると聞く。
年配者に敬意を払えない若者を量産している時点で、その教会の「弟子訓練」は失敗している
ぜんぜん根拠のないエリート意識を持ち、一般社会を「この世」と呼んで殊更に嫌悪し、見下げるようになることもある
・誇りを持って一生懸命やっているバンドとか、CD制作とか、ダンスとか、子ども向けの集会とか、一般からするとそれほどクオリティーの高くない代物であることが多い。
・そのまま何年かすると、彼らは自分たちの姿も周囲も正しく認識できない、独善的な自己満足集団になってしまう。ずいぶん霊的(?)に振る舞うし、人を愛すると言いけれど、身近な仲間や家族をぞんざいに扱い、神のためにと言いながら、自分の野望に全てを注ぐようになってしまう。

(部分抜粋引用終)

1980年代から1990年代にかけて、(短大生や)大学生などに焦点を当てるキリスト教の伝道活動があった。上記サイトを見る限り、今もあるのだろう。
若者はとかくエネルギーが余っており、時間も永遠に同じテンションで続くかのような錯覚を持っている上に視野が狭いので、そこに的を絞って将来のリーダー格を養成すべく、盛んに活発な活動(キャンプだの、コンサートだの、聖書の学び会だの、決起大会だの、いろいろ....)に没頭させることで、家族と共に過ごすゆったりとした時間、いわゆる世俗の幅広い視野を持つ経験を奪っていくのだ。
人生の結末が冒頭に来る(信じることで救われる)ので、それを受け入れる決心さえすれば、後は迷うことなく自動的に人生が運転していくとばかりに、非常に単純かつ忙しない諸行事で、一年、また一年と過ぎていく....。
狭く小さな集団の中で、同じような活動を一緒に続けて人生を過ごすので、一般世間から見れば、極めて視野の狭い、物を知らない傲岸な人々が、外部の影響下にある独自の聖書解釈によって、世の中の動向を我が物顔で喧伝する...(http://www.danielpipes.org/16300/)。
これは、フェイスブックなどをここ数年続けてみて、気づいたことだ。
(私の場合、マレーシアの知り合いから「フェイスブックやろうよ」と誘われたことがきっかけで開設したが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101221)、案外にリサーチ上も役立ち、便利なので、そのまま続けている。特に、海外情報は非常に有益だ。返礼として、こちらも自分のブログを英語と日本語でアップしている。表面上の数値は非常に低く抑えてあるが、毎日ノートに記入している隠れ数値を見ると、ツィッターもブログも含めて、実はかなりのアクセス数があることがわかる。ブログ・コメントについては、どうしても私に何かを伝えたいという勇気と暇のある人なら、わざわざメールをくださるので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160112)、それに甘えてアクセス制限をかけている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151130#c)。自分の時間を確保するためにも、それでいいのだ。幸い、荒らしなどは全く無い。)
...と、世の中はうつりゆくものであって、基督教会もさまざまなのだが、せっかくフランシスコ・シャビエルの頃から日本社会の一部に根付いた伝統宗教だったはずなのだから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080304)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110417)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110920)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120421)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140723)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150209)、もっと歴史を大切にしたいものである。
昨今批判の対象になっている戦後思想とは、戦後入ってきたキリスト教の各教派も含むのではないだろうか。