マレーシアからの訃報
今朝方、1990年代前半にお世話になっていた広東系牧師のエディ・ホー先生が逝去されたとの報に接しました。
ペナン出身で、確かマラヤ大学のご出身だったかと記憶しています。南アで神学博士号を授与されました。ご闘病に入る最近まで、神学院長を務められていました。
小さな群れの日本語集会のために、有志の華人牧師数名が交替で、月に一度か二ヶ月に一度ぐらいの割合で、英語で説教をしてくださっていたのですが、そのお一人でいらっしゃいました。
一度は通訳を務めさせていただいたこともありますが、英語説教というものは、聞くよりも自分の言語に訳す方が遙かに難しいことを知ったのも、この時でした。
いつも温厚で謙虚で落ち着いていらして、あの当時の日本国内のマレーシア華人の通俗的なイメージを一新させるような、非常に貴重で得がたい経験でした。
とても親切で、バイリンガル(マンダリンと英語)で行われる神学校の卒業式を拝見したいと申し出た私のために、わざわざ車を出してくださった腰の低い先生でいらっしゃいました。「マレーシアの国語はマレー語なのに、どうして神学校ではマレー語を使わずに英語と華語なのですか」とストレートにお尋ねした私に対する返答でもあったのですが、その単純な質問こそが、今日に至るまでの私の研究リサーチ・テーマになったのですから、思えばささいなきっかけとはいえ、大変な出会いです。
当時のホー先生のお答えは、「マレー語で説教すると、マレー人にキリスト教の福音が伝わって、クリスチャンになりたいという人が出てくるのを政府が恐れているからだ」とのことでしたが、その頃の私にとっては、インドネシアの事例も考慮すると、納得がいくようないかないような、不思議な感覚でした。
もっとも、あの頃はいくら私が頑張ってみたところで、マレー語使用教会など半島部にはほとんどありませんでしたし、信頼できる文献資料も非常に乏しく、リサーチが困難だったのは客観的に見てもやむを得ないことでした。しかし、それが契機となり、待っている間に横に視野を広げて今があり、おかげさまでダニエル・パイプス先生から訳業を依頼されて早くも一年半、という人生展開になったわけです。
エディー・ホー先生、どうぞ安らかに....。多くをお教えいただき、助けてくださって、ありがとうございました。