ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシア国立交響楽団など

マレーシア国立交響楽団(Orkestra Simfoni Kebangsaan)というものがあります。
楽団員がどういう背景を持つ人々なのか、私はよく知りませんが、ムスリム華人も何人か含まれています。昨年11月下旬に本棚の整理をしていたら、日本人学校に勤務していた友人の女性に誘われて、一度だけ聴きに行った時のプログラムが出てきました。1994年8月28日に、クアラルンプールのPWTCにあるDewan Tun Hussein Onnという名前のホールで開かれた、日本人指揮者による演奏会でした。もちろん、マレーシアの文化関係の政府担当者が承認したものです。曲目は、ワーグナーの「ニュールンベルクのマイスタージンガー前奏曲ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、ベートーベンの交響曲第6番、その合間に、P. Lamleeというマレーシアの国民的芸術家による“Bunga Melor”が演奏されました。
ただ、あまり感銘を受けた覚えがないので、失礼ながら、それほどよい演奏会でもなかったのだろうと思います。プログラムの演目も、どうも私の感覚と合いませんでした。パンフレットの作曲家名も表記が中途半端で、ドイツ語のウムラウトが出ていなくて、それを補う代行スペルでもありませんでしたので。
そういえば、私のマレーシア勤務中に、どういうツテでか、中村紘子氏がピアノ演奏会に来られたことがあります。私は行きませんでした。同僚に「行く?」と聞かれて、「なんでまたマレーシアなんかで、中村紘子さんのピアノをわざわざ聞かなきゃいけないの?」と返事をしたことだけは覚えています。でも、テレビの『徹子の部屋』で、氏が「マレーシアは先進国でした」と興奮気味に黒柳徹子氏に語っていたと、母が言っていたので、なにやら話がややこしいですね...。
しばらく前に、指揮者のシャルル・デュトワ氏率いるN響が、東南アジアツアーの一環として、マレーシアでも演奏会を開いたことがあります。当時、あるヴァイオリン奏者のホームページには、「ホテルから一歩も外に出ませんでした。もっとマーケットリサーチをしてから、海外ツアーを計画してほしいものです」という意味のぼやきが日記に書かれてありました。そこから察するところ、お世辞にも成功したとは言えなかったようです。
確かに、イスラーム圏でのクラシック音楽の普及度は、目下のところ、あまり見通しがよさそうにも思えません。第一、ユダヤ人作曲家の曲は演奏できないし、ユダヤ演奏家も表立っての入国は難しいだろうし、当面はしたくないだろうからです。(イスラエル人の先生から聞いたところでは、「私達も、インドネシアなどのムスリム諸国から、研究会合などの招待を受けることはあるのよ。でも、滞在中に何が起こるかわからないから、断るの」とのこと。)
こうしてみると、「音楽は世界共通語」というキャッチフレーズの浸透性が、いささか疑われるところではあります。

最近、ダニエル・バレンボイム氏に付与されたパレスチナ市民権(パスポート)が話題になりました。日本では表向き賛美賛同のようですが、イスラエル国内では、あまり評価が芳しくないそうです(参考:『みるとす』No.96, 2008年2月号, p.22)。
政治面は全く別として、私自身、純粋に音楽面だけを見ると、氏のピアノ演奏は、あまり感動しないというのか、正直なところ、それほどうまくないように感じるのです。もっと印象的で優れた演奏を知ってしまっているからでもあります。例えば、私の好きなブラームスのピアノ協奏曲も、エレーヌ・グリモー(ピアノ)とアシュケナージ(指揮)のペアの方が、ダニエル・バレンボイム氏(ピアノ)とズビン・メータ(指揮)のペアより、抜群にすばらしい演奏だったと記憶しています。メータ氏は断然よいと思いますが。つまり、国籍や民族の問題ではないのです。以前、エドワード・サイードのピアノ演奏についても言及したことがありますが(参照:2007年10月19日付「ユーリの部屋」)、音楽を利用した政治面での進歩的な発言や平和活動と、芸術としての音楽活動とでは、受け手側の評価基準が異なるのは、いわば自然な反応ではないかと思います。

今日は外で雪が降り積もっています。ドビュッシーピアノ曲雪が踊っている」を想起しながら、窓から雪景色を眺めています。