ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

恐るべき日本の医療実態

先程、マレーシアからカトリック週刊新聞『ヘラルド』が無事、届きました。昨年のクリスマス前からのゴタゴタ以来、しばらく言及をお休みしていますが、年明けて今月の4週分をまとめて記事を眺めてみると、さまざまな点に気付きます。いずれ、私なりの考察を綴っていこうと思いますので、今しばらくご猶予ください。
それから、アメリカのイスラミック・ブックセンターから、イスラーム法に関する対立と緊張問題の文献が届きました。
Noel J. Coulson Conflicts and Tensions in Islamic Jurisprudence
今月中旬に届いたメーリングリストを見て注文したのですが、届いてわかったのは、本書は、マレーシアで民族衝突事件が発生した1969年にシカゴ大学から出版され、2006年にマレーシアの首都圏で再販されたものだということです。現在個々の訴訟問題に表出されるように、一般人の間でもホットな話題ですから、かなり遅れているものの、現地で再販された理由はもっともなことです。著者は、1960年代半ばにナイジェリアの大学の学部長を務めていた方で、1986年に逝去されています。古いために、恐らく既知の内容しか書かれていないのだろうと思いますが、せっかくですから、目を通すだけは通しておきましょう。

さて、今日の本題は日本の医療問題とキリスト教系病院の行く末についてだったのですが、その前に、一点だけ触れておきたいことがあります。
私のブログを楽しみに読んでくださる方の中には、どうやらキリスト教関係者も含まれているようですが、ある方が、「キリスト教系教育施設に関して、キリスト教精神と日本の伝統文化や習俗との兼ね合いで、文部科学省から通達が入ったため、欧米の宣教師達が辞任した」という意味の話をコメントに書かれていました(2008年1月27日付「ユーリの部屋」コメント欄)。
事の真偽は、私にはわかりません。また、そういう問題は、信頼できる一次資料に依拠しなければ判断できないことです。私の専門でもありませんので、不確かでいい加減な知識や情報に基づいて、会ったこともない人とネット上で議論する時間は、できれば省略したく思います。
ただし、私の知っている範囲では、日本のプロテスタント教会で、お雛祭りや子どもの日などのお祝いや御神輿などのお祭りを「異教的」と排し、教会員の子弟にも参加させないよう指導しているところが、確かにありました。これで困るのは、子ども同士の人間関係や子どもの祖父母との関わりです。その教会では、同じ日に、代わりとなるお祝いや催し物を開いてそちらへの参加を促すようですが、私が懸念するのは、日本文化の風習とは、そこまでして隔離しなければならないものなのか、ということです。
2008年1月27日付「ユーリの部屋」で書いた、私の通っていたカトリック教会付幼稚園では、七五三のお祝いがあり、白人神父さまから、一人ずつ千歳飴を手渡していただきました。今でもはっきりと覚えています。左側の前列に並んでいた私が、右側から神父さまが「おめでとう」とか何とか言いながら飴をくださるのを、右目で眺めつつ待っていたことを。少し肌寒い日のことでした。
というように、子どもながらに当時のことは楽しく覚えているので、先に述べたようなプロテスタント教会での指導は、私としてはついていけない感じがします。「キリスト者の国籍は天にあり」とはいうものの、社会資本の分配とその権利は、この日本で受けているわけです。ですから、当然のことながら、自分が属する文化の理解と尊重、そして継承は、重大な課題であり、責任をもって全うすべきだと考えます。そうでなければ、外国に出た時にも、その国の文化習俗を尊重できないのではないでしょうか。
私など、たまたまイスラームキリスト教の関係について、マレー語聖書を中心に調べているので、マレーシアは問題が多くてやっかいだというように見られがちですが、見方を変えると、マレーシアはやはりアジアの国なので、ルーツを辿れば日本文化の根流につながる部分も多々あります。そういう視野を含めた上で、聖書翻訳問題を論じられるかどうかが、カギとなるのではないかと考えています。
もしその方のご指摘どおり、日本に来た欧米宣教師で、文部科学省のお達しによって辞任した人が本当にいたとしたら、私なら、ずいぶん素人くさい宣教師だなあという印象を持ちます。きちんとした訓練も受けないで、信仰的情熱だけで来日されたのでしょうか。そういう方達なら、政府のお役人のみならず、一般人の私だって御免こうむりたく思うのですが。

では、ようやく本論に入ります。どこまで書けるか心もとないものがありますけれども、今一度、自分なりに現状認識を確立しておかなければならないと思うからです。
今月は三回にわたって、神戸において、白方先生からキリスト教系病院やホスピスの実際的なお話を伺いました。先生ご自身の信仰やお考えに基づく医療現場の実情が、どうやら一部の一般信徒の方達には、いささか期待外れのような部分もあったようで、その距離というのか乖離の問題に、私は少し関心を持ったわけです。
先週末の土曜日、近所の町立図書館に立ち寄り、しばらく新着雑誌を眺めていました。これはと思って部分複写したのは、以下の二冊です。
1.犬養道子随想 橋をわたる2 100年の記憶(下)」(『婦人之友2008年2月号)pp.150-153
2.岩波書店世界2008年2月号No.775)「特集:医療崩壊をくい止める」pp.72-131

犬養氏の文章は、相変わらずおなじみの調子といった感じですが、2.の方は、「今の状況が5年続いたら日本の病院医療は完全にだめになる」(p.82)ほどの緊迫した危機的状況が書かれてありました。『世界』の論調は、どこか悲壮感を帯びた啓発的内容が多いので、事前に言論で警鐘を鳴らすことで、事態を最小限に抑えようという一種の戦略でもあろうかと思いますが、それにしても憂慮すべき問題です。

犬養道子氏の文章の要点はー

・日清・日露戦争直後(1905年頃)の日本経済の悲惨さ。5億円収入の国が17億円も戦争に費やしてしまったつけ。
石川啄木「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり」
米騒動・ブラジルやカリフォルニアへの移民・尾崎行雄犬養毅の普選運動
・人々の病苦を癒す目的でアメリカの聖公会から送られてきた医学博士トイスラー
居留地在住の外国人が、近隣の漁師や子の衛生と健康状態のひどさに驚き、医者と伝えられるルカ伝の著者にちなんで、「聖ルカ診療所」を開く
←現在の聖路加国際病院の前身第一歩
・トラホーム・赤痢・チブス・コレラの大流行
←列強入りし、植民地を持ち、先進国になったつもりでも、国民の健康衛生状態一般の水準は大変低かった
・犬養氏の母方曾祖父に当たる長崎出身の蘭医長与専斎氏が、欧米の上下水道施設と衛生施設を視察
→厚生省の基礎つくり・伝染病研究所・ガン研究所発足へ

と、ここまでは理解できるのですが、犬養道子氏一流のいささか飛躍した締めの文章は、1980年まで国際難民法と世界人権宣言を受理しなかった日本への批判で終わっています。「人とは何か」の理念を大きく欠いたまま、日本は100年を過ごして現在に至っているのではないか、という問題提起によって。

文章に強引な跳躍があるとはいえ、おっしゃりたいことの意図はわかりますので、続けて『世界』の特集に書かれている要点に移ります。こちらは、さらに具体的な話が展開されています。

・1961年完成の日本の国民皆保険制度は、1980年代までは順調にいき、歴史的にもすばらしい制度だった。公的保険、社会保険で、医療を全国民に平等に、アクセスフリーとしたのは、世界的にも類をみなかった。これにより、日本国民が医療の恩恵を享受できた。
・しかし、中曽根政権の医療費抑制政策と、小泉・安倍政権の市場原理主義から、医療と教育の被害が大きくなった。
・とはいえ、診療報酬問題は不備のまま、医療保険の骨格がスタートしたことは否めないだろう。そのうえに、急速に医療技術が進歩して、制度が追いつけなかった。その結果、医療費抑制で破綻が始まってしまった。
・ここまで医療崩壊が進んでしまった政府と行政の責任は非常に大きい。
・自分の良心と倫理に従って最良の治療法を選んで患者に供給するという医師の裁量権まで、今の制度によって奪われている。人まで国が管理しようとしている。
・一方で、医療従事者の経済的処遇はひどいものだった。例えば、東大卒で10年、ほとんど無給の医局員もいた。当時、シカゴ大学医学部の教授は、平均給料が経済学部の3倍程度だった。シカゴ大学でもらっていた1か月分の給与と東大の1年分の給与が同等だった。
・勤務条件も過酷である。ドイツやフランスで週の平均勤務時間が約40時間なのに対して、日本は平均60時間。今の勤務医は、70時間から80時間である。
・医は仁術という伝統。ヒポクラテスの誓い。オノラリウム(名誉ある謝礼)。かつては非常にノーブルな習慣があったが、アメリカ的医療が一般的になるにつれて、恐らく今はなくなってしまった。
・日本の国民医療費はおととしで約32兆円。ちなみに、パチンコ産業は30兆円
・社会的共通資本とは、人間が生きていくため、あるいは社会が円滑に機能していくために必要不可欠なものをみんなの共通の財産として大事に守って、次世代に伝えようとする考え方。例えば、自然環境、公共交通機関、教育、医療、出版、一般ジャーナリズムなどは、私的な形で運営されるのが望ましい。
・イギリスの「ゆりかごから墓場まで」の税による社会保障制度は、1960年代以降、医師の多くが外国に出たことにより、サッチャー政権下で特に崩壊した。ブレア政権が努力したが、失われた医師のモラルや社会的信頼の回復はほぼ不可能だろうと言われている。
・日本でも起こり始めている。病院が崩壊すれば開業医もやっていけなくなる。自治体病院の92%が赤字のため、地域医療が崩壊している。国立病院の約7割が赤字経営で、公的病院の6割も赤字。民間病院も含めた全体平均では、43%が赤字経営。民間病院は、赤字が3年か5年続いたら、倒産しかない。
厚労省のガン拠点病院には、ガン患者が集中し過ぎて、医者は大変。入院日数を短くしたり、ベッドの回転をよくして数こなす。厳しい労働条件に耐えられなくなって、病院を辞める医師も出てくる。
・患者と医師の信頼関係の変化。医療訴訟や医療従事者への非難が直接向けられることが非常に多くなった。
・今一年に4000人以上の医者が病院を辞めて開業している。
・倫理的社会的人間的価値を無視してもよい、という市場原理主義は、シカゴ大学のフリドマンという人が主張したもの。
・ドイツの2006年の勤務医数万人によるストライキやデモは、日本で報じられていない。イギリスでは、半年以上待たないとガンの手術をしてもらえない。日本でも、進行ガンの3期、4期は、理由をつけて断られ、初めから手術をしない。すなわち、病院による患者の選別が発生している。
・疾病と貧困の悪循環は、生活に余裕がないため無理して体を痛め、その結果収入が減り、治療のためにお金が出ていくというもの。
・先進医療は、玉石混淆の世界で、有害無意味な医療であることも多い。また、混合診療は、給付の平等性を破壊している。

以上、端折ってポイントのみ述べましたが、これで、一見無関係そうに見える『婦人之友』と『世界』の記述が連動していることがおわかりかと思います。

これを書いていたら、たまたま私の健診結果が届き、やや太り気味なのと眼底再検査以外は、問題なしとのことでした。自覚症状がないとはいえ、こうして定期健診を受けることで、生活状況の見直しができるのはありがたいことです。このような制度の恩恵は充分享受しつつも、上記の肌寒い事態には、一市民としてしっかりと注視していきたいものと思います。

こうしてみると、神戸で見聞した「信仰によって、自分は人間ドックを受けたことはないし受けるつもりもない」というある牧師の立場は、「それは狂信主義だ」という参加者の批判以上に、いささか自己中心的で視野狭窄的な態度といえるかとも思います。集団定期検診は、そのデータが医学や医療の進歩に寄与するという点で、社会的行為でもあるのですから。
第一に、そういう主張を公にしている人がキリスト教組織の責任者の一人だとしたら、周囲の人々に及ぼす負の影響をどうお考えなのでしょうか。(察するところ、多分、何も考えていらっしゃらないだろうと思います。)
第二に、せっかく白方先生達が戦略を練って関係者や政府と交渉して、多額のお金を拠出していただいて建てた二つのキリスト教系病院の今後は、我々の世代が責任の一端を担うよう、暗に要請されてもいるわけです。従って、我関せずという安穏とした極楽とんぼではありえないのです。
第三に、英領植民地時代に、英国国教会系の医療宣教師や牧師夫人達が、マラッカでマレー人向けのキリスト教病院を建てようとしてうまくいかなかった原因の一つとして、マレー人の強いイスラーム信仰が近代医学への接近を阻んだという背景があります。簡単な薬を少し飲めばすぐに治る症状も、「イスラームの祈りを唱えて断食すればいい」と治療を拒否し、結局は衰弱死してしまった事例が、ある宣教師の手記に書かれていました。患者が亡くなっても、「アッラーの定めだから」と周囲は平然としていたそうです。宗教が違うだけで、それと、どこか通じる態度ではないでしょうか。

ところで、今日の「ユーリの部屋」は、ショスタコーヴィチ交響曲第1番と第15番をCDで聴きながら書きました。インバル指揮でウィーン交響楽団の演奏によるものです。今日のようなどんよりした暗く寒い雨の日には、こういう曲がぴったりです。昨夜は、FMラジオから、ショスタコーヴィチ作曲のビオラソナタ Op.147が流れてきました。ショスタコーヴィチの音楽の広がりや奥行きを感じることができ、有益でした。と同時に、こういう音楽を味わい楽しめるようになった自分をうれしく思います。それで、うさこちゃんことミッフィーの生みの親であるディック・ブルーナ氏にならって、「もっと音楽が聴けるように長生きしたい!」と願っています。