久しぶりの日文研公開講演会
今日は、久しぶりに日文研の公開講演会へ(参照:2011年9月28日付「ユーリの部屋」)。確か、先回訪れたのが、2009年2月26日のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090226)。3年程度、参加がなければ通知を取り消されるそうなので、では、というつもりでもありました。
「仏教と平和」というテーマの講演は、デリー大学の女性と、キリスト教宣教師から曹洞宗の僧に転向されたというアンティオク大学の男性でした。いずれも日本語。
著書を読んでいないのでわかりませんが、デリー大学の方は、私にとっては正直なところ、それほど新鮮な話題ではなかったような気もしました。一方、知らなかったので少し興味を惹かれたのが、後者のブライアン・ヴィクトリア教授。
元々、良心的徴兵忌避のためにキリスト教宣教師として来日し、青山学院大学で3年間、教えていらしたそうですが、キリスト教の聖戦思想に疑問を抱いたことから、曹洞宗に改宗。鈴木大拙などの戦争加担について、鋭い問題提起を著にし、資料の扱い方や論証の方法論に関する批判をはじめとして、欧米と日本の関係者の間で、賛否両論、論議を招いている方のようです。
日本史を通して、仏教が必ずしも争いごとに無縁だったとは言えなかったことは、我々は常識的に認知していることですが、それよりも、欧米における仏教認識とのずれを興味深く思った次第。欧米では、キリスト教やイスラームと異なり、仏教は平和な宗教と思われている一方で、イラクには米軍従軍僧のような人もいるのだそうです。
全体として、問題の指摘や視点は重要だと思ったのですが、戦時下の国家主義と仏教高僧の関与、そして、いわゆる「戦争責任」概念については、もう少し丁寧にみていく必要があるのではないかと感じました。
と思っていたら、講評として、井上章一先生が、「世界が仏教に期待しているというが、絶望も大きい」「『あの人はクリスチャンのくせに万引きした』とは言うが、『あの人は浄土真宗のくせに万引きした』とは言わない。これは、前者に期待値が高く、後者に期待値が低いからだ」「世界の傾向として、宗教に平和を求める時代ではない」という意味のことをおっしゃっていました。
ヴィクトリア・井上対談のようなものがあれば、という司会者の提案に、会場からは肯定的な反応が見られました。