ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

与えられた恵みを分かち合うこと

先程、日本UNHCR協会(国連難民高等弁務官の日本事務所)から確定申告のための寄付金控除用書類が送られてきました。先週には、MSF(国境なき医師団)からも同類の書類が届きました。この他に、相馬雪香氏の「難民を助ける会」からも、きちんとご連絡が来ます。ユニセフも、もうそろそろでしょうか。毎年この時期になると、恒例行事です。
NPO法人加入の組織のみならず、中村哲医師の「ペシャワールの会」や「あしなが基金」や「犬養(道子)基金」や「カリタス・ジャパン」にも、ささやかな額を送金し続けて何年にもなります。中には、アルバイトでお小遣い収入を得るようになった学生時代から続けているものもありますから、一回分の額は少なくとも、継続していけば、何とか多少はお役に立てることもあろうかと思ってのことです。
もちろん、この種の話は人に打ち明けるものでもありません。しかし、お志があっても方法を知らなかったり、そういう国際事業そのものが初耳という人のために、ある程度は公知することも必要かと思います。
私の場合、単なる慈善意図ではなく、もちろんお金が余っているからでもなく、実を言えば、とかく視野が狭くなりがちな自分を叱咤激励するためにも、世界情勢の最新情報に接するためにも、報告書を定期的に送っていただくのが楽しみで、続けているということがあります。その代わりに、あまりにも小さな組織や何を考えているのかよくわからない宗教組織は、容赦なく関与しません。ある程度、知名度の高い組織の方が、人件費や広報に寄付金が費やされるという弱みがある一方で、意見や批判も出しやすく、その点安心です。開発援助や国際医療援助などの動向も、専門でなくとも何とか理解できなくもないのは、これらの習慣のおかげでもあります。結局のところ、お金は天下の回りもの。自分のところでささやかな額を握りしめていても、何らいいことも起こらないだろうと思うのです。

「あしなが基金」は、天皇皇后陛下も心に留めて励ましていらっしゃるようですが、10年ほど前に、一度私は意見を申し出たことがあります。寄付金を募る書類が送られてきたのですが、文章の書き方が、いかにも裕福な人々を表面だけで判断して、僻み根性丸出しのような、恨みつらみのこもった印象を受けたので、「人がお金を出そうという気持ちになるのは、そういう非難がましい文章によるのではなく、淡々と事実を述べ、是非とも力を貸してほしいと、心から訴える文章によるのではないでしょうか」と率直にコメントを出しました。すると、何と自宅に直接お電話がかかってきたのです。名前を失念してしまいましたが、確か事務所の責任者である中年男性からでした。余程、金銭的に困っていらした時期だったようで、私のストレートな意見にも、「そうか、そうか」と耳を傾けてくださり、その後は文書の印象が一変しました。今では、アチェの人々とも被災者同士の連帯を結んだり、社会的に褒賞を受けたりして、認知も広まったようで何よりです。

今朝、箴言11章を読んでいたら、「慈善は死から救う」(11:4)「正しい人は慈善によって自分を救い」(11:6)「慈善を蒔く人の収穫は真実」(11:18)「慈善は命への確かな道」(11:19)「他を潤す人は自分も潤う」(11:25)とありました。ついで、「美しい女に知性が欠けている」(11:22)とあるのにも目が留まりました。もう、これだから聖書通読はやめられません!