ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシアのカトリック出版物

結局のところ、11月下旬にマレーシアから送ると連絡のあったマレー語新約聖書はいまだ届かず、その後、音沙汰なしです。そして昨日は、月刊誌『カトリック・アジアニュース(CANews』が届いたのですが、編集者は同じでも、マラヤリ系の知り合いも含めた執筆陣が、しばらく前からごっそり代わってしまい、他国のカトリック情報や国内メディアの切り張りが多くなって、以前ほどおもしろくなくなってしまいました。これもそれも、『ヘラルド』と同じ運命に遭遇しているからなのでしょうか。
え?「同じ運命」って何ですかって?
実は、しばらく中断してしまった案件について、書くのを忘れていました。というよりも、私の方が気落ちしてしまって、書く意欲が減退していたと表現する方が正確でしょう。
端的に言えば、私がこれまでしばしば引用してきたマレーシアのカトリック週刊新聞『ヘラルド』の発行許可が、あと一回分で切れてしまい、当局から、2008年度の許可がまだ下りていないという深刻な事態なのです。本日付英語版はてな日記“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)の冒頭赤字部分を、どうぞお読みください。
つまり、マレーシアのキリスト教人口9.1%のうちの約半数(ある情報によれば80万人以上。別の新聞The Sunによれば、85万人)を占めるというカトリック信者向け出版物(後記1:発行部数1万2千部との情報有。また読者層は5万人とのこと。後記2:2008年12月19日付‘Lily's Room’によれば、週毎の発行部数は1万4千部との報道有)が、当局から「発行停止にするぞ」などの‘脅し’を継続的に受けていて、どうやらそれが限界に来ているらしいということです。
言論や表現の自由とまでは言わずとも、私の見るところ、正統なカトリック信仰に基づく情報がかなり簡易化された形式で書かれているだけの『ヘラルド』が、どうして国内治安をゆるがせにする恐れがあると当局にみなされているのか、理解に苦しむところです。結局は、当局によって、「反政府」「反イスラーム」だと解されているのでしょうが、それならば、かつてカトリック系ミッションスクールで学んだマレー人指導者層が、なぜ本件に関して黙しているのかという点も、実に不可解なところです。それに、私の知る限り、ムスリムの断食明け祭(Hari Raya Puasa)などの会合の模様も、時々写真入りで掲載することもあります。つまり、ムスリムの宗教行事にも気を配っているわけです。
イスラームでは、啓典の民であるキリスト教共同体を庇護する教えがあるとは、耳にたこができるぐらい聞くところです。また、マレーシア憲法第11条では「信教の自由」が規定されていて、この「自由」は公的にはマレー人、すなわちムスリムには適応不可とされていますが、非ムスリムには宗教活動の自由が保障されているのです。その規定内の教会活動や信仰実践、国内の社会動向、そして国外カトリック関連ニュースを4つの言語で記したものが『ヘラルド』です。13年前から発行が始まり(後記:2008年12月19日付‘Lily's Room’によれば、1980年に始まったという報道も有)、数年前と比べても、ページ数や内容共に充実してきたところです。
英語ページの割合が最も高く(64.3%)、海外情報も含んでいます。それに国語であるマレー語ページが、先住民族で英語が難しくてわからない国内カトリック信徒およびマレーシア在のインドネシアカトリック信徒向けに、ぐっと下がった割合(14.3%)を占めます。続く中国語圏のカトリック情報がマンダリン版ページ(10.7%)。最後にタミル語ページが2ページほど(7.1%)。このタミル語版は、ごく小さなタミル系カトリック共同体向けのもので、それに南インドカトリック状況がたまに少し加わる程度です。残りの1ページは、毎週、死亡通知や昇天記念日のお知らせ用に、亡くなった方々の写真が掲載されています。ご遺族はもちろんのこと、遠方の親戚や知人にとって、このページは重要なものです。それを発禁にされたら、告知が遅れ、不便になるでしょう。
CANews”の常連執筆者の一人だった上記マラヤリ系男性が、数年前、私に言ったことがあります。「ここにだって、よく当局からの警告書が届いているよ。こんな記事書くなとか、次に繰り返したら発行許可を取り上げるぞ、とかなんとか。だから、我々執筆陣は誰もが、いつでも法廷に赴く覚悟ができているんだ。そんな馬鹿げた脅しに、どうして屈しなきゃいけないんだ?」と。誠に失礼ながら、日本なんかと比べても、別に大した記事じゃないし、バックナンバーを見ると、昔の方がずっとはっきりとしたおもしろい見解が出ていたのに、「法廷に赴く覚悟」なんて大袈裟な、と思っていたのですが、ここまで来ると、まんざら大袈裟でもなさそうですね。
以前も書いたことですが、私が2006年11月下旬に面会した『ヘラルド』編集者のインド系司祭Fr. Lawrence Andrew,sjは、ジョホール出身のよい英語を話す落ち着いた年配の方でした。現在、発行許可が得られなかった場合の、さまざまな手段を検討されているそうですが、近い将来、私の海外購読も打ち切られてしまう可能性は全くのゼロとは言えません。場合によっては、カトリック信者のみ、あるいはその友人だけに絞って新聞を発行し閲覧するように方針を変えることもあり得るからです。
私の購読権は、元来リサーチ目的だから消されても仕方ないとしても、いったんここでカトリック側が譲歩してしまったら、当局は、ドミノ式に抑圧をかけてくるかもしれません。考えられる予測として、例えば、1980年代にも発生したサバのカトリック新聞に対する発行停止の警告だとか、気に入らない情報があれば、プロテスタントの冊子も即刻発行許可を取り上げるとか、教会新築/増築許可は今後一切下りないとか、最近も国会で問題になった「ミッションスクールの十字架は取り下げろ」コールなどが、矢継ぎ早に起こるかもしれないのです(参考:2007年11月28日付 12月20日付“Lily’s Room”)。

もともと、ムラユ王国にはキリスト教など存在の余地がなかったのだから、それは当然の成り行きだという意見が、あるいは出されるかもしれません。しかし、現代のグローバル化社会において、そういう見解が本当に多くの支持を集めるとお考えでしょうか。それを言い出すなら、トルコのEU加盟だって、本来筋違いの要求だと見なされはしないでしょうか。イタリアでも、ヴァチカン市国の近くに大きなモスクが建っていると聞きますが、それとて、どちらの‘寛容’ないしは‘譲歩’によって実現したものなのでしょうか。

ところで話は一気に変わりますが、昨日は書留で、マレーシアの銀行から警告書が届いてしまいました。小切手通帳の残高が切れているのに、小切手を使おうとしたからということなのです。マレーシアって、さすがにこういう注意は早いですね。感心している場合じゃないんですが、残高切れと言われても、いつも記録をとって計算した上でチェックを切っているはずなのですけれども、多分、こちらの計算ミスだったり、いつの間にか諸手数料などが、あれこれ引かれたりしているのでしょう。あ〜あ、おもしろくないですね。ともかく、昨日の午後は、書類をコピーしたり手紙を添えて送るなど、予定外の用事に時間を費やしてしまいました。

銀行ついでに、2006年11月下旬のマレーシア訪問時の体験も書き添えておきましょう。M&Aによって名称が変わり、場所も移転したものの、そもそもこの銀行とは、マレーシア赴任直後の1990年4月からの長いおつき合いです。ところが、名称変更と移転に伴い、行員の態度も、人によってはかなり横柄になってきました。もともと日系銀行ですし、私事ながら、実父の現役時代に勤務していた銀行も含まれているのですが、こんな扱いを外国人客にするとは、ちょっと信じられません。
こちらも、他に用件の重なる限られた日程の滞在で、合間を縫って銀行に寄っているのに、対応した20代の華人女性行員が、毎度毎度、こちらが聞き取れないほど早口の英語で喋り出し、それもこちらの責任と言わんばかりの態度だったのです。
問題は、とるべき手順を論理的に説明せず、最初からあらゆる余計な情報を与え過ぎ、しかもその情報がこちらの不安を駆り立てるような内容だったということです。例えば、「この手続きには、まず先の銀行に再度出かけて、マレーシア人の知り合いでれっきとした証明のできる社会人から、二つの署名をもらう必要がある。しかも、それは○日以内だ。もし、期間内にできなければ、手数料を引かれる上に、口座残高はすべて当行の資金に移行する」などと言うのです。「マレーシア人の知り合いはいますが、彼女達にも予定というものがあります。私も○○日には帰国しなければなりません。どうしたらいいんでしょうか」と尋ねると、「その場合は、郵送でもいい」と言った途端、「でも、郵便は紛失の恐れもありますからね。途中でなくなったら、こちらは知りませんよ」と付け加えるのです。「じゃあ、どうすればいいんでしょう?」と聞き返すと、「ここはマレーシアです。マレーシアの法律に従ってください」の一点張り。だから私がここに来ているんじゃないの、と言いたいのをぐっと押さえて、「わかっています。でも、ここは日系銀行ですよね?いざとなったら、東京の本店に問い合わせてみますから。それに、あなた、早口過ぎます。私はあなた方の顧客です。顧客が理解できないほど早口で喋るのは、不当です。あなたのボスに相当する担当者を呼んでください」と言うと、途端にうって変わっておとなしくなり、「じゃあね、こういう方法もあります」と、まともな手順を言い出しました。最初からそれを言えばいいんですよ、と言いたいのを、これまたぐっと押さえて、その行員の名前と緊急電話番号を聞き出し、本人にサインもさせて、「この通りにしますからね。それが間違っていたら、本当にボスに通告しますよ。そして、日本の本社にも連絡します」と念を押しておきました。
ふうっ。なんてことでしょう。これで、二十分は損をしました。まったく、私のキツイ性格がますますキツクなってしまうではないですか。
首都圏のメソディスト教会で十数年前に知り合った華人ビジネスマンに、電話で訴えると、「そりゃ、簡単なこった。目の前で全額引き下ろして、口座を閉じてやればいいんだ。そんなふざけた行員は、そうやって痛い目に遭わなければならない。何事も、顧客第一。これがビジネスの基本だ。日系銀行で日本人顧客にそんな態度をとるなんて、教育がなっとらん!なんなら、付き添ってあげようか」と、私以上に息巻いてくれました。付き添いは結構ですが、でもこれで、すっとしたというものです。お茶漬け民族ですから、その点、淡泊なんです、私???

と書いているうちに、また本の話には入れなくなってしまいました。申し訳ありません。
明日はきっと!その後、もっと重要な話を書きたいと案を練っているところです。どうぞよろしくおつき合いくださいませ。

(追伸)一つ追加事項を。割引クーポンで主人が注文しておいてくれた、五嶋みどりさんの新盤CDが、昨日ついに到着しました。バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタの第2番イ短調BWV1003と、バルトークのヴァイオリン・ソナタ第1番Sz.75, BB84です。ピアノ伴奏はロバート・マクドナルド氏です。バッハはおなじみの曲ですが、心に染み入るすばらしい演奏です。夜しんみりと聴くにもいい味わいです。以前、福田康夫首相のクラシック趣味の件で書いたように、バルトークは私の好みではありません。この曲も、いかにも難しそうな感じを与えるものですが、みどりさんとマクドナルド氏が演奏されていると思うと、何度も聴いて覚えようという気になるのが、実に不思議です。