ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ムスリム指導者の公開書簡 (3)

昨日は、月刊誌『カトリックアジアニュース』と週刊新聞『ヘラルド』がマレーシアから同時に届きました。昔はおもしろかったのに最近は相変わらずといった内容の前者に比べ、後者は、サバ州カトリック小史(1857-現在)がデータ付で英語版とマレー語版の見開きいっぱいのページを費やして語られるなど、見た目の印象が対照的でした。どちらも、ギリギリの人材と予算でやりくりしながら、当局の干渉のみならず、カトリック内部の各部署の人間関係やトップの意向にも影響されつつ発行しているものなので、外部者である私も、短絡的にとらえず、長期的視野で推移を見守ることが必要かと思います。

ヘラルド』紙上では、ムスリム代表者からローマ教皇キリスト教指導者へ宛てた公開書簡について、議論がまだ掲載されています。それはそうですよね。いくら上位のムスリム指導者がそういう意向を示したからといっても、現実にムスリム諸国で起こっている実情を考えれば、そうやすやすとは諸手をあげて喜んでもいられませんから。
日本の大学レベルの議論は、文献学的研究、あるいは、‘高次’で抽象度の高い、世論的にも目立つトピックを扱う傾向にあり、とかく現地の草の根レベルの状況には目をつぶるところがなきにしもあらずと思われます。草の根レベルでも、ムスリムの多様性や窮状などを訴えるものはありますが、隣合わせに暮らしているクリスチャン達がどう感じているのか、流血の紛争にまで至らない限り、それはあまり前面に出せない/出さないようなのです。石油のためなのか、ムスリムの反発を恐れてなのか、アラブ諸国の大使館にチェックされるからなのか、理由はさまざまでしょうが。
ある大学の研究会合でのことです。マレーシアの事例に関して、イスラーム化に伴うキリスト教側への負の影響を、フィールド経験に沿って具体的に述べてみました。例のマレー語聖書やマレー語で書かれたキリスト教発行物の話に加えて、レーゲンスブルク大学での教皇ベネディクト16世の講義に対するムスリムの反応に迷惑した地元のカトリック共同体の事例も添えました。日本では教皇に対して批判的に論じることが可能であり、それで済んでしまうところがあっても、イスラーム圏のカトリック信者にとっては、自分達の頼みの綱である「聖なる父」に対するムスリムの抵抗行動の方が、対処に困ったのです。
会合時の反応は、丁重な黙殺がほとんどでした。きちんと答えてくださったのが日本人非ムスリムの中東イスラーム研究者お一人で、その他には、日本人ムスリム学者の荒っぽい抗議的反論と高圧的な拒絶、一人の中東ムスリムの「マレーシアのイスラームは成功している」との賛辞がありました。途中で、日本人ジャーナリストが「マレーシアの話はおもしろいですね」とおっしゃったのですが、私にしてみれば、何がどうおもしろいのかわかりません。現場では、意識の高い人であればあるほど、ぴりぴりして将来を懸念しているというのに...。
ただ、同席したイスラエル人の先生は私に同情的で、会合後、ご自分が北京の学会で出会ったマレーシア人のクリスチャン研究者や、知り合いのドイツ人教授でマレーシアのインド系共同体の宗教上の問題を論文にされた先生(二つの博士号をお持ちなんです。だから「ドクター・ドクター」とお呼びするのですって!)を紹介してくださいました。命がけで国造りをした過去を持ち、今も日々緊張感のうちに暮らしている人々は、さすがに敏感です。
西側諸国とイスラーム諸国の対立だの寛容の促進だのという話がよく出ますが、それとてまずは、きちんとした研究の積み重ねがあって初めて成り立つものです。基盤がないところから、気持ちだけで相互理解と言っていたって、一時的あるいは表面的なお友達に終わってしまうかもしれません。そういう点で、日本側の先生方が、とかく「‘中立的’な日本で和解への架け橋を」とおっしゃることには、もちろん反対ではありませんが、その実現性を考えると、にわかに賛成し難い面もあります。あまり接触がなかったので問題がないだけで、従って研究も少なくて理解もその程度ってこと、ありませんか?私は、そのイスラエル人の先生が、ご専門はユダヤ教なのに、私のためを思って、そこまで紹介してくださったことに、胸があつくなりました...。
話は逸れましたが、私としては、トップ情勢と理論的な議論を踏まえた上で、やはり現地の少数派の当事者にまなざしを注ぎたいと思います。とはいえ、マレーシアのキリスト教先住民族から都市部の中上層までと幅が広過ぎるので、どうしても話の通じやすい指導者層に焦点を絞りがちなのですが。
英語版はてなブログ日記‘Lily’s Room’http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)では、『ヘラルド』紙から新たに筆写入力あるいは複写した記事3件を掲載いたしました。ご興味のある方は、どうぞご覧になってください。
ポイントは次のとおりです。
1.ムスリム公開書簡に署名した前副首相Datuk Seri Anwar Ibrahim 氏が、自らイスラームキリスト教の共通価値の促進者であると発言したこと。これは、1970年代半ばから後半にかけてABIM(マレーシア・イスラーム青年運動)の議長だった氏が「イスラームは全人類への呼びかけであるため、マレーシアのすべての人々に受け入れられるはずべきものである」と主張していた内容と合わせて、よく検討すべきである。当時の氏の立場は、多民族社会マレーシアのコミュナリズムの解決のために、イスラームが有効だという発想であった(参考:サイド・フシン・アリ(編著)/小野沢純・吉田典巧(訳)マレーシア〜多民族社会の構造勁草書房(1994年)pp.145-149)。マハティール前首相によって突然辞任させられた彼の苦しい経験が、若い頃の思想を少しは変えたのか、または将来に向けた政治的意図でこの主張に同調したのか、予断は許されないと思う。一言付け加えるならば、彼が刑務所で謂れなき拷問を受けていた頃、元弁護士のカトリック司祭である『カトリックアジアニュース』編集長らが、彼の救援活動に労していたことは、クリスチャン共同体では広く知られている。
2.ヴァチカンの態度がムスリム学者を落胆させているという『タブレット』からの転写記事も同時に掲載されたこと。これは、日本では「保守派vsリベラル派」という図式で論じられやすいが、マレーシアのカトリック新聞に掲載されたという現地文脈で考えるべきだろうと思われる。現地のクリスチャン達は、我が身に起こった問題を通じて、本件をとらえるからである。
3.編集者コラム欄では、公開書簡への賞賛もあることに言及した上で、「ムスリムとの対話は、秘められた項目があるために難しい。対話があったとしても、それは、単なる公式の出会いに過ぎず、丁重であることを学ぶ場であった」と断言し、「ムスリム学者が共通項を求めたとしても、ここマレーシアでは、地元の学者や公務員達が非ムスリムを遠ざけるためのバリアを築き、実体のないささいな議論で、これはムスリムだけに属するのだとか何とか言う」と不満をもらしていること。
一方で、複写はしませんでしたが、同じ新聞には、サラワク州クチン市では、ムスリム代表がカトリックの聖三位一体教会を訪問し、宗教間対話の糸口としようとした記事も載っています。

ここに、マレーシアのムスリム・クリスチャン関係を把握する難しさともどかしさがあります。ある研究者や短期訪問者は、クチンの事例を引き合いに、「これは明るい一歩なのだ」あるいは「半島部とサバ・サラワク州は違う」と主張するかもしれません。しかし私などは、それは外交辞令上の一例であり、全体を通時的に見なければ楽観はできないと思います。ただ、対立ばかり強調すると事態が悪化する恐れもあるため、光の面に焦点を合わせる論法もあるだろうことは理解できます。ふぅ!私、いつまでこんなことをするんでしょうか。