ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

思想しつつ 生活しつつ 祈りつつ

ここで気分を変えて、日々の暮らしの中から少し感じたことを書いてみましょう。羽仁もと子氏提唱「思想しつつ 生活しつつ 祈りつつ」に啓発されたユーリ版実践記の一部です。恥ずかしながら、というところですが、黙っていたら通じないことも多くなった世の中なので、あえて隠さずありのままを書いてみます。

昨日の午後、家の片づけものをしていて、我が家では使いそうにない日用品を箱に詰めて、大阪市内のある施設に宛てて、お送りしました。もちろん、送料はこちら持ち、先方に入り用かどうか事前にお電話してから送るのです。こういう時にはたいてい主人が、玄関先に置いた箱を見て「これ、なに?」と尋ねてくれるのがありがたいです。
「ありがたい」の意味には二つあります。
一つは、いささか大袈裟ながら、質問を機に、分かち合いの精神の一端を少しでも説明できるきっかけが与えられるからです。緒方貞子先生がまだ国連難民高等弁務官でいらした頃だったか、あるいはアフガン支援の頃だったか、テレビで「自分だけ、あるいは、自分の国だけ幸せになろうったって、そんなことできるはずがないんですから」と、手を振り回しながら一生懸命語っていらしたのを覚えています。確かに、国と国、民族と民族、人と人の相互依存関係は、例えばエネルギー資源や食品流通の上で、頭ではわかっているつもりでも、自分が平穏だと思っている時には、ともすれば見過ごされてしまいやすいものです。当該施設の方は、いつも丁寧に、第三ヨハネ書簡の聖句入り受領葉書や報告書などを送ってくださるのですが、それによって教えられ、恵まれるのは、実は私の方です。特に、送ったことをすっかり忘れた頃になって、たまたま気落ちした時に葉書や会報が来ると、(あ、私、落ち込んでいる場合じゃない。こんな私でも、何らかのお役に立っていたじゃない!)と励まされるのです。
もう一つは、主人が、「家の中のことはお前に任せた。こちらは外で稼いで来るからな」という妙な分担無責任タイプじゃないということです。まがりなりにも勉強が続けられるのは、こういう主人のおかげです。週末には、買い物も午前と午後、リハビリも兼ねて自発的にしてくれますし、もともと身の回りをきちんと整え、何でも自分でやるので、非常に助かります。主人の祖母や母に感謝すべきは、そういう風に彼を育ててくれたことですね。
かつて、同世代のキャリアウーマンを称する女性達の中に、「外で私も働いているんだから、家事分担は当然」と最初から決めてかかって結婚相手探しをしていた人がいました。残念ながら、私の知っている範囲内では、今でもシングルです。何とか結婚したとして、初めはよくても、数年後にはお互いに疲れて喧嘩もできないほどバラバラな状態か、表向きは夫婦でも、実は家庭内別居という話も聞きます。でも、何となくわかるような気もするんですね、逆を考えてみたら...。私が男だとして、相手の女性から、「私だって、人並みに稼いでいるんだから、あなたも家事するのよ!」なんて、初っぱなから割り当てを押しつけられていたら、職場組織の延長みたいで、嫌気がさしますよ。多分、相手探しの時に、自分のことは自分でやるタイプか、家庭の問題にどの程度コミットしてくれそうな男性かということを、あらゆる角度から見定めておく必要があるのでしょう。もっとも、あなたが世話好き女房型なら、こちらは何も言うことはありませんが。

…と、話はすっかり逸れてしまいましたが、きっかけは、昨日頂戴した、主人の大学時代の恩師の奥様からの丁重な達筆のお手紙なのです。今年亡くなられた恩師の方は、大変失礼ながら癖の強い読みにくい字を書かれる先生でしたが、奥様は見事な女文字の書体です。ご年配の大学教授は、奥様がしっかりした教養人で、陰に日向に、ご主人のお仕事を文字通り支えていらしたのだという実例を、改めて示していただきました。
こうしてみると、昨今の「夫婦で大学研究者」とは、一見トレンディですが、地位が上がれば上がるほど、内外での社交も礼儀も重要になってくるので、こういうゆかしい礼節と、どのように調和させていかれるのでしょうかと、他人事ながら気になるところです。私の知っている同世代やより若い方の場合、論文抜刷も「送る」と自分から言い出しておきながら、その実ちっとも送って来なかったり、平気で「住所をなくしました」と遅れて書いてきたりするなど、外的にはともかく、私的な通信では、やたら子どもっぽかったり常識外れだったりする事例も、全く皆無とは言えませんので...。

その点、私など家に一日中いたとしても、片づけ物やら外部との連絡やら、することがいっぱいあって、これでフルタイムの仕事を外で毎日持ったとしたら、一体どうなるのだろうかと、杞憂かもしれないのですが、とても心配しています。時間作りのため、携帯電話を持たないようにして、テレビもほとんど見ず、作業に区切りをつけるためにタイマーをかけながら過ごしているのに、それでも毎日、やり残す仕事があるのですから。性格的なものも大きいのでしょうけれども。

(追伸)なんだか、書いているうちに、とりとめもなくなってしまい、ちっとも「思想」になっていないことが判明しました。これが私の実体です!