ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレー語とキリスト教の関係

2007年10月17日付の英語版はてなブログ“Lily’s Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)には、「繰り返された神学用語の問題」と題して、マレーシアのカトリック週刊新聞『ヘラルド』のコラムから部分抜粋して入力したものを掲載いたしました。ご興味のある方はどうぞご覧ください。

英文を読むのが面倒な方のため、以下に私訳を載せます。

[論争がない時に論争を作り出すこと]

(*書き出しは、「ラサ・サヤン」というフォーク・ソングの所有権は誰にあるのかという最近の論争から始まっている。)

この「ラサ・サヤン」論争で、我々にとって重大なのは、マレー語には多くの借用語があるということだ。「ラサ・サヤン」の「ラサ」はサンスクリットの単語だ。ある学者によれば、サンスクリット系の語彙だけを用いてマレー語が話せるのだそうだ。我々の多くは、日頃使っているマレー語の語彙がサンスクリット由来だということに気づかない。(例略)

マレー語の宗教語彙でさえ、サンスクリットからの派生である。例えば、「罪」を意味する‘dosa’は、サンスクリット語源であり、アラビア語ではない。「罪」に相当する普通のアラビア語は‘sayyia’と‘khatia’である。断食の‘puasa’はどうか?平然と、それもサンスクリットの語彙であると我々は言える。
(中略)
我々のカトリック週刊新聞『ヘラルド』は、しばらくの間、内務省から嫌がらせを受け続けてきた。それもマレー語欄で‘ALLAH’の語を使っているからという理由である。アラビア語を話す人は何人も、この語がイスラームと共にやって来たなどとは主張しないものだ。世界の唯一の創造主がいること、そして創造主は‘GOD’であることは、神を信ずる者達の間で普遍的に理解されている。英語では、‘God’であり、イタリア語では‘Dio’であり、ドイツ語では‘Gott’であり、スペイン語では‘Dios’であり、ポルトガル語では‘Deus’であり、アラビア語では‘Allah’であり、アラム語では‘Alaha’である。
だから、‘God’の語は英語であり、英語を話す全ての宗教の人々によって用いられ得る。
上記に見てきたとおり、マレー語は他の古代語からの多くの借用語に依存している。そして、ある言語でのすべての語は、その言語の所有であり、いかなる宗教のものでもない。さもなければ、そのように主張することは、単なる無知である。言語は宗教以前に存在したのだ。宗教語彙は、人々の経験のうちに言い表されるのであって、その逆ではない。
マレー語聖書は、‘God’に対して‘ALLAH’の語を、‘Lord’に対して‘TUHAN’の語を使用している。 (終)

それ以前の類例について、私は既に、何度か口頭発表し、論文にもしました。

2006年11月中旬から下旬までマレーシアを再訪した際、この新聞の編集者であるインド系カトリック司祭Fr. Lawrence Andrew, sjにお目にかかって、最近はどんな当局からのハラスメントがあるのか、証拠としての往復書簡を見せていただきました。その時は、「書類のコピーは不可だが、ノートにメモをとるぐらいならいい」とあっさり許可が出ました。
恐らく、2000年に表敬訪問したクアラルンプールのカトリック大司教から、全カトリック教会への私のリサーチに関する通達があったのかもしれません。(←例えば、A地点からB地点へ移動して、各担当者に会うと、「あぁ、あなたね。あなたのバハサ(マレー語)は、多分私のバハサより上手だと思うわ」などと、いきなり言い出すのです。「さっき、○○さんに会ったでしょう?」とも言われます。連絡網がきちんと張り巡らされているのですね。もちろん、私は迷惑のかかるようなことをしたくありませんし、正々堂々と振る舞っているつもりですから、かえってその方が安心なのですけれども。)

何度かの全文マレー語での書簡往復だったのですが、司祭の目の前で書き写しながら、思わず何度もため息が出ました。司祭は私の様子を黙って見ていましたが、「まだ今は交渉中なので、人前で言ってはならない。公表した暁には、我々の努力がすべてダメになってしまう。あらゆる交渉を行なってもまだ埒があかなければ、我々は法廷に赴く意志がある」と繰り返し念を押されました。それゆえ、帰国の翌々日に行なったマレーシア研究会大会の発表は、主に口頭での説明に留まりました。

実は編集者である司祭のオフィスを去る時、ふとある予感がしました。恐らく、私が次にマレーシアを訪問する時には、同じ用件でここへ来ることはないんじゃないか、と...。そのため、「ヘラルド」という看板のある部屋の入り口と建物の門を写真に撮っておきました。そして、残念ながら、その予感は見事に的中したのです。

ヘラルド』を発禁にするぞという、半ば脅迫めいた当局からの通告については、私が帰国してからの交渉により、編集部の事務所を移転することで、何とか発行継続が可能になった模様です。それでは、あの広々とした敷地の一角にあった建物は、今は何に使われているのでしょう? キリスト教書店はそのまま残っているのでしょうか? 過去にも何度か行ったことのある場所なので、とても淋しい思いにとらわれます。

帰国時にグッタリと疲れたのは、内容の高度さや深遠さのためではなく、1980年代からの繰り返しが、20数年たった今もまだ、水面下で続いているという虚無感のためです。もちろん、マレーシア人皆がそのような循環型思考回路を辿っているのではありません。さっさと見切りをつけて、自分達の生活維持とコミュニティ内での交流に専念する人々も多いのです。そうはいっても、指導者層の人々は、一緒になって避けるわけにもいきません。ともかく、本件のパターンはいつでも決まっています。

1.国外的には、「多民族社会のマレーシアは、イスラームを連邦宗教とするが、他宗教(注:「多宗教」ではない)とうまく平和共存している」「マレーシアはイスラーム圏内で最も発展したモデルのムスリム国家である」と首相から大学教員まで、自画自賛の宣伝を公私にわたって繰り返す。
2.国内の水面下では、当局が一方的に、キリスト教の各指導者層や出版物発行責任者達に対して、突然、マレー語やその系統の言語による聖書やキリスト教系発行物に対する警告や発禁の措置をとる。
3.驚いた(実は慣れっこになってしまっている)キリスト教指導者層が、民族や教派を超えて緊急会議や通知連絡を取り合い、対処法を協議する。(マニュアル案はできている。)
4.イスラ−ム社会は法による統治を建前とするため、クリスチャンの弁護士や法律専門家の有志が、ムスリム諸国の事例を研究して、法的にどのように議論を進めるか検討する。
5.3と4を合わせて、遺憾声明ないしは抗議声明をメディアやキリスト教系出版物(や最近ではインターネット)に公表する。ブミプトラ系か華人のクリスチャン有力政治家などの諸ルートを通して、問題解決のための首相ないしは該当する担当者との面会の可能性を探る。
6.面会に応じるという首相や担当者からの返答は、即座に下される場合とかなり長引く場合とがあるが、あらゆる機会をねらって、キリスト教指導者側は、忍耐強く待ち続ける。
7.基本的に面会内容は公では伏せられるが、結果的に、双方の妥協策を図り、その場は「わかった、そういうことなら、聖書/キリスト教新聞発行の発禁を解除しよう」という寛大さが首相あるいは担当者から示される。
8.「ご理解いただき、ありがとうございます」という謝辞がキリスト教指導者側から公に出される。また、「会合は良好な雰囲気のもとに行なわれた」と説明される。
9.素朴な人や内情に疎い人は、当件は和やかに円満解決したのだから、一過性のものであり、今後は再発しないだろう、と期待を寄せる。
10. 数ヶ月後、ないしは数年後に、突然2が始まる。そして9までのプロセスが繰り返される。

一昨年、私は、この問題に関する詳細な年表を英語で作ったことがありますが、本当に疲労困憊しました。事が事なだけに、信頼のおける一次資料なしには公表すべきではない、と長年考えていた頃の記憶や経験がどっと蘇ってきたからです。リサーチを始めた1990年代当時は、インターネットでの情報もまだ少なかったですし、向こうに行かなければ何が実際に起こっているのかわかりませんでしたし、一体誰に聞けば信頼できる情報を正確に教えてくれるのかもわかりませんでしたし...。

今年9月のキリスト教史学会では、2005年4月のマレー語聖書に関する騒動について、資料を部分的に複写してレジュメに載せました。発表時に、「こんな話、私にとっては何ら珍しくもありません。小さな年表が作れるぐらいです」とかなり控えめに言い添えましたが、さすがはキリスト教関係者の多い学会だけあって、その場の雰囲気は極めてスムーズなものでした。

ただし、時間の関係で言い忘れた一つのエピソードがあります。このような話をすると、どこでも大抵、「じゃあ、マレーシアに行った時にマレー語聖書を買ってこようか」ないしは「友達に頼んでマレー語聖書を送ってもらおう」などと考える珍しい人が一人や二人は必ずいるものです。普通は、(そうか、じゃあ気をつけよう)となると思うのですが...。

実際、2004年の前半期に、某大学の授業でこの話をしました。すると、その年の夏期研修でマレーシアに二週間滞在した牧師志願の男性が、帰国後、意気揚々とマレー語聖書を誇らしげに見せながら、私に「何ら問題なかったですよ」と報告しに来たのです。どうやら、それを事務室でも言い広めていたらしく、事務関係の仕事をされていた若い女性からも「マレー語聖書がようやく買えましたって喜んでいましたよ」と聞きました。

そりゃあ、そうですよ。その前の2003年には、イバン語聖書の発禁問題で大騒ぎしていたんですから。いくら何でも、そう毎年バンバン聖書を発禁していたら、諸外国が黙ってはいませんでしょう。何だかんだ言っても、キリスト教は世界で最大人口を有するのですから。でも、2005年4月を見てごらんなさい。ほら、同じ問題がまた発生しているでしょう? 自分がマレーシアを訪れた時に、たまたま問題がなかったからといって、私の10数年以上に及ぶ神経消耗のリサーチ結果が、どうして間違っていると判断できるんですか?

しかし、その牧師志願の男性だけじゃありません。

ある有名なキリスト教主義の高校の聖書科の先生も、同じマレーシア研修旅行で感激して帰ってきて、私に、「これからは教会で、アッサラームアライクム(あなたに平安あれ)と挨拶することにする。みんな、イスラームはテロ宗教だと思っているから」とうれしそうに言ったのです。私が、「でも、マレーシアの州法では、非ムスリムがそのことばを使ってはいけないという法律があるんですよ」と言うと、奥さんまで口をとがらせて、「そういう例もあるっていうだけでしょ?」と言い出したのです。まるで、15年以上もマレーシアと関わり、そのうち4年間は滞在し、マラヤ大学でのべ300名以上のマレー人学生に教え、マレー人教員との会議も定期的に持った私の経験の方が間違っていて、たったの二週間の滞在だけの人の観察の方が正しいと言わんばかりの勢いで、何だか自分の人生がガタガタと崩れ落ちる気分でした。

もう一つの例は、マレーシア滞在7年以上に及ぶ日本人クリスチャンです。

「それは一部の偏った考えの人の話を聞いているだけだ」と怖い顔して忠告するのです。さらにひどいのは、その人の奥さんまで「ユーリさんの内面に他人と対決したい気持ちが存在するから、マレーシア人も対立しているように見えるんじゃないですか」と言われたのです。いくら何でも、そういう言い方はないんじゃないでしょうか。自分達がマレーシアでいい暮らしをしていて、問題を起こしたくないからといって、リサーチャーまで同類にして黙させようなど、そんなの、精神的拷問に近いと思います!

という話をすると、今度は、「そういうクリスチャンって、どういう教派の人?」と聞かれてしまいます。ま、この際、教派は関係ないですね。要するに、いろんな人がいるわけです、この世の中...。