ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

思い出を思い出すこと

先程ラジオをつけたら、聞き覚えのある懐かしい女性の声。マーシャ・クラカワさんでした。今も相変わらず、英語番組に出演されているのですね。

マーシャさんが『ハロー・フレンズ』というNHKラジオ番組を担当されていた頃、18歳だった私は、二度出演しました。

国文専攻の大学合格が決まって多少時間が余っていた時です。一度目は、「私の趣味」と題し、3歳から毎日ピアノを練習していて、今は特にドビュッシーピアノ曲が好きなこと、その理由はなぜかなどを、英語でマーシャさんと会話しました。実際の電話から短縮編成されていたので、時間は5分強でしたが、私にとっては、初めてラジオ放送でいきなり英語を話した得難い経験でした。もちろん、録音テープに保存してあります。(←今でも聴けるのでしょうか?)マーシャさんに大袈裟に褒められて素直に喜んでいた自分が、なんだか笑えるような、もの悲しい気分です。親戚も皆その放送を聞いていて、祖母が特に「この子は英語が達者でねえ」などうれしそうでした。うちの親など、テレビにマーシャさんが映るたびに、「あの人と電話で直接しゃべったんだもんね」と何度も言いました。バカみたいな話です...ね。

それに味をしめた私は、その後2ヶ月ほどして再度申し込み、次は「私のペンフレンド達」と題して、その頃続けていたドイツ、オランダ、ソ連ポーランド、フィリピンなどの文通友達の話をしました。英語が母語ではない人達との文通は、英語力において対等にコミュニケーションできるから楽しい、などと持論を展開(!)したのですが、マーシャさんは内心どう思われていたでしょうね?

当時は、地方の高校生にとって、生の英語に触れる機会はラジオとテレビの英語講座が中心でしたから、一日15分でも毎日熱心に聞き、テープに録音して繰り返しウォークマンで復習するしか方法がありませんでした。特に、『イングリッシュ・アワー』や土曜日の『ゲスト・アワー』など日本語無しの英語番組は、きちんとテープにとって、庭掃除や通学時などに、わけもわからず聞き続けていました。

薄かったテキストの文章は、ですから飽きるほど読み返して暗記したものです。今も保存してありますが、懐かしい限りです。そう言えば、東後勝明先生の『英語ひとすじの道』などの苦労話も、一生懸命読みました。本当にあの頃は、限られた環境でも前向きに頑張っていたという感じですね。今ならば、たかが英語、されど英語、英語を使って何が表現できるかという方が大事なのに、あの頃は、「英語は読めるけれど、書けない、話せない」という学校の先生が堂々とまかり通っていたんですから。我が町では、幼稚園から英語を学ぶようになっていますが、この話をするなら、子ども達は、浦島太郎の昔話を聞いている気分になるでしょうね。

東後先生は、後に英語番組を降りられました。その理由は確か「ある国際会議に出て、話されている英語がどうしても理解できなかったことがショックだったから」と記憶しています。(へぇっ、どういう意味なんだろう)と思って何年もたってから、あるキリスト教系新聞で、奥様に勧められて洗礼を受けられたというインタビュー記事を読みました。

このエピソードは、当時の日本人の英語受容の一端を物語っているように思います。普通の学校にしか通っていなかった地方在住人にとって、英語が話せるようになりたければ、ラジオ英語番組に頼るしか方法がなかったのですから。ある意味で、東後先生が、一般日本人の英会話力の責任を一身に背負っていらしたと言えるかもしれません。番組への取り組みも並々ならぬものがあり、声の調子を整えるための体調管理や仕事の調節ぶりなど、実に神経が行き届いていて、今の外国語番組の一部の担当者にも聞かせたいような話です。

確かに、現在の私達の環境は格段に恵まれていて、当時の東後先生の英語力を遙かに凌駕する、複数の外国語運用能力の持ち主は、決して珍しくないどころか、むしろそれでも不足だと言われています。情報も急速に進歩拡大しました。しかし、熱意に関しては、まだまだ当時の先生方に学ぶべきものがあるのかもしれません。

亀山郁夫先生が、1970年代のロシア文学会では、ドストエフスキーの講演会などには何百人もの人が集まり、熱心に耳を傾けていたものだ、とブログに書かれています。当時の私はもちろん小学生でしたが、何だかその光景が目に浮かぶように思われます。情報も行動範囲もある面で制約があったために、かえってエネルギーが集中するのでしょう。私の周囲でも、昨今など、各種の研究会や学会の催しは山のようにたくさんありますが、関心の幅に統一がないためか、一度の会合に何百人も人が集まるなど、ちょっと想像できません。集団的圧力がなくなって、かえって楽になった面もありますけれども、基本的合意やいわゆる教養の面ではいかがなものでしょうか。

この「ユーリの部屋」では、暇に任せて(?)昔の思い出話が時々顔を覗かせます。今に生きるとは、前ばかり見て、その日に集中するだけではなく、今に至った経過をよく認識するためにも、時には後ろを振り返ることも必要かと思います。学生時代に「上手に思い出すことはむずかしい」と小林秀雄が述べたと読みました。確かにそうですが、上手でなくとも、思い出を思い出すことぐらいは、年齢を経た者の特権でしょう。