ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

物思うこの頃

いぶし銀のような深みと落ち着きのある、抑制のかかった何ともノーブルな音色、これぞ本来のヴァイオリンが持っている懐かしくもの悲しい音色、という響きを奏でるのが故ミルシテイン氏です。CDを聴く度に、昔の巨匠はやっぱり違うなあ、と思いを新たにします。

現代の若手奏者の方が、技術的にはさらに上をいっており、音も大きく華やかなのですが、演奏会の回数も場所も格段に多く広がったために、かえって体力の消耗が激しく、聴く側も「また今度」とだだくさ(注:いい加減)に受けとめるようになったそうです。先日、近所の図書館にある音楽之友社発行の雑誌で、そのように書かれているのを読みました。昔は、海外に行くにしても、鉄道か船での演奏旅行だったので、出かける方も一大決心、受け入れる側も時間をかけて準備万端整え、心待ちにしていた、という‘自然さ’が、一期一会の歴史的演奏会をつくりあげていたと言えます。

7月27日「ユーリの部屋」でご登場いただいたN響ヴァイオリン奏者の根津昭義先生も「昔のLPレコードを聴くと、雑音の有無や技術云々ではなく、何とも形容しがたい味のある演奏が多い」という意味の文章を、いつかホームページ上で書かれていました。これは何を意味するのでしょうか?

このことは、音楽に限らず、大学の環境についても、同様のことが言えるのかもしれないと思います。

今年3月上旬、イスラエル旅行でご一緒した80代の牧師先生が、私にこうおっしゃいました。「成果、成果と焦る傾向が今はありますが、結果を急いでいいことはありません。日本の教会も、アメリカ宣教団の影響で、何人受洗したとか、幾つの教会ができたとか、数値で何でも計っていたんですね。ところが、現在の状況はどうか…。ですから、目先のことにとらわれず、長い目で見ていい研究をしてください」と。

別の日にお目にかかった時には、こうも言われました。「ユーリさんの手紙や書いたものを読んでいて思いましたがね、非常に論理構成を意識した文章を書かれるけれど、もし俳句を始められたら、もっと感性も磨かれてよくなると思いますよ」と。

残念ながら、俳句の方はなかなか開花せず、というところですが、ご助言に従って、この「ユーリの部屋」では、発想を自由にして、とらわれずに思うがままを書くようにしています。そうしたら、毎日が楽しく、元気になってきました!!主人も「何だかこの頃、楽しそうじゃないか。ユーリは、もっと自信持った方がいいよ。そういうエッセイみたいなものでも、新聞投稿でも、論文でも、書くことが好きなんだから、どんどん主張していくんだよ。人がどう思うか気にしないでさ」と言ってくれました。確かに、以前、電話でのおしゃべりや研究発表の時に「それで、その話、学問的にはどういう意味あるの?」とか「論旨が乱れた話だから、こっちもわかりにくくてさぁ...」などと言われたことを、かなり気にしていたんですね。主人に言わせると、「そういうこと言う人達って、本当はユーリの話をちゃんと聞いていないんだよ。人の話を自分の枠内でしか受けとめようとしないタイプなんだよ」とのことなのですが....。

ところで、その牧師先生ですが、ご夫妻で総計してイスラエルにはもう4回も行かれたそうです。さすがは昔の牧師先生は、鍛えられ方が違うというのか、教養の幅が深くて広いというのか、同志社大学神学部ご卒業後、アメリカ東部のユニオン神学校の修士課程で学ばれ、イエール大学にも一年ほどいらしたとうかがいました。戦時中は海軍所属で、仲間の大半が戦死されたとか。「だからこそ、こうして生き残った者としては、しっかりやっていかないと、と思うんですがね...」。

今日は「国運を決める」「天下の分かれ目」の選挙投票日です!年金問題憲法改正が焦点となりそうですね。あぁ、うぅ、えぇ、おぉ、いぃ…いい人がいないってところが、最大の難点です。トホホ…。本当に、戦後ここまで日本を築き上げてきた方々の汗と血と涙の労苦に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいです。