ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ギル・シャハムとイスラエルと聖書

昨晩、注文しておいたギル・シャハムアンドレ・プレヴィン指揮・ロンドン交響楽団による「バーバーとコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲」のCDが届きました(Gil Shaham, Barber/ Korngold, Violin Concertos, Deutsche Grammophn, 1993)。わぁい、うれしい!早速聴いてみると、なんとまぁ、落ち着いてつややかで抑制をきかせた美しい音色…。バーバーのヴァイオリン協奏曲は、2007年6月1日の前日に、主人が録画しておいてくれたNHKテレビの再放送『』で、五嶋みどりさんが最後にN響と共演/競演していたもので、それを見てすぐ、是非ともこれを手元に置いて繰り返し聴きたいと思いました。同じバーバーなら、ヒラリー・ハーンのCDにしようかとも迷ったのですが、こういう時には女性奏者よりも男性奏者の方に惹かれるものなのですね。短時間のうちに、ギル・シャハム氏に軍配が上がりました。

ギル・シャハム氏のご両親が、エルサレムヘブライ大学で博士号を授与され、後にコロンビア大学で教鞭をとった学者夫妻でいらっしゃったことは、皆さんもご承知ですよね。ギル氏自身はイリノイの生まれで、育ったのはイスラエル。現在はニューヨーク在住ですが、ある方の話によれば、ギル氏にとって「イスラエルは母、アメリカはガールフレンド」という位置づけだそうです。入手したばかりのCDのライナーノートによると、「10歳の時に彼はエルサレム・シアターの10周年とベイト・シャンのローマ円形劇場復元の記念コンサートで、アレクサンダー・シュナイダー指揮エルサレム交響楽団ソリストとしてデビューした」のだそうです(p.5)。イスラエルの「ベイト・シャンのローマ円形劇場」もちろん、行きましたよ。あの場所を記念して、ギル・シャハム少年は演奏されたんですね…。

ところで、梶本音楽事務所が作製しているサイト「カジモトe−プラス」には、非常に興味深いエピソードが載っていたので、無断で恐縮ですが、ここに複写引用させていただきます。

ギル・シャハム アンド フレンズ at カーネギーホール レポート】


 先日、ニューヨークのカーネギーホールで「ギル・シャハム アンド フレンズ」の第1回が行われました。大絶賛された公演のステージ裏で、実は、こんな大変なことが起こっていたとは…! ギル・シャハムの長年のコラボレーターであり親友でもあるピアニスト、江口玲の大変な3日間を、彼自身のレポートでお送りします。



 3月20日火曜日の午後にギルから電話がかかってきました。「もしかして明日と明後日、空いてる?」イェフィム・ブロンフマンのご家族に不幸があり、突然の代役を捜しているというのです。曲目はオール・ブラームス。まずギルと2人でスケルツォ、リン・ハレルが加わってピアノ三重奏の第1番、後半はさらにチョー・リャン・リン、シンシア・フェルプスが入ってのピアノ五重奏。マネージメントとアーティストが必死に代わりのピアニストを探しているということで、万一見つからなかった場合にはキャンセル!
 ピアノ三重奏は数年前に演奏したことがありました が、五重奏は20年以上も前に1度だけ友人たちと初見で遊んだことがあるだけ。でも、カーネギーホール主催の「ギル・シャハム アンド フレンズ」とタイトルされた3回連続のブラームス・シリーズの第1回目をキャンセルさせたくない。
 「楽譜あったかなあ、しばらく弾いてないけど、ちょっと時間くれる?」と答えて、1時間ほど通して弾いてみたところ、頑張れば多分いけるかな、と思い引き受けることにしました。しかしピアノ五重奏はほとんど記憶にないくらい。明日の最初のコンサートは車で2時間ほどかかるストーニーブルック、明後日はカーネギーの中ホール。個人練習に費やせる時間は出発時間の午後1時まで、飲まず食わず寝ずで練習しても21時間しかありません。
 大急ぎで大学の授業休講の手続きと別のリハーサルをキャンセルし、それから必死の練習が始まりました。五重奏はかなり手強い。しかしそれに時間をかけすぎると三重奏もきつい。こういう時のためのヘッドフォン付きのピアノで夜中の2時まで練習をし、翌朝もピアノに向かいます。
 昼の12時、食事をしながら荷物をまとめ、即座に待ち合わせ場所へダッシュ。ギルが「有り難う、有り難う」をあまり繰り返すものだから、僕は笑いながら「演奏後に言った方がいいかもよ。頼まなけりゃ良かったと思うかもしれないから」と言うと、ケラケラ笑ってました。
 短いながらも中身の濃いリハーサルのあと、いよいよ本番開始。ものすごい集中力で最後まで演奏が終わり、観客はスタンディングオベーション! この一日の苦労が報われたと実感しました。翌日のカーネギーではもっとリラックスして演奏ができました。ここでもスタンディングオベーション。ジュリアード時代の恩師も聴きに来てくださり、ニコニコとうなずきながら静かに肩をぽんぽんとたたいてくださったのが一番嬉しい瞬間でした。
 さて、地元紙に批評が出ました。ユーモアのある批評で非常に好意的です。要約すると、
「(代役について)ピアニストに24時間の通達でブラームスピアノ三重奏第1番とピアノ五重奏を演奏するように頼むと言うことは、ちょうど友人に明日のトライアスロンに一緒に出よう、とお願いするようなものなのだ。」(笑) 「その結果は興奮に満ちた非完璧なものであった」(?) 「彼らのように熟練した演奏家たちによる室内楽には、固定メンバーによるアンサンブルのような緻密さはないけれど、彼らはそれ以上に即興性、スリルに富んだ意思疎通を瞬時に行う。音楽造りがわくわくする様な喜びに満ちた冒険のようなものならば、到底これ以上の演奏を望むことができたであろうか?」
 「あの〜、ちょっと訊いてみるだけだけど、明日一緒にトライアスロン参加できない?」「え?できるかな? ま、オッケー! やるやる! あ、でも、トライアスロンって結構走らなきゃいけないんだっけ??」「えーと、トライアスロンやったこと、あるんだよね……?」「いや、ないけど?」
 本当に実際そんなところだったかもしれません。
 余談ですが、カーネギーでは色々なハプニングに見舞われました。コンサートが始まる30分前。忘れ物の常習犯の僕はまたしても黒い蝶ネクタイを忘れたことに気付きました。ギルに急遽助けを求め、彼のお母さんに予備を持って来てもらうことに。でも結局、ホールをばたばたと走り回って、カーネギーホールにあったものを借りることができたのです。本番前に集中したい彼を煩わせてしまって申し訳ない。
 すると今度はジミー(チョー・リャン・リン)がギルに、「白いシャツを持って来るのを忘れた!予備持ってない?」。またしてもギルはお母さんに電話。結局サイズが合わず、そのまま縞模様のシャツをジャケットの下に着用することにしました。マオカラーのジャケットだったからほとんどシャツは見えなかったけど、事件はそれだけでは収まらない。
 何と、本番5分前になってもリン・ハレルが来ない。ステージマネージャーが電話をすると開始時間を間違えていて、ほんの数分前にホテルを出たところ! こちらカーネギーでは 5分遅れでギルと2人でスケルツォを演奏開始。それが終わっても彼はまだ現れない。会場にアナウンスを流し、10分ほどお客様にお待ち頂き、ようやく三重奏の開始となりました。
 この日は、ブロンフマンのお父上のご冥福をお祈りするための曲を、第2部の最初に演奏することにしていました。曲は、ギルの「フォーレ アルバム」にも録音した、江口編ピアノ三重奏版「夢のあとに」。この曲は近々インターナショナルから出版される予定で、楽譜の下刷りがあったのですが、舞台に出る直前に楽譜の頁順が間違っていることに気がつきヒヤリ。ああ、あぶないあぶない。
 波瀾万丈の3日間、なんとも充実していました。10時間以上のぶっ続けの練習で指は腫れたけれど、五重奏はほとんど暗譜できそうなくらいまで追い込んだし。しかしながら、我ながらいい度胸だったと思います。普通やらないです、こういうことは。そして二度としたくないです(笑)。でも! 楽しかった! 今度は5月の日本ツアーの直前に再びカーネギーザンケルホールで「ギル・シャハム アンド フレンズ」の第3回目、ブラームスソナタハンガリー舞曲を一緒に演奏する予定です。ソナタは日本の皆様にもお聴きいただけます。お楽しみに。

[5/25 紀尾井ーホール公演情報はこちら]2007-03-29 20:09」

(引用終)
やはり江口玲氏は温かい人柄の方ですね。今年5月に大阪・イシハラホールにお二人で来てくださった際、サインをいただいた瞬間にそう感じましたが、こういう緊急の事態にも、さっと準備してギル・シャハム氏を助けるところは、実に頼もしい限りです。最近のクラシック演奏家は、本当に気さくに振る舞われる点、一昔と大違いだと思います。体力気力も消耗するだろうにサイン会にまで応じなければならないし、飛行機での頻繁な移動も耳を痛めやすいのではないかと思いますが、それもこれも仕事のうち、とニコニコやっていらっしゃるんですから…。

ギル・シャハム氏−イスラエル−ベイト・シャンのローマ円形劇場−音楽」と連想がつながった以上、今日の「ユーリの部屋」は、イスラエルと聖書にまつわる話で締めたいと思います。昨日偶然にも、初めて知ったのですが、イスラエルの有名なフォークダンス「マイム・マイム」は、イザヤ書12章3節の「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲むに基づくものなのだそうです。(聖書引用は、日本聖書協会新共同訳』1998年)
「マイム・マイム」そのものは、小学校5年の時、担任のK先生から教わり、6年生の終わり頃、転校する私のために開かれたお別れパーティでも、「ユーリちゃんの好きなフォークダンスしようよ」という話になって、クラス中で手をつないで踊ったことは、まだよく覚えています。カトリックの幼稚園で育ったので、新約外典の一部の物語や福音書の重要な箇所は4,5歳の頃から知っていましたが、このフォークダンスイザヤ書に基づくとまでは、全く知りませんでした。ウィキペディアには次のようにあります。
「マイム・マイムの原題は「U’sh’avtem Mayim (׀שאבתם מ׳ם)」。第二次世界大戦シオニズム運動によって全世界から現在のイスラエルの地に戻ってきたユダヤ人が、「国を建て、新しい息吹きのもとに未開不毛の地に希望の「水」をひいて開拓にはげむ喜び」(「すぐに役立つフォークダンスハンドブック」関益久著、黎明書房)をあらわした歌であるとされており、旧約聖書の一節である“U’sh’avetem mayim be-sasson Mi-ma’ayaneh ha-yeshua”(ושאבתם מים בששון ממעייני הישועה)(「あなたがたは喜びをもって、救いの井戸から水をくむ。」(イザヤ書第12章第3節、(財)日本聖書協会編 口語訳聖書))をそのまま歌詞として用いている(マイム・マイムは歌詞全体がこのフレーズ(あるいはその一部)のリフレインからなっている)。ちなみに“mayim (מים)”はヘブライ語で「水」を、また“be-sasson (בששון)”は「喜びの中に」をそれぞれ意味しており、したがって有名な一節である“Mayim mayim be-sasson (מים מים בששון)”は開拓地で水を掘り当てて喜ぶさまを表わしたものである。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/)

さあ、早く国際聖書フォーラムの講義の復習に入らないと…。