ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

腹ふくるるわざ

こうしてブログ日記を始めることができて、自己満足かもしれませんが、私としては、毎日だんだん元気になってきました。これまでは、多分、「おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば」(『徒然草』第十九段)だったのでしょう。

表現したいものがたくさんあっても、「論文」の形におさめようとすると、削らねばならないことはたくさん出てきます。でも自分にとっては、その削る部分こそが伝えたいものであったりするわけです。また、できれば立場の異なるさまざまな方達、特に専門ではない方達にも、お福分け(故前田護郎先生のお言葉を拝借)したいエピソードがいろいろあります。

「そんなことやっても、第一、‘業績’にもならないから、論文と学位に努力したら」「主婦は社会的地位が低いから、勉強したって誰も相手にしないよ」ということは、昔から何度も言われました。そして、結婚後もそういう忠言に呪縛され、一時期、進行性難病患者の主人にまで当たり散らしながら、自分の研究テーマのみに集中しようとしたことがありました…。

ただ、結果を言えば、それによってプラスになったものは何一つなかったということです。かえって圧力がかかって萎縮し、家庭内は暗くなり、家事もどこか滞り、主人も青白い顔になっていき、私自身も調子がいいとは言えない状態になりました…。それでは、何のための「業績」であり「社会的地位」なんでしょう?一体、主婦といってもその実態はさまざまなのに、「社会的地位が低い」とは、どのような基準でおっしゃっているのでしょう?

昔、マレーシアで働いていた頃、自分は海外でいっぱしの仕事をしているのだという錯覚に陥り、自分の働きに見合った給与をいただくべく、もっと頑張らねば、と毎日慌ただしくせわしなく過ごしていた時期がありました。日本からたくさん手紙をいただいていたのですが、とにかく自分がいかに毎日忙しく働いているか、を述べ立てていたように思います。全く、今から思えば、若気の至りというのか、恥ずかしい限りです。

外で仕事をしているから「えらい」のだろうか?給与をいただいているから、責任を伴うプロであり、それなりの「地位」を得ているといえるのだろうか?研究費をいただくと「論文にハクがつく」とも聞きました。そうかもしれません。でも、本当にそれだけなのでしょうか?

大学院の後輩で、とても優秀で将来を嘱望されていたのに、突然の脳の病気で半身麻痺となり、進路を変更した人がいます。主人のこともあり、他人事とは思えませんでした。数年前、関西を旅行した時、杖をついて、私にもわざわざ会いに来てくれました。身障手帳を持っている今の彼は、「社会的地位」を失ったのでしょうか?

忙しく動き回っていたその昔、学部時代の同級生から、ときどき、手作りのクリスマスカードや丁寧に書かれた美しい絵はがきなどが送られてきました。彼女は、体格はしっかりして丈夫そうだったのに、結婚後、二人流産したのだそうです。ですから、外での仕事をやめて自宅でゆったり暮らすことにしたのでした。そんな彼女は、私が結婚する時には、とても喜んでくれ、エプロンや鍋つかみなども刺繍入りの手作りで贈ってくれました。受け取った時、私は心底、彼女がうらやましかったものです。どちらが心豊かで幸せな暮らしをしているか、と。

ある女性新聞記者が、産休を取って主婦生活をした時に初めて、「自分がそれまで、いかに理屈でしか考えていなかったか、実体験に基づく記事が書けていなかったか、に気づいた」と述べていました。私には、その気持ちがわからなくもありません。世の中の人は、黙ってみているもので、新聞記事や大学の先生のお話などでも、現場での実体験から「あれは間違ったこと平気で言っている」と内輪で批判することもあるようです。そちらの方が「評価」としては、恐ろしいではないですか。

自分に合った生き方をしなければ、結局は窒息するということです。そして、真に自己にめざめることは、仏教でも重要視されていて、世の中の基準や人の言うことに無理に合わせようとして苦しんでいるようでは、自分の人生を生きていることにはならないわけです。

いくら自己主張の世の中になったとはいえ、第一、私、私、私、では殺伐とした状況になるじゃないですか。いえ、既にそうなっているんです。この頃、妙な事件が次々と発生しているし…。

最近、若手や中堅の研究者の自殺が密かに増えている、と聞きます。確かに、学会名簿を見ていても、数年前まで元気そうな顔の写真を見た、あるいは、ある研究会で発表者の名前に上がっていた、と思っていた人が、忽然と「逝去」のリストに名前が載っていることも珍しくはありません。理由が明記されていないだけに、かえって考えさせられるものがあります。道がふさがれた、自分の人生はもうない、と思い詰めてしまったのでしょうか。

私の知るある国立大学の先生も、道半ばにして自死されました。その先生にはセミナーでお世話になり、先生からの依頼で文章を書いたこともありました。最後にいただいたメールでは、「苗字が変わったとは、知りませんでした。近くなったので、研究室に遊びに来てください」とありました。しかし、ご挨拶にうかがえないうちに、この世を去ってしまわれました。それも研究室内で…。理由は伏せられたままですが、どうやら家庭内の問題で悩まれていたらしい、と聞きました。

歳をとるにつれて、知る人の名がどんどんこの世から消えていきます。人は最期が大切であり、初めに終わりを思うことが肝要です。そう思って、このブログ日記で、好きなように表現し、人生半ばを迎えた者として、どのように後半を生きていくか、考えているつもりです。そして、外に向かって手を広げて、よきものを受け与えられつつ、こちらからも与えられたものを分かち合いつつ、成長していきたいと思います。