ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

七夕の願い事

今日の日付はすばらしい!! 07/07/07と並び、しかもデジタル時計で7時7分が表示された時には、かげがえのない一瞬ってこういうことなのかな、と思ってしまいますね...。

そう言えば、平成7年の7月7日も意義深い日でした。この日の午後7時に、名古屋の栄という所で、ある方と待ち合わせをして食事と軽いお酒を楽しんだのです。あ、主人じゃありません。まだその頃、主人とは出会っていませんでした...。教会の役員としてお世話になっていた方です。倫理的にやや堅苦しい教会の雰囲気の中で、本音に近い話ができ、悩みを聞いてもらえる気さくなおじさんでした。他の女性達からも「魅力的な人」と聞いたことがあります。問題多き年頃だった私には、女性同士の相談よりも、こうして世代も異なり、人生経験豊富な年上の男性から助言をいただける機会を、特に大切にしたいと思っていました。

同じ物事でも、男性から見た場合と女性から見た場合とでは、まったく違うことって多くありません?相補関係にあることが大事なのであって、創造主の叡智には、つくづく感嘆させられます。

そう言えば、先週の国際聖書フォーラムでも、総合司会をされていた先生が、休憩時間にこんなことをおっしゃっているのが耳に入りました。「いやぁ、女性の質問って、こんなに男性と見方やとらえ方が違うんですね」と。

私にしてみれば、(え、今頃お気づきなんですか?)と茶々を入れたくなるところでしたけれど...そうです、一般に日本の女性達は、二重文化の中で社会生活を送っているんです!!私にとっては、当日の若い女性達の質問は、ごく自然に受けとめられるものでしたし、なんら違和感のないものでした。といっても、彼女達の挙手は、ようやく促されてのものだったんです。つまり、さっと手を挙げて質問するのは、こういう会合ではたいてい男性陣と相場が決まっているのです!(キリスト教会は、先進文明の担い手という自己認識があったかもしれませんが、ここ二十年ぐらいを観察すれば、少なくとも教会外の社会よりも、はるかに保守的な面が多いことは、恐らく否定できないだろうと思います!!!)

その点、アジア各国の聖書協会の総主事は、私に対してもなんら威圧的な態度をとられることなく、実に丁重で親しみのこもった応対をされるところが、さすがだと思います。こういう会合に招かれる程の方達だから、社交慣れしているのだ、といえばそれまでですが、家族を大切にしながら仕事に励むという勤務体系が、こういう態度を自然に生むのではなかろうか、とも思います。去年は、韓国の総主事が奥様同伴でしたし、アジア太平洋地域コーディネーターのスシロ先生は、メールでもクリスマスカードでも、ご家族の話をさりげなく披露されます。家族を自然に紹介できる方は、たいてい仕事もよくできることが多いです。つまり、隠さなければならない家庭事情を持つ方は、生き方全般において、どこかぎこちなさや無理が長年にわたって蓄積されていくのだろうということです。

せっかくなので、今日は七夕について書いてみましょう。

昨日、駅前と生協前と消防署前に立ててあった、七夕飾りの短冊を少し読んでみました。場所によって違うのですけれど、それぞれの願い事は人に共通するところがあります。抱えている問題があればその解決を願い、将来自分や周囲の人々がどうありたいかを記し、幸福を望みつつ未来に希望を託すわけです。

子ども達の書く短冊はかわいいですね。「おはなやさんになりたい」「けーきやさんになれますように」「学校の先生になりたい」....夢を描くことは、人生設計で大きな力を発揮します。ほら、聖書にもあるじゃないですか、「幻がなければ民は堕落する」(日本聖書協会新共同訳』1998年「箴言29章18節)と。

米国合衆国上院のチャプレンであったスコットランド長老派の牧師Rev. Peter Marshallの未亡人であるCatherine Marshall(1914-1983)という人が書いた『祈りの冒険』(“Adventures in Prayer”)をご存じですか(Chosen Books Pub. Co. Ltd.Virginia,1975/1980. 日本語版は松代恵美訳 いのちのことば社 1980/1985年)。

学生時代にたまたま手にとって読み、非常に驚きました。アメリカの社会動向というのは、こういう発想が元になっているのか、と。

例えば「夢を実現する祈り」という項目に書かれているのは、自分の実の親が誰なのかも知らずにいた、貧しく荒廃した地域出身の青年が、周囲の人々の物心両面の支援と祈りによって、偉大な世界市民としての物理学博士にまで成長するという話です。多分、これは実話なのでしょう。他にも、夢と祈りの結合が成し遂げる無限の人生実現をうながすような話が、失敗例も含めてわかりやすく説かれています。

なんだ、それはナポレオン・ヒルか、マーフィーの法則と同じじゃないか、アメリカの典型的福音派のお話、と思われるかもしれません。でも、ちょっと違うかもしれないのは、この方の場合、夢実現のための祈りに際して、次のような指標を加えていることです(p.53-54)。

1.私の夢は、神が私にお与えになった才能、気性、情緒を十分に生かすでしょうか。
2.私の夢は、だれか他の人の物か人を取ることにならないでしょうか。これが成就すれば他の人を傷つけることになるでしょうか。
3.私は喜んで他の人との関係を正しく保とうとしているでしょうか。もし私が恨み、悪意、苦々しさを抱いているなら、それがどんなに正当化されようと、これらの感情は、創造の源泉であられる神から私を切り離してしまうでしょう。
4.私はこの夢がかなえられることを心から望んでいるでしょうか。
5.私は、神のタイミングを忍耐強く喜んで待とうとしているでしょうか。
6.私は夢を大きく持っているでしょうか。

現在のアメリカの宗教政治は、世界で深刻な問題を引き起こし、各方面で多大な非難を浴びています。確かに、残念ながらもっともな批判が多いと思われます。ただ、この著者がお元気だった頃には、まだまだアメリカの良心がこのような形で生きていたことも、また事実なのです。シンプルで一見単純なように見えても、このような祈りが、個人レベルのみならず、世界に目を向けても祈られていたということ、その歴史によってアメリカ社会が形成されていたことが、この七夕の願い事を機に、もう一度想起されたのでした。

ちなみに、聖書伝統で「7」という数字は、特別な意味を有しています。もうおわかりですよね。